翁の謎⑥ 奈良豆比古神社 『ハンセン病を患った春日王と非人にされた弓削浄人』

●志貴皇子と春日王
般若寺の参拝をすませたあと、般若寺の向かいにある植村牧場さんソフトクリームを買い(ミルクの味が濃くてとても美味しいです。)ソフトクリームを食べながら、さらに奈良坂を登っていった。
ソフトクリームを食べ終わったころ、私は奈良豆比古神社に到着した。
境内の奥には丹塗りの玉垣と鳥居があり、鳥居の下から中をのぞき込むと3つの社が建てられていた。

参拝を済ませた私に「こんにちは」と声をかけてくださる方があった。
振り向いてみると年配の男性が立っていた。
話を伺ったところ近所に住んでおられるということだった。
男性は次のようなことを教えてくださった。
「3つ社がありますやろ、真ん中の社に祀られている神さんは平城津彦(ならづひこ)神ゆうて、産土の神・・・この土地の守護神ですわ。
向かって右は志貴皇子です。有名な歌がありますやろ、
いわばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいづる春に なりにけるかも
この歌を詠みはった人です。
田原天皇・春日宮天皇ともいいますね。」
「ああ、志貴皇子の子の白壁王が即位して光仁天皇となられ、父親の志貴皇子を春日宮御宇天皇と追尊されたんでしたっけ。」
「そう、実際には志貴皇子は天皇ではなかったんですが、息子の光仁天皇が天皇の位をおくられたわけですわ。
志貴皇子の陵は高円山にあるんですけど、田原西陵と呼ばれているので田原天皇ともいわれています。
それから向かって左には志貴皇子の子の春日王をお祭りしています。
春日王は田原太子とも呼ばれていますが」
「えっ、父親が田原天皇で息子が田原太子ですか?」
「そうです、志貴皇子は天智天皇の第七皇子やったんですが、672年に壬申の乱がおきましてね・・・・」
「天智天皇の皇子の大友皇子と、天智天皇の弟の大海人皇子が皇位をめぐって争った戦いですね。」
「はい、その壬申の乱で志貴皇子は異母兄弟である大友皇子側につかれました。
御存じのように大友皇子は敗れて大海人皇子が天皇になられました。
そういうわけで乱後の志貴皇子は不遇でした。
その後、志貴皇子の第二皇子の春日王がハンセン病を患ってここ奈良坂の庵で療養されました。
春日王には浄人王と安貴王という二人の子供があって、この兄弟が熱心に春日王の看病をされました。
兄の浄人王は散楽と俳優(わざおぎ)が得意だったので、ある時、春日大社で神楽を舞って父の病気平癒を祈りはった。
そのかいあって春日王の病気は快方に向かったそうです。
浄人王は弓をつくり、安貴王は草花を摘み、これらを市場で売って生計をたてておられました。
都の人々は兄弟のことを夙冠者黒人と呼んだそうです。
親孝行な兄弟の評判が桓武天皇にの耳にもはいりまして、桓武天皇は兄弟の孝行を褒め称え、浄人王に『弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)』の名と位を与えて、奈良坂の春日宮の神主とされたそうです。」
「弓削・・・・・・?」
「木や竹を削っ弓を作ってはったんで弓削という名前を与えはったんと違いますかな。
・・・・・そうそう、10月にはここで翁舞の奉納がありますんで、よかったら見に来てください。」
「えっ、翁舞?能の翁と何か関係があるんですか?」
私は正月に八坂神社で翁という能を見たことを思い出した。
翁の謎① 八坂神社 初能奉納 「翁」 『序』
「奈良豆比古神社は古くから芸能の神として信仰されてましてね、明治維新頃までは能や歌舞伎の役者は奈良豆比古神社を参拝して興行許可を得とったそうです。
能の翁のルーツはここの翁舞やと私は思います。
セリフとかもよう似てますし。
ここの翁舞は三人翁いうて、翁が3人出てきますけどね。」
●春日王はハンセン病をもたらす怨霊だった?
古においては神と怨霊は同義語であったとされる。
怨霊とは政治的陰謀により不幸な死を迎えた人のことで、天災や疫病の流行は怨霊の仕業で引き起こされると考えらえていた。
おそらく陰陽道の考えによるものなのだろうが、このような怨霊は神として祀り上げることで、守護神に転じるという信仰があった。
つまり、穢れ多い怨霊と、神聖なる神は表裏一体の存在だったのである。
ハンセン病患者は文殊菩薩の化身であると考えられていた。
先ほどお参りしてきた般若寺はハンセン病を患ったといわれる春日王を慰霊するための寺だと私は考える。
もしかすると春日王がハンセン病を患ったというのは事実ではないかもしれない。
翁の謎③ 法華寺 『光明皇后と行基の前に現れた疫神』
↑ こちらの記事に私は次のように書いた。
「貧乏神はいかにも貧乏そうな姿で表されることが多い。
ということは疫病をもたらす疫病神は疫病を患った姿をしていると考えられたのではないだろうか。
光明皇后と行基の前に現れた天然痘を患った病人とは天然痘をもたらした長屋王の怨霊なのではないだろうか。」と。
これと同様、ハンセン病をもたらす神はハンセン病を患った姿をしていると考えられたのかもしれない。
すなわち、春日王は政治的陰謀によって不幸な死を迎え、死後怨霊になったと考えられた。
そしてハンセン病は春日王の怨霊の仕業でひきおこされると考えられていたのではないかということである。
●どんな人が非人になったのか
翁の謎④ 北山十八間戸 『非人とハンセン病患者』でお話したように、かつてここは非人の町だった。
一方、翁は能というよりは神事であるといい、、『別火を喰う』と言って、舞台に立つ7日前から家族と寝食を分かち、食事を調理する火も共用することが許されないという。
それほど神聖で穢れを嫌う神事を、非人が行っていたということに疑問を感じる人がいるかもしれない。
非人とは穢れた存在として差別された人々のことではなかったのか、と。
『別火』についてだが、昭和の時代の部落出身の人が『別火といって煙草の火を貸してもらえなかった』という意味の文章を書いておられたことを思いだす。
昭和という時代には『別火を喰う』ことは、神聖視というよりも蔑視の意味合いを持っていたようだ。
非人とは「人に非ず」という意味だが、人に非ずとは鬼であり、また神でもあるという両面の意味を持っていたのではないかと私は思う。
というのは先ほども述べたように、古において怨霊(鬼)と神は同義語であったとされるからだ。
それではどのような人たちが非人となったのだろうか。
日本には先祖の霊はその子孫が祭祀(供養)すべきという考え方があった。
その例は記紀にも記述がある。
崇神天皇代に大物主神の怨霊の祟りで疫病が流行ったが、大物主神の子の大田田根子を大神神社(大物主神を御祭神としている)の神官にしたところ疫病がおさまったというのである。
この話は、子孫が祭祀することで怨霊の祟りを鎮めることができるという信仰があったことを物語っている。
春日王が怨霊であったとすれば、春日王は謀反人として不幸な死を迎えた人であったと考えることができる。
春日王の怨霊の祟りを鎮めることができるのは春日王の子である浄人王と安貴王、また彼らの子孫だということになる。
さきほどの男性の話では、兄弟は夙冠者黒人と呼ばれていたということだったが、夙とは中世から近年にかけて近畿地方に多く住んでいた賎民のことである。
奈良坂に住む賎民は北山夙と呼ばれていた。
夙と非人は同様のものだと考えてもいいだろう。
春日王の子の浄人王と安貴王は非人だったのである。
また平安時代に承和の変をおこしたとして橘逸勢が姓を非人と改められて流罪になっている
非人とは謀反人もしくはその子孫のことではなかっただろうか。
桓武天皇は兄弟の孝行を褒め称え、浄人王に『弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)』の名と位を与えたということだったが、これを言葉通りにとってはいけない。
橘逸勢のケースと同様で、桓武天皇は浄人王と安貴王の官位をはく奪し『弓削』という名前を与えて非人にした、ということだろう。
浄人王は皇族であったが、父の春日王が謀反人とされたため非人とされ弓削浄人という名前になったのだろう。
弓削浄人という名前には聞き覚えがある。
奈良時代の女帝・称徳天皇が寵愛し、次期天皇にしたいとまで考えていた僧の名前を道鏡という。
道鏡は弓削氏の出身のため弓削道鏡とも呼ばれている。
その道鏡の弟の名前が弓削浄人なのだ。
弓削氏は王族ではないが・・・・。

護王神社絵巻に描かれた道鏡
奈良豆比古神社・・・奈良市奈良阪町2489
翁の謎⑦ 奈良大文字 送り火 『死者が住む高円山』へつづく~
トップページはこちら→翁の謎① 八坂神社 初能奉納 「翁」 『序』
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