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トンデモもののけ辞典 おとろし86『非人・童子・赤熊・鬼の関係』


鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「おとろし」

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「おとろし」

①おとろし

概要
江戸時代の『百怪図巻』(1737年,佐脇嵩之)、『化物づくし』(画家・制作年不明、加賀谷れい所蔵)、『化物絵巻』(画家・制作年不明、川崎市市民ミュージアム所蔵)、『百鬼夜行絵巻』(1832年,尾田郷澄、松井文庫所蔵)などの絵巻や、絵双六『十界双六』(国立国会図書館所蔵)、『画図百鬼夜行』では、長い髪におおわれ、顔に前髪をたらした姿で描かれている。いずれにも名称以外の解説文が一切なく、どのような妖怪を意図して描かれたかは不明である[1][2]。
名称
『百怪図巻』、『化物絵巻』などの絵巻物、『十界双六』、『画図百鬼夜行』では「おとろし」、『化物づくし』では「おどろおどろ」、『百鬼夜行絵巻』では「毛一杯」(けいっぱい)の名称で描かれている[1]。
江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』に引かれている古法眼元信が描いた「化物絵」に描かれていたとされる妖怪の中には「おとろん」の名称が確認できる[3]。
妖怪研究家・多田克己は、「おとろし」と「おどろおどろ」の名称の変化について、『化物づくし』では名前をくの字点(踊り字)を用いて「おとろ〱」と書いているため(画像参照)、これを「おとろし」と誤読したものとしている。ただし、「おどろおどろ」は「気味が悪い、恐ろしい」を意味する「おどろおどろしい」の名詞化した名であり、「おとろし」は「恐しい」の上方訛りであり、どちらの名でも意味において大差はないとしている[1]。ぼうぼうとした長髪のことを「棘髪」(おどろがみ)というが、多田や妖怪研究家・村上健司は、この意味も「おどろおどろ」の名に込められているとしている[2]。また、『百怪図巻』『画図百鬼夜行』のいずれも、おとろしを「わいら」と並べて描いており、「わい」が恐れを意味する「畏(わい)」に通じることから、「恐い(わいら)」「恐ろしい(おとろし)」を具現化した、2体で1対の妖怪とする解釈もある[4]。


⓶踊り字 くの字点 変体仮名

妖怪研究家・多田克己は、「おとろし」と「おどろおどろ」の名称の変化について、『化物づくし』では名前をくの字点(踊り字)を用いて「おとろ〱」と書いているため(画像参照)、これを「おとろし」と誤読したものとしている。


この文章にでてくる「踊り字」とは
々、ヽ、ゝ、く(細長く書く)などのことで、おどり、繰り返し符号、重ね字、送り字、揺すり字、重字(じゅうじ)、重点(じゅうてん)、畳字(じょうじ)ともいわれる。


『化物づくし』の「おどろおどろ」(作者不詳)

『化物づくし』の「おどろおどろ」とは、上の絵のことである。
文字の一番最後に細長い「く」のような記号があるが、これが踊り字で「くの字点」という。

くの字点

平仮名は現在は一音一文字だが、古には何種類もあったそうで、変体仮名といった。
おそらく、上の絵の文字は、この変体仮名によって記されていると思う。
変体仮名については、下記サイトに記されている。


お→於 左より3つめ
と→登 一番左
ろ→路 一番左

だろうか。(まちがっていたら教えてくださいねw)

③上方訛り

妖怪研究家・多田克己は、「おとろし」と「おどろおどろ」の名称の変化について、『化物づくし』では名前をくの字点(踊り字)を用いて「おとろ〱」と書いているため(画像参照)、これを「おとろし」と誤読したものとしている。ただし、「おどろおどろ」は「気味が悪い、恐ろしい」を意味する「おどろおどろしい」の名詞化した名であり、「おとろし」は「恐しい」の上方訛りであり、どちらの名でも意味において大差はないとしている[1]。


上方訛りというのは関西弁のことだが、関西では今でも「おとろし」という言葉を使う。
説明にあるように「恐ろしい」という意味であり、
「おとろしよー。」「あー、おとろしー」の様に使う。

「おどろおどろしい」のほうも現在でもつかう。

多田克己さんがおっしゃるように「おとろく」を「おどろおどろ」と読み間違えた可能性はありそうだ。

④連獅子

おとろし、おどろおどろの絵は、連獅子に似ている。




ヘビメタのヘッドバンキングも真っ青なパフォーマンスであるw

おとろし、おどろおどろには前髪に長い一房があるのは、ヘアスタイルは違っているが
連獅子が長い髪を前に垂らして振り回す様を思い出させる。

連獅子は歌舞伎・日本舞踊の演目で、文久元年(1861年)に花柳寿輔の子・芳次郎の名披露目に父子で踊ったという。
初演は明治5年(1874年)。

あらすじは以下のとおり。

二人の狂言師右近と左近が現れ、「獅子の子落とし」の伝承を再現する。

そのあと、間狂言となる。
清涼山の麓で二人の修行僧が出会い、宗派が法華宗と念仏宗だったため、宗教論争になってしまう。
法華宗の僧が題目「南無妙法蓮華経」を団扇太鼓を叩きながら連呼し
念仏宗の僧は叩き鉦(かね)を打って「南無阿弥陀仏」を連呼する。
いつの間にか法華宗の僧侶が「南無阿弥陀仏」ととなえ、念仏宗の僧侶は「南無妙法蓮華経」ととなえてしまうしまつ。
暴風が吹き付け二人の僧は舞台から去る。

親子獅子の精が登場し、牡丹の花の匂いを嗅いで舞う。

赤い髪、白い髪を振り回して舞うのは獅子の親子なのである。

おとろし、おどろおどろが登場する史料の年代はつぎのとおり。
『百怪図巻』(1737年)
『百鬼夜行絵巻』(1832年)
『画図百鬼夜行』(1776年)

連獅子の成立はこれらの史料が成立したあとの1861年だ。
連獅子はおとろし、おどろおどろと関係があるかもしれないが、連獅子が成立する以前よりおとろし、おどろおどろは存在していたということになる。

⑤赤熊

それはともかく連獅子の髪型は赤熊と呼ばれる。

玄武神社 やすらい祭

上は京都玄武神社・やすらい祭を撮影したものだが、頭に赤熊をかぶっている。

赤熊の少年たちは鬼と呼ばれている。

そういえば鬼も似たようなヘアースタイルをしている。
鬼というと角のある姿を思い浮かべる方も多いだろうが、京都の節分会などに登場する鬼は下の写真のように赤熊で角の無いものも多い。

千本閻魔堂狂言 

上は千本ゑんま堂狂言「鬼の念仏」に登場した鬼と幽霊だが、鬼のヘアースタイルは赤熊である。

ぼうぼうとした長髪のことを「棘髪」(おどろがみ)というが、多田や妖怪研究家・村上健司は、この意味も「おどろおどろ」の名に込められているとしている[2]。


とあるが、

ぼうぼうに乱れた髪。「棘・荊棘(おどろ)」は草木や頭髪が乱れ茂るさま。「おとろし」という髪の乱れた妖怪が語源。

棘髪から妖怪「おとろし」が創作されたのか、妖怪「おとろし」から棘髪という言葉ができたのか、どちらかわからない。

ともあれ、赤熊は棘髪ともいえるだろう。

⑥非人・童子・赤熊・鬼の関係

関西には中世より非人と呼ばれる人々がおり、寺社に隷属し、死体の処理、警護、ハンセン病患者の看護などを行っていた。

京都の清水坂辺りには犬神人(いぬじにん/つるめそ)とよばれる祇園社(現在の八坂神社)に隷属する非人がいた。
犬神人は「弦召せ」と言って弓の弦を売り歩いていたので「つるめそ」とも呼ばれていした。

犬神人(つるめそ)の 緋縅着たる 暑さかな 

この川柳は、祇園祭で緋色の着物を着た犬神人たちが警護のために町をうろついている様を詠んだものである。

祇園祭の綾傘鉾では赤熊の人が登場する。

鉾綾傘


綾傘鉾2

『本願寺聖人伝絵』にみえる犬神人。これが犬神人を描いた最古の絵巻といわれる。

上は『本願寺聖人伝絵』に描かれた犬神人だが口にマスクをしている。
口をマスクで覆うのは犬神人のいでたちなのだろう。
綾傘鉾の赤熊のヘアースタイルの人たちもマスクをしている。
彼らは犬神人のいでたちをしているのではないだろうか。

非人と童子と赤熊と鬼には深い関係がある。

非人は結髪することが許されず、大人になっても結髪しない童形であったため、年齢に関係なく童子とよばれた。
八瀬童子などが有名である。

つまり、非人の髪型は赤熊のような髪型だったと考えられる。

そして鬼は酒呑童子、茨木童子のように童子と呼ばれることが多い。
さらに八瀬童子と呼ばれる京都八瀬に住む人々は自ら鬼の子孫を称している。

日本では先祖の霊は子孫が祭祀するべきとされていた。
童子と呼ばれる非人たちは、鬼の子孫であるがゆえ、非人として寺社に隷属しているのだろう。

鬼とは怨霊のことでもある。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことであり、天災や疫病の流行は怨霊の仕業で引き起こされると考えられていた。

そのような怨霊の子孫は非人とされ、彼らもまた鬼と呼ばれた。
そして鬼や非人たちは結髪しない赤熊のような髪型をしていた、ということだろう。

千本閻魔堂狂言 土蜘蛛

上は千本ゑんま堂狂言の土蜘蛛だが、結髪しない赤熊のヘアースタイルである。

赤熊のようなヘアースタイルをした妖怪・おとろし、おどろおどろとは鬼の事だと思う。
ナルホド、鬼はおとろしいし、おどろおどろしい。




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