笄町の大猫を報じた瓦版
1⃣大猫
係る大猫の怪異譚は、武蔵国荏原郡笄町(江戸市中の笄町。明治2年〈1869年〉以降の東京府麻布区麻布笄町、現在の東京都港区南青山6・7丁目~西麻布2・4丁目)界隈での出来事として、今は西麻布(東京都港区西麻布[* 2])と呼ばれる地域で刊行された瓦版(■右の画像を参照)に記されている。時期は不明ながら、江戸時代前期の瓦版はほとんど現存せず、中期のものも少ないのであるから、後期と見るのが妥当であろう。
怪異譚
笄町の大猫を報じた瓦版 [1]
この地にあったとある江戸下屋敷に、ご隠居付きの盲目の鍼医がいたが、治療の帰りに消息を絶った。多くの人々が鍼医を捜したものの、行方は杳として知れなかった。しかし幾日かのち、鍼医は畑の肥壺で発見され、介抱の末に正気を取り戻した。これを聞いた下屋敷の人々は、狐(妖狐)に化かされたのに違いないと考え、狐退治に乗り出した。あちこちから集められた狐釣[* 3]の名人達が狐を捕らえようと夜ごと挑んだ結果、5匹目にしてようやく、名人で百姓の一人がそやつを捕らえた。ところが、捕らえてみたらばそやつは狐などではなく全身斑まだら模様の猫であった。猫は猫でも、立丈 壱尺三寸(立った姿勢の時の体高 約39.4cm[* 4])・横 三尺二寸(自然な姿勢の時の長さ〈※全長か頭胴長かは不明〉約97.0cm[* 5])という見たことも聞いたこともない大猫で、尾が二股に割れていたという。[1]
2⃣全長97㎝ほどの猫は実在する。
妖怪・大猫の体のサイズは
「立丈 壱尺三寸(立った姿勢の時の体高 約39.4cm])・横 三尺二寸(自然な姿勢の時の長さ〈※全長か頭胴長かは不明〉約97.0cm」だという。
立丈というのは、体高、四本の脚でたった時の高さという意味だろう。それが39.4cm。
横は全長(頭~尻尾)か頭胴長(頭と胴の長さ)か不明だが、それが97cmだという。
実際に巨大な猫というのは存在する。
↑ こちらの猫は体長70cmといっているが、体長が全長(頭~尻尾)なのか頭胴長(頭と胴の長さ)なのかわからない。
しかし、妖怪・大猫の全長(頭~尻尾)または頭胴長(頭と胴の長さ)が97cmというのはありえそうである。
全長が97cmであれば、20cmほどの尻尾がある猫であれば頭胴長は77cmとなる。
3⃣尾が二股の猫も実在する。
大猫は「尾が二股に割れていた」とあるが、尾が二股の猫も実在する。
「猫 尻尾 二股」で画像検索すると、こちらもたくさんでてくる。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E7%8C%AB%20%E5%B0%BB%E5%B0%BE%20%E4%BA%8C%E8%82%A1&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&ts=17791&aq=-1&ai=fbe85f90-6d59-4462-a901-df19add2be00&x=nl
たいていは尻尾の先がハート形になったものだが、中には長い尻尾が映えている猫の写真もあった。
こういう写真は合成して作ることが可能だし、本当にこういう猫がいるのかどうかわからない。
「トカゲのように猫が尻尾を切り、また生えてくる」という記事もあったが、それはないだろうと思う。
ただし、人間でも指が6本あったり(豊臣秀吉の手の指が6本あったといわれている。)、足が3本ある人がまれにいるので2本の尻尾のある猫がいてもおかしくはないと思う。
4⃣毛玉で尻尾が2本あるようにみえたのかも
上の動画には毛玉がたくさんできて、まるで九尾の狐の姿のようになった猫の写真が登場する。
参照/トンデモもののけ辞典⑭九尾の狐 と 殺生石 ※追記あり
この写真も事実かどうかわからないが、ありえそうではある。
私は人間の女性の髪にたくさん毛玉ができているのを発見したことがある。
性格のいいマジメな女性だったので、仕事が忙しすぎて、髪の毛まで気にする余裕がなかったのだろうw
人間の髪の毛でも毛玉ができるのだから、猫も毛玉ができて尻尾のようになることがあるのではないだろうか。
というわけで、大猫は妖怪ではなく、実在した猫だった可能性が大と思う。
5⃣枕返しは大猫の仕業?
大崎袖ヶ崎屋敷では、昼夜の別なく長屋にどこからともなく拳大の石が投げ込まれる、宿直の侍が枕返しをされる、灯火が突如として消える、蚊帳の吊り手が一斉に切れて落ちるなどといった、怪しげな出来事が相次いでいた。そのような最中のある日のこと、犬ほどもある大きな猫が長屋門の軒下あたりで眠っているのを見て近侍の者が鉄砲で撃ち殺したところ、それよりのち、妖しい出来事は起きなくなったという。[3][4]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%8C%AB#%E8%A2%96%E3%83%B6%E5%B4%8E%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%8C%AB より引用
ここに「宿直の侍が枕返しをされる」とでてくるが、枕返しとは何だろうか。
上は私が作成した動画である。
1:05 ででてくる善福寺には、聖徳太子の作と伝えられる「枕返し不動明王」が安置されている。
「枕返し」という妖怪がいる。
「枕返し」は単に枕をひっくり返したり、頭と足の向きを変えるといったいたずらをするだけの場合もあるが
「死んだ人の枕を北向きにすると蘇生できない」とか
「眠っている間に身体を抜け出た魂は枕を北向きにされると体に戻ることができない」という俗信もあり
妖怪・枕返しにあって人が死んだという伝説もある。
善福寺の「枕返し不動明王」の正体は妖怪・枕返しなのではないだろうか。
大猫を退治したところ、大崎袖ヶ崎屋敷の枕返しの怪異は起きなくなったという。
枕返しの怪異は、大猫の仕業であると考えられていたということだろう。
群馬県吾妻郡東吾妻町の枕返しは火車(かしゃ)の仕業とされているが、
火車とはネコが化けたものとされている。
そして、この善福寺の近くに猫実という地名があり、猫実の庚申堂がある。(動画06:17)
鎌倉時代、津波で被害を受けた人々は豊受神社付近に堤防を築いて松の木を植えた。
「この松の根を波が越さないように」が「根越さね」となり猫実になったと言われる。
しかし、浦安は海に近く漁業の町であったので、捨てられたりした魚を食べるため、猫がたくさんいた、なんてことはないだろうか。
そしてその猫たちが枕返しをすると畏れられて、「猫来させない」から「猫実」という地名になり
善福寺に枕返し不動明王が祀られたんだったりして。
6⃣江戸時代、日本の猫が尻尾が短かった理由
明治期に日本を旅したイザベラバードは、著書・日本紀行の中で、「猫の大半は尻尾が申し訳程度にしかない」と記している。
かつて、日本の猫の尻尾が短かったのは事実のようで江戸時代の浮世絵師・歌川国芳が描いた猫の絵は尻尾が短いのがほとんどである。

尻尾が長い猫は化け猫になると信じられており、短い尻尾の猫が好まれ、保護されたため、その結果短い尻尾の猫が増えたと考えられている。
中には尻尾を切ったりすることもあったという。
真偽のほどはわからないが、ケンカなどで猫の尻尾がとれるということはわりにあることのようなので、そういうことが行われていたのかもしれない。
ちなみに、鳥獣戯画(平安時代~鎌倉時代)に描かれた猫は尻尾が長い。
妖怪としての猫を描いたのかもしれないが、二股にはなっていないので、この時代の猫は尻尾は長かったのかもしれない。
歌川国芳の絵でも下に尻尾が長い猫が数匹描かれている。
現在の日本では尻尾が長い猫を多く見かけるが、尻尾が短いのは劣性遺伝なので放っておくと尻尾の長い猫が増えるのだという。
これは、閲覧注意 ↓
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