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トンデモもののけ辞典101 河童・産女・山姥 『坂田金時は河童だった?』

妖怪画で知られる鳥山石燕による河童

妖怪画で知られる鳥山石燕による河童

①坂田金時は下毛野公時を脚色して創作した人物?

今日のテーマは河童だが、私は坂田金時は河童ではないかと考えている。
その理由をお話ししよう。

平安時代、源頼光が大江山の鬼退治をしたという伝説がある。
頼光には四人の優秀な家来(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)がおり頼光四天王と呼ばれていた。

頼光四天王のうち坂田金時は童謡「金太郎」で有名である。

京都・八坂神社に石見神楽を見にいったことがある。
その演目のひとつに「大江山」がある。

タイトルからおわかりいただけるように、頼光四天王が大江山の鬼退治をする物語を神楽にしたものである。

石見神楽 大江山

上は鬼に向かっていく頼光四天王のうちの2人だと思われる。

石見神楽 大江山 坂田金時

↑ このルックスは坂田金時だろう。

頼光四天王の他のメンバーは大人なのに、なぜ坂田金時は子供のような姿をしているのだろうか。
とても違和感を覚える。

実は坂田金時は実在した人物ではなく、下毛野公時を脚色して創作した人物ではないかといわれている。
下毛野公時は近衛舎人(皇族に仕え警備、雑用などを行う役職)で、三条天皇の行幸の際には、歌舞(東遊)・騎射(真手結)・相撲使を務めている。
また藤原道長の随身(ずいじん/貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人)でもあったが、18歳でなくなっている。

平安末期に成立した『今昔物語集』では源頼光の郎党は『坂田金時』ではなく『坂田公時』となっている。

⓶坂田金時は製鉄・鉱山と関係が深い?

金時がどこで生まれたかについては諸説あるが、次のような記事もあり、金時は製鉄・鉱山と関係が深そうに思える。

 平安時代中期、天暦9年(955)に近江国坂田郡布勢郷に生まれた。金太郎の出自は明らかではないが、当時この地に勢力のあった息長氏の一族といわれている。この地は製鉄業が盛んで、青年となった金太郎は鍛冶屋で働くことになり、「金の文字の腹掛け」「赤い肌」「鉞」のイメージが生まれた。
 源頼光の家来となり、上京後、金太郎は名を坂田金時と改め、正暦5年(994)、金太郎が住んでいた村の人々を苦しめていた、伊吹山の山賊を退治し、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光とともに、頼光の四天王と称されるまでになる。
 退治するのは、大江山の酒呑童子ではなく、伊吹山の山賊なのである。
 西黒田には製鉄の痕跡が少なからず残っている。「灰原」「タタレン」「穴伏」「焼尾」などの字名。鍛冶屋が軒を連ねていたという布施町の鍛冶屋場庄司(かんじゃましょうじ)など。後鳥羽上皇が佐々木定綱を奉行に鍛冶番匠を従えて名刀を打たせたという記録も残っている。更に、足柄神社(七条町・八条町・本庄町に三社)、熊岡神社があり、奉納相撲も今に伝えている(足柄山は現在存在しないが小字名は残っている)。


金太郎は金と記した赤い菱形の前掛けを身に着けているが、「金」は金太郎の「金」でもあり、また金属の「金」をも表しているのではないだろうか。

また前掛けは菱形だが、これも鉱山や鉱物をあらわしているのではないかと思う。

日本地質学会員の藤井光男氏さんは、群馬県桐生市菱地域は古代鉄生産の里であったとしておられる。

多田銀銅山を開発したと伝わる源満仲が帰依した満願寺には坂田金時の墓がある。
多田源氏は坂田金時を鉱山または鉱物の神として信仰し、満願寺に坂田金時の墓をつくったのかもしれない。

多田鉱山 青木間歩

多田鉱山 青木間歩

満願寺にある坂田金時の墓

満願寺にある坂田金時の墓

③金太郎と河童

さらに私は金太郎とは河童ではないかと考えるようになった。
と言うのは、頼光四天王の一人、卜部 季武(うらべ の すえたけ950-1022)にこんな伝説があるからだ。

「頼光の郎等平季武、産女にあひし話」
夜、 平季武(卜部季武)が馬で川を渡っていると、川の中に産女がいて赤子を渡し、「これを抱け」といった。
季武は女から赤子を受け取り、抱いたまま岸へ向かった。
産女は「子を返せ」と言って追いかけてきたが、季武は陸へ上がって館へむかった。
抱いていた赤子を見ると木の葉だった。

産女がわが子を僧侶に抱かせ、僧侶の念仏や題目によって産女が成仏したなどという話もあり
その際には産女はお礼に黄金の袋をくれたという。

砂金は川で採れる。
産女が卜部 季武に渡した赤子とは砂金の比喩のようにも思える。

また卜部季武菱と金太郎にはこんな伝説もある。

.源頼光は卜部季武を従えて信州明呂山にやってきて、山姥(坂田時之の妻)の家に宿を請うた。
山姥は頼光を家にとめ、すきを見て襲ったが、頼光の武力が勝っていた。
山姥は我が子・怪童丸の助命を請い、頼光は怪童丸を家来にした。
怪童丸は坂田金時と名前を改め、頼光四天王の一人となった。

山姥とは山に住む老婆の妖怪だが、この伝説に登場する山姥は、山は山でも鉱山に住む妖怪なのだろう。
そして鉱山の妖怪・山姥と産女は同一の妖怪であり、産女が川で産んだのが砂金の神・金太郎ということなのではないだろうか。

産女と山姥の伝説は、比喩の仕方が違ってはいても、同じことを言っているように思えるのだ。
ただし、産女の伝説にでてくる赤子(金太郎?)は川で採取される砂金、山姥の伝説にでてくる怪童丸(坂田金時=金太郎)は鉱山の鉱物をあらわしている。

⑤河童の特徴

江戸時代以降の一般的な河童の特徴をあげてみる。
a.子供のような体格
b.全身緑色または赤色
c.頭頂部に皿がある。皿が乾くと脱力したり、死ぬ。
d.口は短いくちばし。
e.背中に甲羅がある。
f.手足に水かきがある。
g.肛門が3つある。
h.生臭い。
i.キュウリが好物。
j.相撲が得意
k.土木工事を手伝う。
l.河童を助けた人間に魚を贈った。
m.薬の製法を教えた。
n.溺れた人の尻小玉を抜いて食べる。

金太郎は子供のような体格であり、体は赤い。
また足柄山で熊と相撲をとったといわれる。
金太郎のヘアスタイルはおかっぱ頭だが、おかっぱ頭は古くは男子の髪型で、むれないように頭頂部を剃っていた。
その髪をそり落とした部分が皿のように見える。
金太郎は端午の節句の鯉のぼりにまたがる姿で描かれることも多く、川のイメージがある。

山口家住宅 鯉のぼり

大阪府堺市 山口家住宅

亀の甲羅

亀の背甲(左図) 腹甲(右図)

上の図は、向かって左が背甲、向かって右が腹甲である。
腹甲は菱形をしている。
金太郎の前掛けが菱形になっているのは、それが鉱物を表すと同時に亀の腹甲を表しているのではないだろうか。

また背甲には六角形や五角形の模様がありますが鉱物の結晶の中には六角形の板状・柱状のものがあり、亀の背甲は鉱山や鉱物を表すもののように思える。

享和元年(1801年)に水戸藩東浜で網にかかった河童の姿。

享和元年(1801年)に水戸藩東浜で網にかかった河童の姿。



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