岸和田地車祭
①岸和田の吉兵衛と狸
大阪府岸和田市には吉兵衛と狸の伝説が伝えられている。
昔、現在の岸和田市並松町あたりに吉兵衛というだんじり好きの男のもとに狸たちが訪れて吉兵衛とともに尻尾で太鼓をたたいた。
それ以降、祭が終わると風に乗って狸の祭囃子が聴こえてくるようになった。
⓶榎木稲荷神社の吉兵衛狸伝説
大阪市堀川戎神社には榎木稲荷神社がある。
榎木稲荷神社は地車(だんじり)の形をしているので、地車稲荷とも呼ばれており、次のような伝説がある。
かつて天満堀川の堀止めに側に榎木があり、その根元に木の神・句句廼知神を祀る祠があった。
榎の大の木の根元には吉兵衛という老狸が住んでいて、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていた。
1839年、その地に本殿・拝殿を造営して正式に榎木神社を創建し、堀川戎神社末社の稲生神社の分霊を合祀した。
明治40年に堀川戎神社と合併してここに遷座した。
願い事が叶った夜には地車囃子が聞こえるといわれる。
榎木稲荷神社 ↑ ↓
地車というと岸和田のものが有名だが、大阪には他の地域にも数多くの地車が現存している。
大阪市平野区の杭全神社の地車祭も有名だし、天神祭でも地車が曳きまわされる。
大阪の祭といえば地車祭といっても過言ではないのだ。
③狸は句句廼知神の神使
稲荷神社の神使は一般的には狐とされ、京都の辰巳大明神には狐の像が祀られているが
辰巳大明神には狸の伝説が伝えらえている。
辰巳大明神の傍らには巽橋があり、狸が橋を渡る人を騙しては、川の中を渡らせるといういたずらをしており、
この狸を祀る祠をたてたところいたずらが収まった
というのだ。
また、四国には狐はいないと言われ(実際にはいる)、四国の稲荷神社の神使は狸である。
榎木稲荷神社は天満堀川の木の神・句句廼知神を祀る祠をルーツとする。
つまり、木の神・句句廼知神が榎木稲荷神社の御祭神である。(宇賀御魂神も祀っている。)
そして狸の吉兵衛は句句廼知神の神使だと考えていいだろう。
ということは、岸和田の伝説に登場する、地車好きの吉兵衛とは人間ではなく、句句廼知神もしくは、句句廼知神の神使である狸と考えられないだろうか。
つまり、堀川戎神社の境内社・榎木稲荷神社の伝説に登場する吉兵衛狸と、岸和田の伝説に登場する地車好きの吉兵衛は同一神で、どちらも句句廼知神の神使ではないかということである。
④物部守屋は榎木の神
私は榎木稲荷神社の御祭神・句句廼知神とは物部守屋の霊ではないかと考えている。
というのは句句廼知神を祀る祠は「天満堀川の堀止めの側の榎木の根元」にあったとされ
現在の神社名も榎木稲荷神社である。
つまり、句句廼知神は榎木の神なのだ。
そして587年、丁未の乱で蘇我馬子vs物部守屋が戦ったとき
守屋は榎木の木の枝で指揮をとっていたところを、迹見赤檮に射られて亡くなっている。
物部守屋は榎木の神だといえるだろう。
⑤陰陽に描き分けられた物部守屋と聖徳太子
ちなみに、この戦いにはまだ少年であった聖徳太子も参加しており
聖徳太子は弓で射られそうになったが椋の木に隠れて難を逃れたという伝説がある。
昔の人はよく自然を観察している。
椋の木は洞ができやすいのだ。
それで聖徳太子氏が椋の木に隠れたなどと言う伝説がつくられたのだろう。
大聖将軍寺 神妙椋樹
聖徳太子と物部守屋は陰陽に描き分けられていると思う。
聖徳太子・・・少年・・・崇仏派・・・弓で射られたが椋の木に隠れて難を逃れた。
物部守屋・・・大人・・・廃仏派・・ 榎木の木の上にいるところを弓で射られて死んだ。
聖徳太子は、1度に10人の人の話を聞き分けたという。
これは聖徳太子は耳がよかったというとだ。
そして榎木稲荷神社は堀川戎神社の境内にあるのだが、
戎さんは耳が悪いといわれ、祠の後ろをたたいて参拝する習慣がある。
ここ堀川戎神社にはそういう習慣はないが、京都えびす神社・今宮戎神社・佐太天満宮の境内社の戎神社などはそのようにして参拝する。
佐太戎神社 ↑ ↓
戎神とは物部守屋のことではないだろうか?
聖徳太子・・・少年・・・崇仏派・・・弓で射られたが椋の木に隠れて難を逃れた。・・・・・耳がいい
物部守屋・・・大人・・・廃仏派・・ 榎木の木の上にいるところを弓で射られて死んだ。・・・耳が悪い?(戎神?)
古の人に戎神と榎木の木の下に祀られていた句句廼知神は同一神という認識があり、
そのため句句廼知神を祀る榎木神社を堀川戎神社と合併して祀っているのではないか?
椋を祀る祠があった。榎木のの元に狸があらわれて尻尾で太鼓をたたいたとあるが
その岸和田の狸とは天満堀川の榎木の木の下にいた狸の吉兵衛のことではないのか?
⑥十日戎と地車囃子
そんなことを考えながら、奈良のおふさ観音の十日戎を参拝した。
おふさ観音 戎像
すると境内では、地車囃子が演奏されていたので、大変おどろいた。
それでやはり戎神とは物部守屋であり、地車囃子は守屋を慰霊するための音楽なのではないか、と思ったりした。
(たまたま演奏していただけかもしれないが)
⑥榎本明神も物部守屋?
さらに奈良・春日大社の境内に榎木神社と一字違いの榎本神社があり、次のように言い伝えられている。
榎本の神はタケミカヅチに『土地を三尺譲ってほしい』といわれ、承諾した。
ところがタケミカヅチの言う三尺とは地下三尺という意味だった。
こうして榎本の神は広大な神域をタケミカヅチに奪われてしまった。
榎本の神は耳が遠いので、柱を叩き、祠を回って参拝する習慣がある。
榎本神社
この榎本明神もまた耳が悪いという。
榎本明神も物部守屋であるのかもしれない。
④地車は荒魂の乗り物?
京都祇園祭の山鉾はゆっくりしたスピードで悠長に巡行するのに対し、地車は荒々しい。
路地をものすごいスピードで駆け抜け、事故も絶えない。死者もでている。
地車に乗っているのはまちがいなく荒々しい神である。
神はその現れ方で三つに分けられるという。
御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面・・・狐?
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・狸?
商売繁盛の神として人々にご利益を授けてくださる戎神は和魂、
ときには死者をも出す地車の神、榎木明神は荒魂だが、
戎神は和魂、榎木明神は荒魂、御霊は物部守屋ということだろうか。
稲荷神はふつう狐だが、狸の場合もある。
狐は和魂、狸は荒魂という事ではないかと思う。
ふつう、稲荷神社といえば狐だが、榎木神社は狸である。
四国の稲荷神社も狸である。
弘法大師が四国の狐を追い出して、狸を開放したなどとも言われている。
そして地車は近畿・中国・四国に多いといわれる。
地車とは吉兵衛の霊である狸の乗り物なのではないか?
大阪には鎌八幡といって、榎木に大量の鎌をつきたてて祈願する習慣のある寺がある。
(残念ながら写真撮影禁止)
この鎌八幡でも物部守屋を祀っているのではないかと思う。
物部守屋の本拠地は大阪で、大阪の森ノ宮という地名は守屋の宮が訛ったものだとする説もある。
大阪の四天王寺は守屋の土地と奴婢を用いて聖徳太子が建てた寺である。
大阪で地車が愛されているのは、物部守屋を偲ぶ人々の心の現れなのかもしれない。
四天王寺
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