トンデモもののけ辞典87 鬼①『節分の鬼は1年の変わり目をあらわす?』
①福は内、鬼も内
関西にはたくさん鬼がいて、人々に愛されている。
今回は私が出会った鬼さんを何匹がご紹介したいと思う。
奈良県 金峯山寺 節分会
節分には「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げるのが一般的だが、金峯山寺・元興寺などでは「福は内、鬼も内」と言いつつ豆を投げる。
このような習慣は全国にある。
⓶鬼を祀る寺?
なぜ「鬼も内」というのだろうか。
その理由はいろいろあるだろうが、ひとつには「鬼を祀っている」というのがありそうである。
神はそのあらわれかたで3つにわけられるという。
御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面・・・福・・・陽
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼・・・陰
このうち荒魂が人々に祟る鬼、和魂がご利益を与えてくださる神(=福)、ということではないかと思う。
鬼と神は表裏一体ではないか、と思うのだ。
陰陽でいえば、和魂が陽、荒魂が陰ということだ。
上は京都の千本えんま堂で授与されていた縁起物だが、福をあらわすお多福と鬼が表裏一体になっている。
この縁起物は神の和魂(お多福)と荒魂(鬼)の概念を形にしたものではないかと思った。
③角のない鬼
その節分会のある地域の人が鬼の子孫というケースもありそうだ。
関西には古社のある地域に、鬼の子孫と称する人が結構住んでおられるのだ。
鬼というと角があるというイメージがあるが、鬼の子孫と称する人々は普通の人間である。
もちろん角は生えていない。
前回の記事 トンデモもののけ辞典 おとろし86『非人・童子・赤熊・鬼の関係』 にも書いたのだが
関西には中世より非人と呼ばれる人々がおり、寺社に隷属し、死体の処理、警護、ハンセン病患者の看護などを行っていた。
非人は結髪することが許されず、大人になっても結髪しない童形であったため、年齢に関係なく童子とよばれた。
延暦寺に隷属し、天皇の棺を担ぐ役割を担っていた八瀬童子が有名である。
最澄が使役した鬼の子孫と言い伝わり、結髪せず長い髪を垂らしていた(大童)ので、八瀬童子と呼ばれていた。
最澄が使役した鬼の子孫と言い伝わり、結髪せず長い髪を垂らしていた(大童)ので、八瀬童子と呼ばれていた。
そして京都には角のない鬼が多数存在している。
千本えんま堂狂言 鬼の念仏
北野天満宮 北野追儺狂言
もともと鬼とは、怨霊のことだったのではないかと思う。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人物のことで、天災・疫病の流行は怨霊の仕業で引き起こされると考えられていた。
八瀬童子などはそのような怨霊の子孫ではないかと思う。
日本では先祖の霊はその子孫が祭祀するべきとされていた。
怨霊は神とした祀られ、その子孫である人々によって祭祀されたのではないだろうか。
怨霊の子孫は結髪しない童形であり、そこから鬼の姿が形作られていったのかも。
今宮神社 やすらい祭
上は京都・今宮神社のやすらい祭を撮影したものだが、赤熊と呼ばれる赤い髪は結髪しない童形であり
少年たちは鬼と呼ばれている。
もともとこの鬼役をするものたちは、鬼=怨霊の子孫だったのではないかと思ったりする。
④無明はマハーカーラ=大黒天?
延暦寺 追儺式
上の写真、中央の灰色の鬼は無明という。
無明とは「明りが無い」という意味になるので、黒鬼といっていいかもしれない。
無明とは「明りが無い」という意味になるので、黒鬼といっていいかもしれない。
延暦寺の国宝館にはたくさんの大黒天像が祀られている。
大黒天は遣唐使だった最澄(延暦寺を創建した)が日本に持ち帰ったといわれるが、大黒天とはもともとはヒンズー教のマハーカーラという神であったとされる。
マハーカーラとは大いなる闇という意味である。
延暦寺の追儺式に登場する無明という鬼は、マハーカーラ=大黒天ではないだろうか。
マハーカーラは破壊の神だが、最澄は延暦寺の厨房の神として大黒天を祀ったという。
それはマハーカーラが闇の神なので、火を打ち消す神、すなわち火の用心の神という事ではないかと思う。
⑤青鬼・赤鬼・黒鬼は死体の状態をあらわす?
延暦寺追儺式の写真を見ると、無明の他、赤鬼・黄鬼・緑鬼(青鬼)がいる。
黄鬼は笑い鬼で、『むさぼりの心』を、青鬼は泣き鬼で『"ねたみ"の心』を、赤鬼は怒り鬼で"『怒りの心』を表すとされる。
しかし、こちらの記事では ↓
法医学者の間で、「鬼の正体は死体」といわれていると書いてあって、興味深い。
腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
↓
腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
↓
.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
↓
骨が露出
ここに黄鬼はいないが、赤鬼・青鬼・黒鬼は存在している。
現在は火葬がほとんどなので、人間の死体の変化をみることはほとんどないが
現在は火葬がほとんどなので、人間の死体の変化をみることはほとんどないが
古には風葬も多く行われていたので、死体を見ることは当たり前にあっただろう。
そうしてその姿から鬼を創作したというのはありえそうである。
鬼という漢字には、「死者のたましい。亡霊。霊魂。」という意味もある。
死ぬことを「鬼籍に入る」ともいう。
死ぬことを「鬼籍に入る」ともいう。
⑥古には鬼は目に見えないものだった。
上は京都・吉田神社の節分会を撮影したものである。
四ツ目は鬼ではなく、方相氏という。鬼に似ているが、方相氏は鬼を祓う正義の味方である。
そのあとに10人の童子(シン子と呼ばれる。シンの字は人偏に辰。)が続く。
そこへ赤鬼・青鬼・黄鬼あらわれ、方相氏が法力で鬼たちを退治する。
枕草子や源氏物語などに追儺式に登場する方相氏の記述がある。
それらの記述から平安時代の追儺式は次のようなものだったと考えられている。
追儺式は戌の刻(午後八時頃)に始まる。
天皇は紫辰殿に出御し、陰陽師が祭文を読みあげる。
次に方相氏が二十人ほどのシン子を従えて登場する。
方相氏は四つ目の黄金の面を着け、真っ赤な衣装(或いは上が黒、下が赤とも)を纏う。
方相氏は大舎人の中から体格のいいものが選ばれた。
方相氏は矛と盾を持ち、矛を地面に打ち鳴らして『鬼やらい、鬼やらい』と唱えて宮中を歩き回る。
その後に殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続いた。
桃の弓と葦の矢を持つのは、桃や葦に邪気を祓う力があるとされていたためである。
平安時代の追儺式と、吉田神社の追儺式には大きな違いがある。
もう一度、平安時代の追儺式についての記述を読んでほしい。
そう、平安時代の追儺式には方相氏は登場するが、鬼は登場しないのだ。
平安時代には鬼は目に見えないものとして追儺式が行われていたのだろう。
吉田神社のように、追儺式に鬼が登場するようになるのは、もう少し後の時代のことだと考えられる。
平安時代後期の人物、大江匡房の『江家次第』には『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』とある。
なんと鬼を祓う正義のヒーロー、方相氏を射るというのである。
さらには室町時代の『公事根源』には、『鬼といふは方相氏の事なり。四目ありておそろしげなる面をきて、手に盾・鉾を持つ。』とある。
方相氏は怖そうな顔をしているので鬼と間違えられたのだろうか。そうではないと思う。その理由についてはのちに述べる。
⑦牛は丑、童子は八卦では艮(丑寅)を表す?
もともとは目には見えない存在だった鬼は、いつしか視覚化された。
それがすでに書いた角のない鬼と、角のある鬼である。
それがすでに書いた角のない鬼と、角のある鬼である。
どちらが先かはわからない。
さて、角のある鬼は、なぜ牛の角をはやし、虎皮のパンツをはいているのか?
私は牛は干支の丑、虎は干支の寅を表していると思う。
干支で12か月を表現すれば、丑は12月、寅は1月である。
干支で12か月を表現すれば、丑は12月、寅は1月である。
つまり、牛の角と寅皮のパンツは丑寅=艮=1年の変わり目を表しているのだと思う。
節分とは1年を24に区切った二十四節気の、立春の前日のことをいう。
立春は二十四節気における正月、節分とは二十四節気における大晦日だった。
そして節分は新暦では2月3日ごろになるが、旧暦は新暦から1か月ほど遅れるので、旧暦の正月は節分と同時期だった。
また方角を干支でいうと丑寅(艮)は東北で、東北は鬼が出入りする方角=鬼門といわれた。
つまり節分の鬼とは、目には見えない1年の変わり目を視覚化したもので、
これを追い払うことで、新年を迎えるという意味があったのではないかと思う。
⑧方相を射る
そこで、⑥の方相氏の話に戻ろう。
平安時代後期の人物、大江匡房の『江家次第』には『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』とある。
なんと鬼を祓う正義のヒーロー、方相氏を射るというのである。
さらには室町時代の『公事根源』には、『鬼といふは方相氏の事なり。四目ありておそろしげなる面をきて、手に盾・鉾を持つ。』とある。
方相氏は怖そうな顔をしているので鬼と間違えられたのだろうか。そうではないと思う。
平安時代、大寒の日、宮中の諸門に土牛を牽く童子の像をたて、節分の夜に撤去していたという。
牛は干支の丑をあらわすものだろう。
牛は干支の丑をあらわすものだろう。
そして八卦では童子は艮をあらわす。
牛=丑=12月
童子=艮=丑寅=12月と1月=1年の変わり目。
童子=艮=丑寅=12月と1月=1年の変わり目。
そして、この『土牛を牽く童子の像』は『身代わり人形』のような役割を果たすもので、
その像の中に冬の気を吸い込むことで、冬の気が宮中に入るのを阻止すると考えられたのだと思う。
その像の中に冬の気を吸い込むことで、冬の気が宮中に入るのを阻止すると考えられたのだと思う。
ここからさらに発展したのが方相氏による追儺式なのではないだろうか。
方相氏は二頭の丑が合体した姿なのだと思う。
それゆえ四ツ目なのだろう。
それゆえ四ツ目なのだろう。
そして、方相氏はシン子をつれている。
これは、『土牛を牽く童子の像』によく似ている。
ちがうのは、『土牛を牽く童子の像』は動かないが、『方相氏とシン子』は人間が演じているので動くということである。
動かない人形よりも動く方相氏によって、もっと積極的かつ徹底的に冬の気を吸い込ませようというのだろう。
そして方相氏が冬の気を体内いっぱいに吸ったところで弓を射て、冬の気を一気に退治するという意図があったのではないだろうか。
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