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翁の謎⑧ 春日大社 舞楽始め式 『天智天皇は藤原氏の祖神だった?』 

翁の謎⑦ 奈良大文字 送り火 『死者が住む高円山』 より続きます~

●天智天皇は藤原氏の祖神だった?

春日大社 舞楽始め 

1月13日、春日大社の林檎の庭で舞楽始めが行われた。
林檎の庭の向うには御廊と中門が見える。
中門の奥には御本殿があり、武甕槌命(たけみかづち)、経津主命 (ふつぬし)、天児屋根命 (あめのこやね)、比売神(ひめがみ)をお祭りしている。
武甕槌命(たけみかづち)と経津主命は 藤原氏の守護神、天児屋根命は藤原氏の祖神、比売神は天児屋根命の妻とされる。
春日大社は藤原氏の氏神なのだ。

御存じのように藤原氏は大化の改新で中大兄皇子をサポートした中臣鎌足を祖とする氏族である。。
鎌足は臨終の間際、天智天皇(中大兄皇子)より藤原姓を賜ったとされる。

春日大社 舞楽始め



私は春日大社の御祭神・天児屋根命とは天智天皇のことではないかと考えている。
天児屋根命の『児』とは小さいという意味で、『小さな屋根の下にいる神』という意味となる。
そして天智天皇は
秋の田の かりほの庵の とまをあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ
(秋の田の仮庵の屋根があらくて雨漏りがするので、私の衣の袖は露に濡れどおしだよ。)

と歌を詠んでいる。
仮庵の雨漏りのする屋根はそれは小さいことだろう。

この歌は万葉集にある詠み人知らずの歌「秋田刈る 仮庵を作り わが居れば 衣手寒く 露そ置きにける」を改作したものであり、
実際に天智天皇が詠んだ歌ではないが、天智天皇の心を表す歌であるとして後撰和歌集の撰者たちが天智天皇御作として後撰集に掲載したものと考えられている。

なぜこの歌は天智天皇の心を表す歌であると考えられたのだろうか。
一般には、天智天皇は天皇という尊い身分でありながら農民の気持ちによりそうことのできる優しい方であったからだと言われている。
しかし私はそうは思わない。

672年、天智天皇が崩御したあとすぐに、壬申の乱がおこった。
そのため、天智天皇の死体は長い間埋葬されず、放置されていたと考えられている。
『続日本紀』に天智陵が造営されたと記されているのは、天智天皇が崩御してから28年後の699年である。

28年間遺体が放置されていたということは、天智天皇の遺体は風葬と同じような状態におかれていたということではないだろうか。

沖縄では近年まで風葬が残っていたが、自然の洞窟に遺体をおさめたり、小さな小屋のようなものをつくって遺体をおさめたりしていたようである。
つまり、この歌は天智天皇の霊が、きちんとした墓を作ってもらえず、秋の田の仮庵のような場所に遺体がおかれていることを嘆く歌であると私は思う。

●藤原不比等は天智天皇の落胤だった?

春日大社 舞楽始め2


天児屋根命は藤原氏の祖神とされている。
天児屋根命が天智天皇のことだとすると、藤原氏は天智天皇の子孫だということになっておかしいじゃないか、と思われるかもしれない。

しかし『興福寺縁起』には次のような内容が記されている。
藤原鎌足は天智天皇の后だった鏡王女を妻としてもらいうけた。
その時鏡王女はすでに天智の子を身ごもっていた。
これが藤原不比等であると。

つまり、藤原不比等は天智天皇の落胤であり、天智天皇が藤原氏の祖神というのは辻褄があうということになる。

采女祭

興福寺五重塔と猿沢池 興福寺は藤原氏の氏寺でかつて藤原氏の氏神・春日大社と一体化していた。

さきほど「672年、天智天皇が崩御したあとすぐに、壬申の乱がおこった。」と書いた。
壬申の乱とは皆さんご存知のように、大友皇子(天智天皇の皇子)vs大海人皇子(天智天皇の弟)が皇位を廻って争った戦いのことである。
結果、大海人皇子が勝利して即位し、天武天皇となった。
その後、持統・文武・元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳(孝謙天皇が重祚)と天武系天皇が続いた。
称徳天皇は女帝で独身だったため、天武系の血筋が絶えてしまい、称徳天皇崩御後、天智天皇の孫にあたる光仁天皇が即位して天智系に変わっている。

その後、光仁天皇の皇子である桓武天皇が平安京に遷都した。
遷都の理由については南都の仏教勢力から逃れるためであるとか、長屋王などの怨霊から逃れるためだとも言われている。

そういった理由もあっただろう。
しかし遷都の理由は他にもあったのではないかと私は考えている。
平城京は天武系天皇の都だった。
天智系の桓武天皇は天智系天皇のための新しい都をつくりたかったのではないだろうか。

京都市東山区の泉涌寺では天智天皇から昭和天皇まで、歴代天皇の位牌を安置しているが、天武、持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳の位牌がないそうである。

泉涌寺の創建は856年と伝えられ、平安京に遷都したのち創建されたお寺である。
泉涌寺には天皇家や天皇家の外戚として権力を掌握していた藤原氏の意思が大きく働いていると考えられる。。
桓武以降の天皇や、天智天皇を祖と信じる藤原氏にとって、天武系天皇は排斥したい存在であっただろう。
それで天武系天皇の位牌を安置していないのではないだろうか。

春日大社 舞楽始め 



春日大社・・・奈良県奈良市春日野町160


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[2017/01/11 16:42] 翁の謎 | トラックバック(-) | コメント(-)