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シドモアが見た明治期の日本31 富士登山 ③

➀御室浅間神社跡、古御岳神社

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私たちに同行したポーター15人のうち三名が一組となり、それぞれ女性に付きました。彼らは女性軍をおんぶしてでも頂上へ連れていく決意です。堂々とした富士を目指し、先頭のポーターが女性登山者の腰回りに綱を堅く結んで出発し、別のポーターが彼女を前方へ押しました。さらに本人はもう一人のポーターの長い竹竿につかまり、灰から自分の脚を持ちあげる個人的義務(!?)を果たしながら、文字どおり頂上へ向け引っ張られ押し上げられ前身しました。

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苔に覆われた丸太作りの階段を登ると、神社の門や戸口に御幣(祭礼用紙片)が飾られ、さらに野晒しのまま祭壇が据えられた境内[御室浅間神社]を通り抜けました。

御室浅間神社は山梨県南都留郡富士河口湖町勝山の富士山二合目にある。
しかし、御室浅間神社があるのは吉田ルートだ。

シドモア一行は須走に到着し、そこから神社(東口本宮富士浅間神社と思われる)、馬返と移動しているので
須走ルートで山頂をめざすものと思われる。
須走ルートには現在、御室浅間神社はないようだが、御室浅間神社跡が小山町にある。
https://yamap.com/activities/1202576/article

たぶんこの御室浅間神社跡のことを言っているのではないかと思う。
御室浅間神社跡についてはぐぐってもあまり情報がでてこない。
現在は石碑しかないが、シドモアが訪れた明治時代には社や鳥居などがあったのだろう。

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ある神社[古御岳神社]では、私たち一行の足音が近づくとほら貝ラッパを吹き、吊し太鼓をドーンと叩いて合図し、紫と白の上着に厚紙の黒烏帽子姿の神官たちが快活に出迎え、温かい麦茶をふんだんに出してくれました。私たちの依頼で朱の大文字が書かれた御札と、この二合目基地(現・五合目)の印を服に張り付け、神社の紋章を焼印した正規の巡礼杖を売ってくれました。


地図を見ると、かなり登って来られたのだなあ、と思う。


 

⓶八合目

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私たち一行のうち、パイクス山[コロラド州ロッキー山脈の山]登頂を経験したベテラン二人は、はるかかなた、濃いチョコレート色の斜面に白い点となって見えました。


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快活な小柄のポーターが木綿着をずぶぬれにしながら、私を励まし溶岩の角の周りにロープを張って一休みしました。

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ところが、傾斜した溶岩沿いの道を一瞥した瞬間、太陽が照っているはずのあの空から、泡立つ波頭が落下してきました。奔流がうなり押し寄せ、大参事に巻き込まれる寸前、辛うじて落下ルートの横断に間に合いました。

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目もくらむ雨、吹きまくる嵐の中、二時間もの厳しい登りの後、ようやく八合目の避難小屋に到着したときには体はすっかり冷え切り疲労困憊の体でした。

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土曜日から火曜日まで三日三晩切れ目なく渦巻く嵐は、私たちを暗く煙の充満した小屋の中に囚人のごとく高速しました。

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二日目の午後、頂上小屋の管理人が突然、窓に現れました。半分死んだような姿を見て、ポーターらは興奮して引っ張り込み、手足の傷ついた遭難者を介抱しながら、唇へ暑い酒を数杯注ぎました。富士頂上で為す術もなく吹き曝され、嵐と戦った彼の話は「晴れ」を待望している全員の気持ちをいっそう暗くしました。彼は米櫃が空となり、食糧調達に決死の旅を試みたのです。すぐに私たちは、ここの管理人にも同じ絶望的努力が強いられると予感しました。

天候が荒れた際の富士山登山の大変さが伝わってくる。

③富士山頂

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戸口の閂が外されると、淡い陽の光と静かな風が虜囚のいる薄暗い穴蔵に入り込み、晴れゆく天気を予想させました。

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頂上の傍、噴火口の縁にある鳥居を潜り、険しい溶岩の階段を登ると、最終基地[十合目]へ到着しました。

これは久須志神社(富士山本宮浅間大社東北奥宮)の鳥居の事ではないかと思う。

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風が吹き始め、雲が立ち込める寸前に辛うじて山頂に到着すると、下界は再び濃密な雨の渦巻く海原と化しました。

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たくさんの社がある噴火口の縁を一周する余裕も、火口底部の鳥居に飾られた小道をたどる余裕もありませんでした。私たちは神社の手続きを急ぎ、寒さに凍えた神官から金剛杖に焼印を推してもらったり、ハンカチや服にスタンプしてもらったり、さらに山頂登攀記念に挿絵入りの証明書をもらったりしました。

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富士山火口

残念なことにシドモア一行はお鉢巡りが叶わなかったのである。
お鉢巡りとは、富士山の火口の縁をめぐるもので、所要時間は約1時間30分ほど、距離は約2.6キロである。

④富士下山

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八合目の基地で会計帳簿を作成し待っていた小屋の主人が、記録メモをたくさんめくり、三日間の外人部隊まかない請求を読み上げました。あらゆるものが品目ごとに箇条書きにされ、皇位で勧めたはずの日本酒や茸シチューさえも含まれていました。主人は本能的に頭をひょいと下げ、私たち七人に総額五八ドルの請求書を見せ、ひたすら言い訳を繰り返し、さらにポーターやボーイからの抗議、避難には一切耳を塞ぎ、日本語や英語の脅迫、毒舌を延々と続けました。シャイロック[シェイクスピアの戯曲「ベニスの商人」の登場人物]のごとき宿主は、ついに半額の三〇ドルで同意し、起源より受け取る段となり、ようやく諍いは終わりました。

これと同様の値段のつりあげについては、イザベラ・バードも書いていた。
「江戸~明治期の日本人は正規の料金を偽らなかった」という保守の論者がいるが、そんなことはなかったのである。
宿主は30ドルで同意したということは、この値段が正規の料金か、または若干高めの料金なのだろう。
その倍もふっかけるというのは、現代の日本人の感覚ではあまりにひどいw

p235
黄色い服を着たポーターが私をロープでしっかり結び、一緒に飛び込み滑走を開始しました。緩い燃殻の急流を転がり、濡れた灰の中に足首までつかり、まるで競技場の選手さながら駆け下りました。昇りコースではたくさん時間を費やした区間をたった数分で滑り降り、途中温かいお茶を飲むため止まった休憩小屋はわずか数ヵ所でした。

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聖なる山が夜明け間近の淡い灰色の中に明るくくっきりと見え、しばらく昇る朝日を見るため待機しました。急に海側からくすんだ茶の霧が押し寄せ、天高く照るつきを横切り、あっという間に眼下の平野を消しました。カンパンやチョコレートで四時の朝食を済ませた私たちはブロッケン現象の陰をそのままに、また籠に戻りました。

シドモア一行は富士山をおり、乙女峠まで戻ってきてここから朝日を望んでいる。
方角的に、富士山は朝日が出る方向とは反対側の西に見えるはずである。
朝日が昇って来るのを見、振り返って朝日のあたる富士山をみようとすると、霧がでて富士山のある方角にブロッケン現象が現れたのだろう。

ブロッケン現象(ブロッケンげんしょう、英: Brocken spectre)とは、太陽などの光が背後から差し込み、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象。


 

p239
ところで、輪が母国のレーニア山[ワシントン州中西部の高峰・タコマ富士]も万年雪に覆われ、斜面の森林がピュージット湾内に濃い緑の影を落とし、昔も今も変わらぬ愛すべき山です。

レーニア山

レーニア山


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