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一般人よりも軍人・役人・満鉄社員の家族の避難・引揚げが優先された?


葫芦島から引き揚げる日本人

葫芦島から引き揚げる日本人

一般人よりも軍人・役人・満鉄社員の家族の避難・引揚げが優先された?

満州の首都「新京」(現 長春)では、市民の避難を優先させる手はずになっていましたが、緊急行動に慣れている軍人の家族をとりあえず先に避難させることになりました。

しかし軍人の家族優先が既定路線となってしまい、汽車に乗り込もうとする一般市民は憲兵に追い払われるようになってしまいました。

8月11日正午までに避難できた者は、新京在住約14万人のうち約3万8千人。そのうち軍関係家族が約2万310人、大使館等役人の関係家族750人、南満州鉄道関係家族が1万6700人。

新京の一般市民は汽車で避難することはほとんどできませんでした。

~略~

関東軍は事前の作戦計画(ソ連の満州侵攻(上)―参戦準備と戦闘開始までを参照)で全満州の4分の3を捨て、「通化」で朝鮮の防衛を行うことにしていました。

「虎頭」など国境地帯のいくつかの場所では関東軍は頑強に抵抗を続けていましたが、大部分は後方に引き上げました。

関東軍総司令部は新京を引き払い、通化へと移動したものの、通化は防御のための準備はほとんどできていませんでした。

関東軍総司令部の新京からの引き上げは、市民には「我々を見捨てて逃げた」という印象を与え、軍事的には防御の整っていない地へ移動することになったのです。


軍人・役人・満鉄家族の避難が優先され、一般人の避難は後回しにされた。
大変ショッキングな内容だが、これは事実なのだろうか。

ネットの体験談などを調べてみることにした。



疎開の行き先が分からないどころか、運ばれていく女性たちに対する敗戦後の処置さえ、つまり引揚げの対象になるかどうかは、敗戦の当事は不明であった。『引揚援護の記録』(引揚授護庁、一九五〇年三月)によると、日本人の引揚げを裏付ける法的根拠は、一九四五年七月二六日にアメリカが衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の何おいて大日本帝国に対して発されたポツダム宣言の第九条にある。しかし、その条項は「幸福軍隊についてのみの規定であって、一般居留民の帰還については、何ら根拠となるものではない」と考えられていた。

引揚げと同様に、敗戦直前の疎開も、日本側がポツダム宣言の内容を把握した上で、堂々と軍家族、満鉄、政府、特殊会社を優先的に移動させたのであろう。


戦況が悪化するにつれ、関東軍司令部は作戦計画にもとづき、通化に司令部を移すと共に、軍関係、満鉄関係、政府関係及び一般市民の家族を通化省内と朝鮮に疎開させようとしていました。
8 月 9 日から 12 日にかけて軍人・軍属家族約 2 万人が朝鮮北部に疎開しました。軍に続いて、満鉄関係者の家族も 8 月 10 日から疎開が始まり、新京を中心に約 1.7 万人が朝鮮北部に向かいました。安東を通過して朝鮮北部に向かった者は約 6 万人といわれています。


昭和十五年四月満州北安(ペイアン)省海倫(ハイロン)県の警察官として勤めていた主人の元へ渡満しました。昭和二十年四月に次女出産のため、日本から来てくれた母が、六月に帰る手続きを取りましたが、軍人の家族優先で帰国することが出来なくなりました。

あと脱線ついでに言えば、新京で疎開列車で逃げる時にね、あれはまず関東軍の家族と満鉄の家族が逃げたわけですよ。それで、なんで市民を放っておくんだとこう言ったら、いや市民は荷造りに時間がかかるんだと。到底、駅にはすぐ集まれない。それで関東軍の家族というのは、命令一下すぐパッと集まれる。彼らは命令も情報もね、早く流すわけですよ。それで、僕は新京の駅で本当に見ていたんだけれども、目の前をね。関東軍の家族を乗せた汽車がどんどん行くわけですね。次に列車が来た、次は誰だっていうと満鉄の家族専用車。それでね、一般市民は全くもって置いてけぼり。それはけしからん。しかも、関東軍の司令官の家族が終戦の時には日本にいたんですね。



当時日本の植民地だった朝鮮の京城(けいじょう)(現在のソウル)に産婆をしていた母方の祖母と合流しようと、母と、たまたま京城から新京に疎開していた母の妹二人、そして赤ん坊の私との無蓋貨物列車での逃避行が始まりました。これに乗れたのも、父が教え子の父親の軍人に頼み込んだからです。軍人の家族を優先して避難させていたからです。


8月10日正午前に関東軍は避難民の移送を決定し[3]、第一列車は8月10日午後6時出発予定(実際には遅れて8月11日午前1時40分出発)とした。そのため、当初の輸送順序である民・官・軍の家族の順ではなく、連絡のつきやすい軍人の家族を第一陣として避難の誘い水とすることとした[4]とも、当時の軍高官は連絡が民間人に十分に届く前に軍人・軍属とその家族ばかりが集まってしまったのだと後に弁明したともいう。実際には、当初は軍人・軍属とその家族らばかりが大量の荷物を運べるだけ運び込んで集まって脱出しており、一般住民に気付かれない内に脱出していたという証言[5]はあっても、末端の役場関係者でいち早く民間人に知らせるよう連絡を受けたという記録や証言はなく、多くの人々からは軍人らが意図的に自身の家族と財産を優先的に逃したものと見られている。8月11日昼までに軍・官関係者の家族を中心とした約38,000人が18本の避難列車で移送された[6][注釈 1]。8月11日午後には民間の避難民も新京駅に集まるようになった[8]ともされるが、12日夜になおも居た軍属の家族らが周囲には気付かれないようにして大挙して去り、そこで多くの一般人が異変に気付いたという証言[5]もある。


私は1933年(昭和8年)に生まれた。父は満鉄に勤めていたので、奉天(現・瀋陽)から新京(現・長春)までの鉄道沿線で育った。

45年8月9日、ソ連の参戦で、私たちには急遽、疎開命令が出た母と子どもたちの疎開先は、北朝鮮の宣川(北西部)という小さな町だった。8月15日、玉音放送で敗戦のニュースを聞いたが、初めは信じられなかった。しかし朝鮮の人たちが集まって「マンセイ、マンセイ!」と上げる歓声と、神社が燃える炎を見て、恐ろしさに震えた。
ソ連軍の侵攻で、私たち疎開者は38度線より南に行くことができなくなり、孤立した。そこで満鉄社員の家族は、収容所を脱出し有蓋貨物列車に乗って、再び満州の奥地、新京まで引き返したのである。石炭の積み込みや給水のために止まった途中の駅で、南下するソ連軍の列車と離合することがあった。列車が止まるたびに、自動小銃を持った兵士たちは略奪に走り回った。
疎開列車は、ソ連の軍用列車に偽装してあった。そして、女と子どもだけの集団である。赤ちゃんの泣き声が外に漏れたら、たちまち貨車は壊され、略奪・殺りくされたことだろう。赤ちゃんを捨てさせられる悲劇もあった。私たちは奇跡的に新京に帰り着いた。

https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/detail.cgi?das_id=D0001800086_00000 より引用

※筆者は満鉄社員の家族であり8月9日に疎開命令がでて避難したが、38度線より南へいくことができず、新京まで引き返したとある。
これだけでは一般の人がどうであったのかわからないが、一般の人については何も記されていないのは、8月9日時点で一般の人には疎開命令が出されていなかったのではないかとも思える。


ソ連がいよいよ攻めてきたって時に関東軍はさっさと通化にうつったわけ。8 月 9 日に移っているんですね。それで、満洲の政府に通化へ来いって命令が来たわけですね。だけどね、結果的には 1 人だけ、総務長官が行かなきゃ角が立つっていうんで、行ったんだけれど。だけれども、市民はみんな残っているわけですよ。そして、北満からはどんどん避難民が来るわけでしょう。それなのにね、皇帝は行っちゃった。関東軍の司令部も向こうへ移して、満洲国の政府も移すと。それで、移って来る時の汽車輸送は、家族の分も含めて手配するって。それに政府が怒っちゃってね。そんな一般の市民を置いて、政府の家族だけ団体で逃げるなんてね。冗談じゃない。それよりも、それよりも政府が移っちゃったら、残りの市民と避難民を一体だれが面倒を見るんだとか。それで結局、うちの親父なんか結局最後まで新京に残っていたわけですけれども。
 34頁より引用


※通化は満州国にあった都市


※新京は現在の長春 満州国の首都だった。



安東の引き揚げ者の収容所に入ったのは1946年9月29日。雅江さんの7歳の誕生日でした。

 父母と子ども4人で引き揚げ団の列に加わり、日本への船が出る葫蘆(ころ)島を目指して命がけの移動が始まりました。
~略~
「関東軍(満州に駐屯していた日本軍の部隊)は南に退却、民間人だけが残された。私は学校にさえ通えなかった。戦争になれば弱者は邪魔者にされる。あんな時代を二度と繰り返してはいけない」


 

葫蘆島は満州から日本への引揚船の出発地だった。


安東の場所は、上記リンク先地図を見てください。


ざっと調べてみただけだが、軍人・役人・満鉄社員の家族・引揚げが優先されたという記事ばかりがでてきて
一般人が同等または優先されたという記事は見つからなかった。
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