土蜘蛛の謎⑰ 空也搭はなぜ首桶の形をしているのか?
土蜘蛛の謎⑯ 東国に飛び立った将門の髑髏 と 東国へ旅立った空也 より続きます~
①将門の怨霊鎮魂に情熱をそそいだ空也
940年、平将門は東国で反乱をおこし、朝廷が派遣した平貞盛・藤原秀郷らの軍と戦って戦死した。
将門の首は京に持ち帰られて鴨川のほとりで晒された。
その首が飛び上がって鴨川を越え膏薬図子に落ち、近隣住民に祟ったたという伝説がある。
空也は将門の供養のため念仏道場をつくり毎日念仏をあげたところ、ようやく将門の首は祟らなくなったという。

膏薬図子 神田神宮(京に持ち帰られた平将門の首が晒された場所に立つ)
なぜかあまり語られることがないが、空也は平将門の怨霊鎮魂に情熱を注いだ人物だったのである。
②六波羅蜜寺は平将門を慰霊する寺?
951年、京に疫病が流行し、鴨川は死体で溢れかえるような惨状になった。
そこで空也は十一面観音を刻んで市中をひきまわし、病人にはお茶を飲ませた。
これが六波羅蜜寺の創建とされている。

六波羅蜜寺 皇服茶 現在でも六波羅蜜寺では正月の三が日、参拝者に皇服茶を授与している。
六波羅蜜寺は鴨川のほとりにあって将門の首が晒された場所から近い。
私は951年の疫病の流行は将門の怨霊の仕業だと考えられたのだと思う。

六波羅蜜寺の近所には祇園の町があるが、祇園では1年中「笑門」の札をつけた注連縄を飾る習慣がある。

祇園の注連縄
祇園には八坂神社があるが、八坂神社では7月の祇園祭の際に『蘇民将来子孫也』と記したお札を授与している。この『蘇民将来子孫家門』を略すと『将門』となり、逆賊とされる平将門に通じるので、『笑門』になったとする説がある。

八坂神社 節分祭
祇園は平将門の首が晒された場所に近く、人々は平将門の怨霊をおそれていたことだろう。
そのため陰である『将門』を語呂合わせで陽の『笑門』とかえ、注連縄に記して飾っているのではないかと私は考えた。
そして六波羅蜜寺は空也がたてた膏薬図子の念仏道場と同じく、平将門を慰霊するための寺なのではないかと私は思う。
梅原猛さんは聖徳太子は怨霊であると説かれた。
そして法隆寺夢殿の聖徳太子等身大の像と伝わる救世観音は聖徳太子の怨霊封じ込めの像ではないかとされた。
これと同様、空也が刻んだ六波羅蜜寺の十一面観音は平将門の怨霊封じ込めの像ではないかと思う。
いや、六波羅蜜寺の十一面観音は平将門の怨霊(陰)を陽に転じた像だといった方がいいだだろうか。
陰陽道では人々に禍をなす祟り神は神として祀り上げれば守護神に転じると考えられていた。
さらに明治までの日本では神仏は習合して信仰されていた。
仏教のみほとけとは陰である神(六波羅蜜寺のケースでは平将門)が陽(六波羅蜜寺のケースでは十一面観音)に転じたものではないかと思うのだ。
③空也は将門の首を聖人化したものだった?
平定盛という猟師が鹿を殺したことを悔い、空也を開祖として空也堂を創建したという。
空也堂には「平貞盛焼き捨ての兜」なるものがあり、平定盛とは平貞盛のことだと考えられる。

平貞盛とは藤原秀郷と共に朝廷に命じられて将門討伐に向かった人物である。
すると平定盛(平貞盛)が殺した鹿とは平将門の比喩だと考えられる。
空也堂もまた平将門鎮魂の寺であり、空也堂のご本尊は平将門という怨霊(陰)を陽に転じたみほとけなのだろうと考えていた。
ところが予想に反して空也堂のご本尊は空也が自ら刻んだという空也像だった。
そして空也忌は11月13日とされているが、この日は空也の命日ではなく、空也が東国へ旅立った日だという。
鴨川のほとりで晒されていた将門の首は飛び上がって故郷の東国へ飛び立ったという。
空也とは平将門の首を聖人化した架空の人物ではないのか?

空也堂 空也歓喜踊躍念仏
④空也塔は首桶?
東大路通から清水寺へ向かって清水坂を歩いていくと、途中に西光寺という寺がある。
清水坂には多くの観光客が行き来しているが、誰も西光寺には気を向けず門前を通り過ぎていく。
境内に入っても参拝者の姿はなく、ひっそりとしている。
誰も訪れないこの寺を私が訪ねたのは、ここに空也塔なるものがあると聞いたからだった。
西光寺の西500mほどの所には空也を開基とする六波羅蜜寺がある。
六波羅蜜寺は創建当初は西光寺と称したそうである。
西光寺と称する寺は多数あるが、空也塔があるということは六波羅蜜寺と関係の深い寺なのだろうが、詳しいことは調べてみたがよくわからなかった。
かつての六波羅蜜寺は広大な寺域を持っていたということなので、同じ寺であったのが後に西光寺と六波羅蜜寺にわかれたのかもしれない。
空也塔は燈籠の火袋のような形をしていた。

東向き観音寺 土蜘蛛の塚
土蜘蛛草紙には「空飛ぶ髑髏のあとをつけていったところ土蜘蛛の塚があった」とあり、空飛ぶ髑髏と土蜘蛛は関係が深い。
土蜘蛛とは記紀や風土記に登場するまつろわぬ民のことである。
昆虫の体は頭部・胸部・腹部の3つに分かれているが、蜘蛛は頭胸部と腹部のふたつの部分からなり、昆虫とは別の動物とされている。

昔の人は蜘蛛を頭部のない昆虫だと考えたのだと思う。
そして土蜘蛛とは謀反の罪により頭部を斬られた人物の怨霊のことではないだろうか。
東向観音寺の土蜘蛛の塚が燈籠の火袋なら、やはり燈籠の火袋のように見える西光寺の空也塔もまた土蜘蛛の塚なのではないだろうか。
空也塔の傘の部分は蓮の葉を模したデザインとなっている。
蓮阿弥陀仏。
それは時宗の僧・他阿真教が1307年に平将門に送った法名である。

将門の首塚(東京都) 「平将門 蓮阿弥陀佛」と記されている。
いや・・・空也塔は灯篭の火袋よりも、もっと別のものに似ている。
空也塔は首桶に似ている!
http://gensun.org/?img=23%2Epro%2Etok2%2Ecom%2F%7Efreehand2%2Frekishi%2Fimg2%2Fkubioke%2D01%2Ejpg
↑ 上記の写真は阿弖流為の首桶と説明されている。
円筒形の周囲に四本の柱をたてたデザインは空也搭とそっくりである。
なぜこの首桶のように見えるものが空也塔とされているのか。
やはりそれは空也とは将門の首を聖人化した架空の人物だからではないのか。
西光寺・・・京都市東山区清水4丁目
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