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シドモアが見た明治期の日本14 東京⑧ 

※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳  講談社学術文庫」よりの引用です。

※まちがいなどありましたら、教えていただけると嬉しいです。

㉕草花信仰

p104
外国からいかなる悪しき干渉があろうとも、日本の首都における草花信仰は果てることはありません。日本の陰暦[旧暦]は花咲く椿、梅、桜、藤、蓮、菊、楓の時期を分けています。蜜柑と茶の花だけが特別な花の祭典から省かれています。

p104
彼らはこの花の祭典に、感傷的情感と霊魂とお祭り騒ぎを注入します。先祖のだいから花を愛でる精神を引き継いできた日本人は、地方に咲く様々な素晴らしい花を観賞するため、毎年美の聖地へ向け巡礼を繰り返してきました。


シドモアは明治の東京について述べているが、現在でも日本各地で花を愛でる習慣がある。
シドモアがあげたほかには、コバノミツバツツジ、山吹、バラ、皐月、平戸つつじ、キリシマつつじ、新緑、紫陽花、花菖蒲、百日紅、コスモスなども人々の心を魅了している。
そして冬には六花、雪の花も美しい。

シドモアはこのように花を愛する日本人の心を草花信仰、花を見に行く行為を巡礼と書いていて、なるほど、と思った。
私たちが花を愛する心はわけがわからないまま心にめばえてくるのだが、それは信仰であったのだと、シドモアの文章をよんで気がついた。

㉖新年

p104
それでも、この時期どの戸口にも常緑樹と花のアーチが作られ、網藁縄で縛った松と竹[松飾り]が家の前に置かれ、稲藁の房が玄関の庇に花綱飾りされ、さらに提灯が並んで吊り下げられます。象徴的に餅、伊勢エビ、橙、羊歯の葉でデザインしたしめ飾りが玄関の横木にしっかり止められ、最も形のよい屏風が玄関正面に縦らえ、たくさんの正月のシンボルや名刺盆が玄関に置かれます。

アーチ(英: arch)とは、中央部が上方向に凸な曲線形状をした梁、もしくは上方向に凸な曲線形状そのものを言う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81 より引用


https://www.jalan.net/event/evt_284728/
なるほど、アーチ型といえなくもない。

門松のルーツは平安時代の小松引きであるといわれる。
京都の上賀茂神社では燃灯祭(乙子神事)を行っている。
御阿礼野で小松をひき、玉箒草(燃灯草)を添えて紙に包むという神事で、平安時代の宮中の年中行事に由来するとされる。

燃灯祭(乙子神事)

で、京都の門松はこんな形をしている。

仁和寺 京門松

仁和寺 京門松

根引き松といって、小松をひいたそのままのような形で、根がついている。
おそらくこの京門松(根引き松)が門松の原型だと思う。

明治時代の門松はどのような形をしていたのか、「常緑樹と花のアーチ」「網藁縄で縛った松と竹」とあるので、現在よく見られるような、松と竹に葉ボタンなどを添えたものであったのではないだろうか。

「稲藁の房が玄関の庇に花綱飾りされ」
とあるのは、下の動画1:46や、4:46あたりのようなものだろうか。(他にもたこのようなものがたくさんでてくる。)




「象徴的に餅、伊勢エビ、橙、羊歯の葉でデザインしたしめ飾り」というのは現在でも正月に、玄関の戸口に飾られることの多いしめ飾りのことを言っているのだろう。
上の動画にもいろいろなデザインのしめ飾りが登場するが、餅、伊勢エビを飾ったものはない。
橙、羊歯の葉はスーパーで売っているしめ飾りにも普通についているが、まさか餅、伊勢エビはないだろうと思ったのだが
なんと、田中町甲斐神社には伊勢海老のしめ飾りを飾るそうである。


こちらは佐賀の注連縄で、伊勢エビはつくりものだが、かつては本物のしめ飾りを飾っていたのかもしれない。

餅をつけたしめ飾りはみつからなかったが、伊勢エビがあるくらいなので、餅をつけたものもあったのだろう。

名刺盆は切手盆とも呼ばれ、ご祝儀やお布施を渡したり、金銭の受け渡し、名刺をもらうときなどに用いる小さなお盆である。

現在ではお年玉はポチ袋にいれてそのまま渡すことが多いが、明治には名刺盆にのせて渡していたのだろうか。
そう思って調べてみたら、お年玉に現金を渡すようになったのは昭和30年代(1955年 - )以降だという。
それ以前のお年玉は主に玩具であったらしい。
それではその名刺盆は何にもちいていたのか?

江戸時代、名前や屋号を書いた名札をもって挨拶回りする習慣があったという。
明治時代になって名札は「名刺」と呼ばれるようになるが、江戸時代以前も名詞と呼ばれていたそうで、呼び方がもとにもどったということになる。

家にいて、挨拶周りの人がやってきたときに名刺盆で名刺をうけていたということだろうか。

p105
この時期は全て借金が返済され、同時に慣行上の儀礼訪問や饗応で三日間とられます。

正月の話をしているので、「この時期は」とは「正月」のことのようだが、年末のことを言っていると思う。
江戸時代はツケで買い物をするのが一般的で、年末にツケを払う習慣があった。
明治時代も同様の習慣が続いていたのだろう。

p105
お互い誰に対しても「シンネン オメデトウ(私はあなたに幸せなシンネンを望みます)」とか、「マンザイ ラク(万年も幸せに)」と挨拶します。

なんと、明治時代には新年のあいさつに「萬歳楽」といっていたのだろうか?


萬歳楽とは隋の煬帝が作曲したと伝えられる雅楽の曲名である。

また、正月には門付けの萬歳が行われていた。

門付けとは人家や商店の門口に立ち、音曲を奏したり芸能を演じたりして金銭を得る大道芸のことである。



萬歳とは、新年の言祝ぎの話芸で、現代の漫才のルーツとされる。

p105
また誰もが友人に贈り物を届け、たとえば果物籠、ぼた餅やお萩を祝い紙に包みます。

よく、ぼたもちは「牡丹餅」で春彼岸(春分の日/3月22日ごろ)、おはぎは「お萩」で秋彼岸(秋分の日/9月22日ごろ)に食べるなどといわれる。
しかし、春彼岸、新暦3月23日ごろに牡丹は咲かない。私が牡丹の写真を撮りに出かけるのは、初夏の新暦5月ぐらいだ。
萩は秋分ぐらいには咲いているが。

その春彼岸や秋彼岸に食べるぼた餅やおはぎを正月に友人に贈るというのだ。
ぼた餅とおはぎの違いは食べる季節以外に何かありそうである。

ぼたもちは牡丹の花のように大きな丸い形、おはぎは萩の花のように細長い俵型のような形状で作られていたなどともいわれる。
また、ぼたもちはこしあん(春にはあずきが固くなっているため皮を取り除いてこしあんにしていた)、おはぎは粒あん(収穫したばかりの小豆は皮が柔らかく粒あんで食べられる)であるともいう。

しかし、地域によって何をぼたもちといい、何をおはぎというか、異なっているともいう。

シドモアがいうぼたもちとおはぎがどのようなものを言っているのかよくわからない。

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