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トンデモもののけ辞典82 亀入道

寺島良安『和漢三才図会』より「和尚魚」

寺島良安『和漢三才図会』より「和尚魚」

①和尚魚

和尚魚(おしょううお)は、江戸時代の百科辞典『和漢三才図会』にある海の妖怪で、海坊主の一種[1]。
概要
体長は5~6尺(約1.5~1.8メートル)。体はスッポンに似ており、頭部は「和尚」の名の通り頭髪がない坊主頭のように見える[1]。
これを捕らえて殺そうとすると、和尚魚は手を合わせて涙を流しつつ命乞いをするので「助けてやるが、その代わり二度と祟ってはいけない」と言い聞かせて海へ逃がすと良いという[1]。
また、同様に亀の体に坊主頭の人間の頭部を持つ海坊主として亀入道(かめにゅうどう)があり、若狭湾に出現するといわれる[2]。津村淙庵による江戸時代の随筆『譚海』では、これは和尚魚と同じものとされている。この姿を見ると不吉な出来事が起こるとされ、捕えてしまった場合、酒を飲ませて海へ放したという[3]。
妖怪探訪家・村上健司はこの和尚魚や入亀入道を、海亀を妖怪視したものと推測している[1]。


⓶亀に乗った倭宿禰命

和尚魚は頭は人間の坊主、体はスッポンににており
江戸時代の随筆『譚海(津村淙庵)』では、若狭湾に登場する亀入道と和尚魚と同じものとしているそうである。


若狭湾は広いが、亀といえば私は元伊勢籠神社を思い出す。
この神社に、亀に乗った倭宿禰命(ヤマトスクネノミコト)のブロンズ像があるのだ。

倭宿禰命

籠神社 倭宿禰命像

なぜ籠神社に倭宿彌命の像があるのかといえば、籠神社の摂社・蛭子神社の御祭神が彦火火出見命と倭宿彌命だからだ。

籠神社は「倭宿彌命」について、次のように伝えている。

別名を珍彦・椎根津彦・神知津彦 大倭国造、倭直とも云う。
 籠神社の主祭神・彦火明命の四代目の孫 海部宮司家四代目の祖 
神武東征のとき、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現れ、浪速、河内、大和へと神武天皇の道案内をした。
その功労により、神武天皇から倭宿禰の称号を賜った。


ほかの史料による倭宿禰命の記述は次のとおり。(面倒なら飛ばしてもらっても大丈夫です)

①海部氏系図二巻のうち『勘注系図』の註文
「彦火明命―建位起命―宇豆彦命(うずひこ)」
「彦火明命―彦火火出見命―建位起命―倭宿祢」とある。

⓶日本書記
曲浦(わだのうら)で魚釣をしていたところを、椎の棹を授けて船にのせ、名を珍彦(うづひこ)から椎根津彦に改めさせた。
神武天皇に仕え、兄磯城を破った。神武天皇の即位後、倭国造に任命された。

③古事記
亀の甲羅の上に乗っていたのを棹を渡して船に引き入れ、槁根津日子の名を賜った。

④先代旧事本紀
三川大伴部直の祖として景行天皇の皇子

岡山県岡山市東区水門町には亀石神社があり、珍彦(宇豆毘古命)が乗った大亀の化身とされる亀岩をご神体として祀っているそうである。

③倭宿彌命は大阪湾北側を支配する海部氏の首長で、蛭子と同一神?

保久良神社の伝説によれば、椎根津彦命は神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背にのって漂着したという。

吉井良隆氏は次のようにおっしゃっているそうである。
「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長で、西宮夷(兵庫県西宮市西宮神社)の奥夷社の元宮ではないか」

それはありえるかも、と思う。


上の地図、赤丸がついているのが保久良神社、その南にある六甲アイランドあたりがかつて青木の浜と呼ばれていたそうである。
その東には西宮神社があり、青木の浜と西宮神社は距離的にも近い。

吉井良隆氏のおっしゃる「海部」が何を意味するのかわからないが、
籠神社の宮司は代々海部氏の世襲である。
この「海部氏がかつて大阪湾北側を支配する首長だった」と吉井氏はおっしゃっているのだろうか。

籠神社には蛭子神社(恵比寿神社)があって、倭宿彌命も祀られている。

倭宿彌命はイザナギ・イザナミの長子として生まれたが、3歳になっても歩けなかったため
葦船に乗せて流された蛭子と同一神ではなのかもしれない。

④畿内には神武以前、物部王朝があった?

畿内には神武以前、物部王朝があったのではないか、と私は考えている。

記紀には神武より早く、ニギハヤヒが畿内に天下っていた、と明記されているのだ。
このニギハヤヒは物部氏の祖とされている。

籠神社の主祭神・彦火明命 (ひこほあかりのみこと)は、別名を天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命I(ニギハヤヒ)であり、社家海部氏の祖神と伝えている。

つまり、籠神社は物部氏の祖・ニギハヤヒを祀る神社であり、海部氏は物部氏だということである。

籠神社

籠神社

⑤物部氏の倭宿禰は、神武側について称号を賜った。

⓶の内容をもう一度確認しておこう。

神武東征以前、畿内には物部王朝があったが、物部氏の倭宿彌命は神武方につき、浪速、河内、大和へと神武天皇の道案内をした。
その功労により、神武天皇から倭宿禰(やまとすくね)の称号を賜った、ということである。

もともとある国があったところへ、別のところからその国を征服しようとやってきた人物Aがおり、国の王子BがAの征服の手助けをした。
そしてその見返りとして高い称号や金銭を賜った、というような話である。

⑥亀は倭宿禰そのもの?

熊野山中で神武天皇の道案内をしたのは三本脚の八咫烏だったが、海の道案内をしたのは倭宿彌命だったたわけである。
山中の道案内はカラスがしたのだから、海の道案内は倭宿彌命=亀がした、といえるかもしれない。

倭宿彌命は亀に乗っていたとあるが、倭宿彌命は亀そのものであると考えられたのではないか。

八咫烏

熊野本宮大社 幟に描かれた三本脚の八咫烏

7⃣元伊勢とは何か

籠神社は元伊勢のひとつだが、元伊勢とは何かについてざっと説明しておこう。

崇神天皇代、疫病が流行った。
崇神天皇はそれまで天照大神・倭大国魂神を宮中に祀っていたのだが、崇神天皇は二神と一緒に生活するのが怖くなって皇居の外で祀らせることにした。
(「疫病が流行るのは天照大神・倭大国魂神の祟り」だと考えられたのだろう。)

倭大国魂神は渟名城入姫命に託して祀らせたが、髪が落ち、体が痩せて(倭大国魂神の祟りでそういう症状になったと考えられたのだろう)祀ることができなかった。
その後倭大国魂神がどうなったのかよくわからないが、オオタタネコに大物主神を祀らせたところ疫病は静まり、はむかう者もいなくなったという話がでてくるので、倭大国魂神と大物主神は同一神なのかもしれない。

さて、天照大神は豊鍬入姫に託して笠縫邑で祀らせた。
その後、豊鍬入姫が年老いたので、倭姫に祀らせた。
倭姫は天照大神を祀るのにふさわしい土地を探して各地を巡った。
その時々に天照大神を祀った場所を元伊勢といい、60か所に及ぶといわれる。

籠神社はその元伊勢のひとつなのである。

最後は天照大神が伊勢の国にやってきたとき
「この神風の伊勢の国は、常世(とこよ)の浪(なみ)の重浪(しきなみ)の帰(き)する国なり、傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり、この国に居らむとおもう」と託宣したので
天照大神は伊勢に祀られることになった。

これが伊勢神宮である。

伊勢神宮

8⃣天照大神は物部氏の祖神だった?

天照大神はご存じのとおり、天皇家の祖神である。
そうであるのに、物部氏の神・彦火明命(ニギハヤヒ)や倭宿彌命を祀る籠神社が元伊勢とはどういうわけだろうか。
(籠神社では相殿神として天照大神も祀ってはいるが。)

実は本当の天照大神とはニギハヤヒではないかという説がある。
ニギハヤヒは先代旧事本紀では天照国照彦火明櫛玉饒速日命という神名になっている。
これは天照大神によく似た名前である。
ニギハヤヒは男神だが、天照大神は男神とする信仰は各地にある。
たとえば京都祇園祭岩戸山のご神体の天照大神も男神である。

岩戸山 天照大神

京都祇園祭岩戸山のご神体・天照大神

天照大神とニギハヤヒが同一神なので、元伊勢籠神社では物部氏の神・彦火明命(ニギハヤヒ)や倭宿彌命を祀っているのではないか?

崇神天皇は天皇家の人間であり、物部王朝を何からかの形でのっとった。
(記紀神話には入り婿の話が多いので、入り婿になることで物部王朝をのっとったのかもしれない)

一般的に先祖の霊は恐ろしいものではない。どちらかというと守護神のように感じる存在である。
しかし疫病が流行ったとき、崇神天皇は天照大神・倭大国魂神を恐ろしく感じて、宮中の外で祀らせた。
これは天照大神・倭大国魂神に対するやましい心が崇神天皇の中にあったためではないか。
なぜ崇神天皇はやましい心を持っていたのか。
それは自分の先祖または自分自身が、物部王朝をのっとったという自覚があったためではないか。
それゆえ、物部氏の神である天照大神(ニギハヤヒと同一神?)・倭大国魂神を恐れたのではないか?

先代旧事本紀は、倭宿彌命を、「三川大伴部直の祖として景行天皇の皇子」と記している。

景行天皇は第12代天皇で、ヤマトタケルの父親である。
景行天皇は物部王朝の天皇をモデルとして創作されたものなのかもしれない。

三河大伴氏は、866年の応天門の変で失脚した伴善男の子・伴員助(トモノカズスケ)を祖としているようだ。

つまり、倭宿彌命は物部王朝の天皇・景行天皇の子であり、三河大伴氏の祖、ということなのかもしれないが
三川大伴部が三河大伴氏と同じものかどうかわからない。

9⃣石上神社は天照大神を祀る神社?

上の祇園祭岩戸山のご神体の写真を見ると、天照大神の前に鶏がいるが、鶏は天照大神の神使とされている。
伊勢神宮内宮には白い鶏が放し飼いにされているそうだが、私が参拝したときには鶏の姿はなかった。

奈良県天理市に石上神宮があり、こちらには祇園祭岩戸山と同様の茶色い鶏が放し飼いにされている。
伊勢神宮の古名は「磯宮(いそのみや)」といったそうで、関係がありそうである。

この石上神宮は物部氏が祭祀する神社である。

石上神宮の主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)といい、御神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊とされる。

もしかするとこの布都御魂大神とは天照大神と同一神であり、
それゆえ磯宮(いそのみや)という伊勢神宮の古名と、石上(いそのかみ)と似た神社名であり
また同じように神使である鶏を放し飼いにしているのかもしれない。

⑩亀入道は倭宿禰命?

ようやく、亀入道の話に戻ることができるw
つまり、亀入道の正体とは、亀に乗って現れ、神武の道案内をした倭宿禰命の事ではないかと思うのだ。

入道とは仏門に入った人のことだが、籠神社は寺ではなく神社ではないか。
倭宿禰命像も神の姿をしていて、僧侶の姿ではない、といわれるかもしれない。

しかし、江戸時代までの日本では神仏習合が当たり前だった。
調べたところ天蓋山大谷寺という寺が、籠神社の奥院で、元別当寺(神宮寺)であったようだ。

倭宿禰命は神武の道案内をしたというが、どこまで本当かわからないし、国を乗っ取られたことに恨みを抱いて怨霊になったことだろう。
怨霊というのは神である。

しかし、怨霊の倭宿禰命は仏門に入り、煩悩をすてて悟りを開き、人々に祟るのをやめる。
そう言った目的があって、神仏は習合されていたのではないかと思う。

そうして亀に乗った姿の倭宿禰命は僧侶となり亀入道となったが、それでも恨みは消えなかったようで
亀入道の姿を見ると不吉な出来事が起こる、などと考えられたのではないだろうか。


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