1⃣大坊主
大坊主(おおぼうず)は、日本各地の民俗資料、古書などにある大きな坊主姿の妖怪。意味合いとしては大入道とほぼ同様に用いられている[2]。
僧が妖怪視されたことについては、江戸時代のキリスト教の禁制にともなって寺請制度が定められ、寺院の腐敗・堕落が進んだことから、そうした僧らに対して庶民が悪感情を抱いたことが要因の一つと見られている[3]。
2⃣大入道の正体まとめ
「意味合いとしては大入道とほぼ同様に用いられている。」とあるが、この大入道については、すでにこちらの記事に考察を書いた。
昨日も書いたが、大入道の正体についてのさらに簡潔にまとめておく。
①入道雲
⓶部屋を暗くして、手のひらをかざすと手のひらの影が壁に大きく映し出される。これと同様の現象。
③ブロッケン現象。
3⃣木挽き
長野県別所[4]
木挽きを仕事とする長太郎という者の仕事場に、毎晩のように大坊主が現れて「相撲をとろう」とせがんでいた。長太郎が相撲をとるふりをして、坊主の腰に斧を叩きつけたところ、大坊主は逃げていった。その話を聞いた仕事仲間が次の日に大坊主の血痕を辿って行くと、その先は大明神岳の頂上の石宝倉に続いていたという。
江戸時代後期の「木挽」たちの仕事姿(葛飾北斎『富嶽三十六景』の「遠江山中」、1830年ころ)
木挽、または木挽き(こびき)は、木材を「大鋸」(おが/おおが)を使用して挽き切ること、およびそれを職業とする者[1][2]。大鋸挽・大鋸挽き(おがひき)とも呼ぶ[3][4]。15世紀末の資料には、「大鋸」を「おおのこ」と読み「大のこひき」(おおのこひき、大鋸引)と表記する場合もあった[5]。現在の製材、および製材作業者で、かつ卓越した木材の鑑定能力をもつ職能集団を指す。
北斎の浮世絵をみると、これは大変な作業だなあと思う。
材木の上の斜めになったところで木材を伐るのは難しいだろう。
山岸涼子さんの漫画「テレプシコーラ」によればボーリューの舞台は傾斜3.6%で、主人公でバレエリーナの六花は
「体が前につんのめりそう」と言っている。(テレプシコーラ第2部2巻/株式会社メディアファクトリー)
※ページの記載はない。
木挽きにおいても、木材を伐るときに足が踏ん張りづらいだろう。
また、木材の下で伐る方も、中腰になって大鋸を上向きに使うのは大変だと思う。
4⃣大坊主は大明神岳の御神木?
それはともかく、大坊主の正体とはこの木材のことではないかと思われる。
木挽きが木材の上に載って木を伐る姿は、どことなく木と相撲をとっているように見える。
そういったところから『大坊主が現れて「相撲をとろう」とせがんだ』という物語が創作されたのではないだろうか。
そのあと、大坊主は木挽に斧で傷つけられ、その血が大明神岳の頂上の石宝倉に続いていたということは
その木は大明神岳の御神木なのではないだろうか。
石宝倉が何なのかはわからなかった。
5⃣巨木の神がさらに大きくなるためのしかけがろくろ首?
大明神岳(長野県)の大坊主の正体が木だとすれば、大坊主と同様のものとされる大入道のろくろ首が気になってくる。
三重県四日市市で毎年10月に行なわれる諏訪神社の祭礼四日市祭は、大入道山車(三重県有形民俗文化財)で知られる。これは諏訪神社の氏子町の一つである桶之町(現在の中納屋町)が、文化年間に製作したものとされ、都市祭礼の風流のひとつとして、町名の“桶”に“大化”の字を当てて「化け物尽くし」の仮装行列を奉納していたものが進化したものと考えられているが、以下のような民話も伝えられている。
桶之町の醤油屋の蔵に老いた狸が住み着き、農作物を荒らしたり、大入道に化けて人を脅かしたりといった悪さをしていた。困り果てた人々は、狸を追い払おうとして大入道の人形を作って対抗したが、狸はその人形よりさらに大きく化けた。そこで人々は、大入道の人形の首が伸縮する仕掛けを作り、人形と狸での大入道対決の際、首を長く伸ばして見せた。狸はこれに降参し、逃げ去って行ったという。
この大入道と呼ばれるろくろ首もまた、木ではないだろうか。
まず、諏訪神社とあるが、諏訪神社の総本社・諏訪大社では御柱祭が行われている。
↑ これは落下した人のケガが気になってしまう。閲覧注意。
諏訪明神は巨大な木の神なのだ。
その巨大な木の神がさらに体を大きくさせるためのしくみが、首の伸縮、ろくろ首ということではないかと思った。
6⃣恐れる気持ちが巨大な大坊主を生み出した?
静岡県榛原郡上川根村(現・川根本町)[2]
ある墓地近くに暗い杉林に大坊主が現れたといわれる。通りかかった人の背中に負ぶさってくるが、日の光の届くところまで来て、太陽に必死に祈ると、大坊主は離れたという。
私は高圧線の鉄塔の横にあるスーパー銭湯にいくと、ほかのスーパー銭湯ではそんなことはないのだが、なぜだか体が重く感じることがある。
もしかしたら、これは電磁波の影響かもしれないが、昔は高圧線などないので、この大坊主の正体は電磁波ではないだろう。
大坊主の正体は心理的なものかもしれない。
寺社などに「持ち上げて重いと感じると願いはかなわず、軽いと感じると願いがかなう」という石などが置いてあることがある。
かなり以前のことだが、そのようなものを持ち上げてみたところ、大変重く感じた。
しかし、友人が軽いというので、再度持ち上げてみたところ、そんなに重く感じなかったという経験がある。
ものが重く感じたり、軽く感じたりするのは、単に重量だけでなく、心理的なものも影響するのだ。
かつての日本人は物の怪を信じていたようで、友人がいうには
テレビで江戸時代の戸籍のようなものを見たが、死因はほとんど祟りになっていたそうである。
そのように物の怪を信じていた時代、墓地近くの暗い杉林は早く通り過ぎたいという気持ちが生じ、その気持ちが体を重く感じさせたのかもしれない。
7⃣アルコール依存症が大入道を生み出した?
薩州(現・鹿児島県西部)[2]
江戸時代の随筆集『新著聞集』に記述がある。
竹内市助という者が酒宴に出席し、宴の終わった座敷にいたところ、座敷の戸から坊主が顔を出し、その顔だけで3尺(約90センチメートル)もの大きさがあった。坊主に肩をつかまれた市助は、刀を抜いて斬りつけたが、まるで綿のように手応えがなかった。大声で人を呼ぶと、坊主は姿を消したという。
上はアルコール依存症による幻覚ではないだろうか。
アルコール依存症による離脱症状
早期離脱症状は飲酒を止めて数時間すると出現し、手や全身の震え、発汗(特に寝汗)、不眠、吐き気、嘔吐、血圧の上昇、不整脈、イライラ感、集中力の低下、幻覚(虫の幻など)、幻聴などがみられます。後期離脱症状は飲酒を止めて2~3日で出現し、幻視(見えるはずのないものが見える)、見当識障害(自分のいる場所や時間が分からなくなる)、興奮などのほかに、発熱、発汗、震えがみられることもあります。
そして患者さんは、離脱症状による不快感から逃れるために、さらに酒を飲み続けることになってしまいます。
幻覚には、つぎのようなものがある。
幻聴(存在しない音が聞こえる)
幻視(存在しないものが見える)
幻嗅(存在しない匂いが感じられる)
幻味(存在しない味が感じられる)
幻肢(触られていないのに触られたように感じる)
私はケーキを食べる夢をみたことがあるが、ちゃんと味がした。
そのあと目が覚めると、その甘い味が徐々に消えていった。
因幡国(現・鳥取県)徳尾
鳥取県の口承資料『因伯昔話』に記述がある[5]。昼でも木が茂って暗い森があり、ここを夜12時から2時頃に3回通ると、必ず大坊主の怪物が現れるという噂が立った。
これを聞いた羽田半弥太という荒武者が、正体を見破ろう森へ赴いた。夕方に近くの茶屋で夕食をとり、店の主人に怪物の正体を見破りに来たことを話し、半弥太の身を案じつつ愛想良く送り出す主人を後に、半弥太は森へ向かった。
森の奥に辿り着いた頃はすっかり夜が更けていた。怪しい風とともに天を突くほどの大坊主が現れ、目を光らせて半弥太を睨みつけた。彼が動じずにいると、大坊主は姿を消した。
帰り道に半弥太は夕食時の茶屋へ寄り、主人に大坊主が現れたことを話した。
「怪物の大きさは、このくらいでしたか?」
「いや、もっと大きかった」
「では、このくらいですか?」
主人が怖ろしい声と共に、森の中の怪物よりさらに巨大な大坊主へと姿を変え、半弥太は気を失ってしまった。気がつくと、そこはただの野原であり、主人の姿も茶屋も消え失せていたという。
上の例もアルコールによるものかもしれない。
私は下戸なので経験がないのだが、上の「アルコール依存症による離脱症状」の記事に、
見当識障害(自分のいる場所や時間が分からなくなる)とある。
半弥太は茶屋にいたはずなのに、気が付いたら野原にいた、というのは見当識障害をおこした結果ではないか?
弥太一という言葉があるが、酒と関係する言葉であり、この弥太一から羽田半弥太というニックネームを付けたのかもしれない。
「やた」は、豆腐の女房詞「おかべ」をもじった「岡部六弥太」の「六弥太」の略で、豆腐の異称》煮売酒屋で、豆腐一皿と酒一合を注文するときにいう語。また、煮売酒屋の異称。
妖怪・大坊主・または大入道のまとめとしては
①入道雲
⓶部屋を暗くして、手のひらをかざすと手のひらの影が壁に大きく映し出される。これと同様の現象。
③ブロッケン現象。
④木材・御神木(諏訪明神)
⑤恐怖心が生み出した幻覚
⑥アルコール依存症による幻覚
など、その正体は多岐にわたるといえそうである。
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