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シドモアが見た明治期の日本⑥ 横浜5 ※追記あり

ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳  講談社学術文庫」よりの引用です。


❶鎌倉 つづき

p70
明るい春の朝、男、女、子供らが海草を集め、砂浜に乾かすために収集物を広げ、乾燥後は米国のアイスランド苔と同じ美味な食べ物に変わります。


↑ この方のブログ記事によれば、アイスラン苔はお茶にしたり、スープにしたりするそうである。
見た目はキクラゲのようで、たいしておいしいものでもないようですw

❷江の島

p72
鎌倉の黄金弓の湾の向こう側に、もう一つの砂浜・片瀬海岸があり、その目の前に日本版モン・サン・ミッシェル[フランス西部の島]江の島がそびえています。江の島は満潮になると島になります。陸へ向かう方向以外は、すべて絶壁のように海上から切り立っています。絶壁正面は切り裂かれ、深い森におおわれた峡谷となり、谷間は引き潮の際、浜辺とつながって長い砂州となります。





動画の説明欄には「毎年6月の大潮のころ江の島の海に現れます。」と記されている。

大潮とは「満月と新月の頃の、干満の差の最も大きい潮」のことである。


https://www.bepal.net/archives/239243


↑ こちらの記事によれば、
・干潮ならいつでも見られるわけではない。江の島の場合は潮位が20cm以下で見られる。
・鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によると、1216年に徒歩で江の島に渡れるようになった。


というようなことが記されている。


p72
他の伝説的な島と同様、江の島もわずかひと晩で海から隆起しました。島の守護神は七福神の一つ、女神弁天です。弁天サマは山頂まで森におおわれたこの島のすべての祠で、また海からも見える深い洞窟[岩屋]で礼拝されています。



江の島もわずかひと晩で海から隆起しました。

とシドモアは記しているが、伝説は次のようになっている。


鎌倉に五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていた。

天女が舞い降り龍を諭した。五頭龍は天女を好きになったので、天女のいうことを聞いて悪行をやめた。

この五頭龍は龍口明神社(鎌倉市腰越)に祀られている。

五頭龍は海を離れて姿を山に変えた。(藤沢市龍口山)

天女の天下りとともに出現した島が江の島。


シドモアはこの伝説のことを言っているのだろう。江の島には江島神社がある。
上の動画にもでてくるが、宗像三女神を御祭神としている。


西方・・・奥津宮・・・多紀理比賣命、
中央・・・中津宮・・・市寸島比賣命
北方・・・辺津宮・・・田寸津比賣命


江戸時代までは弁財天を祀っていたが、明治の神仏分離の際に宗像三女神に改められた。
弁財天はインドの神なので、日本の神である宗像三女神に御祭神をあらためたということだろう。
ただ、神仏習合の時代(江戸時代まで)には、弁財天と宗像三女神は習合して信仰されていた。


シドモア日本紀行は「1884(明治17)年から1902(明治35年)の記録」である。
シドモアが江の島を訪れたのは1884(明治17)年から1902(明治35年)だが、どうもまだ御祭神が宗像三女神ではなく弁財天であったのだろうか?


p73
この食べ物は魅惑的匂いを発散し、巡礼団はインク色の塊を箸で一口つまんで味わっていますが、外人向け日本食リストには「日本料理によくあるニカワ質系統の無味乾燥な料理」と酷評されています。


これはサザエについて記されたものだ。私はサザエは大好物だが、外国人の口にはあわないらしいw


p73

江の島の珍品は、海亀のように巨大な蟹です。ハサミの長さは端から端まで一〇フィート[三メートル]もあり、ものによっては一二フィート[三・六メートル]にも及びます。


いくらなんでも3メートルものハサミを持つ蟹はいないだろうw
バルタン星人も真っ青だ。


※追記
これはタカアシガニではないか、という意見をいただいた。(ありがとうございます!)
調べてみると、鋏脚を広げると3.8メートルもあるらしい。
日本の海にバルタン星人が住んでいたのであるw







p73
もう一つ面白い日本の蟹、ドリーペ・ジャポニカ[平家蟹]は瀬戸内海でとれます。甲羅の背に人面がはっきろと印され、「この生物は勝利者・ゲンジによって海の中に追われ、悲運に殉じた平家一門のサムライの魂の化身である」との伝説がまことしやかに流布しています。誠実な信奉者の間によく知られた追善供養のシーズンには、この武士の霊魂が無数に海からやってきて、月明かりの砂浜に集うという不気味な話もあります。

 


シドモアがいっているように「ヘイケガニはゲンジによって海の中に追われ、悲運に殉じた平家一門のサムライの魂の化身」という伝説がある。


しかし、
ドリーペ・ジャポニカ[平家蟹]は瀬戸内海でとれます。
という表現は微妙である。
「とれる」というと、「収獲して食用にする」というイメージがあるが、平家蟹は食用にはされてこなかった。
おそらく、小さいのでほとんど身がないのだろう。
底引き網にかかることはあるそうだが、「とれる」ではなく「棲息する」といったほうがよさそうである。
シドモアはサザエ、珍品としての巨大蟹について記したのちにこの平家蟹について述べているので、
食用になると勘違いしていたのではないかと思う。


誠実な信奉者の間によく知られた追善供養のシーズンには、この武士の霊魂が無数に海からやってきて、月明かりの砂浜に集うという不気味な話もあります。


追善供養とは、「故人が成仏できるよう、遺族などが法要やお墓参りを行うこと」をいうが、追善供養のシーズンとはお盆のことを言っていると思う。
その理由については、こちらの記事をお読みください。
トンデモもののけ辞典 鬼火⓶『祇園精舎の鐘が平家の亡霊をこの世につれてくる』


「月明りの砂浜」とは旧暦7月15日の満月の夜のことだろう。
旧暦ではお盆は7月15日を中心とした行事だった。
そして旧暦の日付はそのまま月齢をあらわしていた。
すなわち、7月15日は月齢15日で満月であった。


このような伝説は聞いたことはないが、ありそうな話だと思う。
たとえばお盆のことに現れる小型のホタルがヘイケボタルと呼ばれるのも、お盆と平家の関係が深いためだと私は思う。

耳なし芳一が平家一門の墓地の中で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていたという話がある。
この鬼火の正体はヘイケボタルではないかと私は考えている。


ゲンジボタルやヒメホタルは新暦6月ごろにあらわれるが、ヘイケボタルはお盆の時期新暦8月(旧暦7月)ごろあらわれる。
平家一門の館が立ち並んでいた京都の六波羅には六道珍皇寺があり、お盆の時期に迎え鐘を鳴らして先祖の霊を迎える習慣がある。


平家物語の出だしは「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」だが、インドにある祇園精舎には鐘はなかった。
祇園精舎とは京都祇園にある寺の鐘の音という意味で、六道珍皇寺の鐘の音のことではないかと私は思う。


つまり、平家物語は出だしで六道珍皇寺の迎え鐘を語ることによって、平家の霊を、平家の邸宅跡のあった六波羅に呼び戻しているのではないかという推理である。


六道珍皇寺 迎鐘


六道珍皇寺





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