竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「大入道」
1⃣大入道
名称は大きな僧の意味だが、地方によって姿は実体の不明瞭な影のようであったり、僧ではなく単に巨人であったり、様々な伝承がある[2]。坊主(僧)姿のものは大坊主(おおぼうず)ともいう[2]。また大きさも人間より少し大きい2メートルほどのものから、山のように巨大なものもある[3]。
人を脅かしたり、見た者は病気になってしまうとする伝承が多い。キツネやタヌキが化けたもの、または石塔が化けたとする話もあるが、多くは正体不明とされている[2]。
2⃣妖怪・大入道の正体は入道雲?
入道とは仏道に入った人、また坊主頭の人のことを言う。
平清盛は51歳のときに病を患って出家している。
そのため出家後の清盛は清盛入道と呼ばれた。
『芳年武者旡類(よしとしむしゃぶるい) 平相国清盛(たいらしょうこくきよもり)』
妖怪・大入道の正体はずばり、入道雲ではないだろうか。
日本大百科全書(ニッポニカ)「入道雲」の解説
入道雲
にゅうどうぐも
雄大積雲および積乱雲の俗称。むくむくと空高くわき上がるさまが大男の立ちはだかる姿に似ているところから名づけられたものであろう。同じ発想で、関東では坂東太郎(ばんどうたろう)、関西では但馬太郎(たじまたろう)、九州では彦太郎(ひこたろう)または比古太郎(ひこたろう)などとよばれることがある。
[木村龍治]
[参照項目] | 雲
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「入道雲」の解説
入道雲
にゅうどうぐも
一般に,発達した雄大積雲(→積雲)や積乱雲の日本での俗称。積乱雲が空高くそびえ,たこ入道のような形になることからこの名がある。夏に多く発生し夕立や雷雨をもたらす。関東地方で坂東太郎,大阪地方では丹波太郎,福岡付近では筑紫太郎などとも呼ばれる。
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精選版 日本国語大辞典「入道雲」の解説
にゅうどう‐ぐも ニフダウ‥【入道雲】
〘名〙 雄大な積雲で、雲の頂が坊主頭のようにむくむくと盛り上がって見えるものの俗称。積乱雲にも見られる。《季・夏》
※道程(1914)〈高村光太郎〉夏「屋根の瓦が照り返し 入道雲も上(のぼ)せつつ うろん臭げなうす笑ひ」
上記コトバンクには
「たこ入道のような形になることからこの名がある。」
「雄大な積雲で、雲の頂が坊主頭のようにむくむくと盛り上がって見えるものの俗称。」
のように説明されている。
とくに日本大百科全書(ニッポニカ)「入道雲」の解説には
「むくむくと空高くわき上がるさまが大男の立ちはだかる姿に似ているところから名づけられたものであろう。」
とあり、入道雲を大男の姿としているのが興味深い。
積乱雲のでき方はこちらの記事がわかりやすい。
入道雲であれば、山のように巨大というのもうなずける。
北海道のアイヌ集落に大入道が現れたという話があるが、北海道にも入道雲は現れるようで、
「北海道 入道雲」で画像検索するとたくさんでてくる。
江戸時代の見聞雑録『月堂見聞集』巻十六に「伊吹山異事」と題して記載されている[10]。ある秋の夜。伊吹山の麓に大雨が降り、大地が激しく震えた。すると間もなく、野原から大入道が現れ、松明状の灯火を体の左右に灯して進んで行った。
周囲の村人は、激しい足音に驚いて外へ出ようとしたが、村の古老たちが厳しく制した。やがて音がやみ、村人たちが外へ出ると、山頂へと続く道の草が残らず焼け焦げていた。古老が言うには、大入道が明神湖から伊吹山の山頂まで歩いていったということである。これは大入道の中でもさらに大型の部類に属するとされる[3]。
旧暦では秋は7月8月9月である。
旧暦の7月は新暦では8月なので、入道雲がでる。
入道雲が出ると大雨がふる。
大入道が体の左右に灯す灯火とは稲妻ではないだろうか。
雷が落ちると草木が焼けるだろうと思う。
こういう記事があるので。 ↓
サバンナでは、夏になると、落雷による自然発火が頻繁に発生する。
稲妻
3⃣火の前のものの影が壁に大きく映し出された?
岩手県紫波郡に伝わる口碑[5]、鳥虫木石伝「鼬の怪」より。
同郡徳田村大字高田(現・矢巾町)の高伝寺に毎夜本堂に怪火が燃え上がって、その影から恐ろしい大入道が現れるので、寺では檀徒を頼んで夜番を行ってもらっていた。何しろ毎夜のことなので人々も不審に思い、キツネだろうタヌキだろうという評判であった。
ある冬の小雪のサラッと降った朝、寺の周囲を見て歩くと、イタチが本堂から抜け出していった足跡があった。後を追って行くと隣家の木小屋の薪を積んだ下に入ったので、村人多数で取り巻きつつ、その薪を取り退けて見るとイタチの巣があった。巣の中から古イタチを捕らえて殺した。
するとその夜から寺の怪火も大入道も現れなくなった[6]。
上の伝説では大入道は夜あらわれているが、夜にも入道雲はでる。
しかし、「小雪のサラッと降った朝」とあって、冬の物語だ。これは入道雲ではない。
平瀬輔世『天狗通』に描かれた大入道
上の絵はウィキペディア大入道からお借りしたものだが
「妖怪ではなく、一種の幻灯機を用いた手品で人為的に作り出されたもの」と説明書がある。
私は部屋を暗くして、懐中電灯の前にポジフィルムや手のひらをかざしてみた。
すると小さなポジフィルムの映像や手のひらの影が壁に大きく映し出された。
おそらく高伝寺で火を焚く者がおり、その火の前にイタチが現れ、その陰が壁などに大きく映し出されたということではないだろうか。
かつて仙台の荒巻伊勢堂山に、夜毎に唸り声を発する大岩があった。さらにはその大岩が雲をつくような大入道に化けるという話もあった。
当時の藩主の伊達政宗はこの怪異を怪しんで家来に調査させたが、戻って来た家来たちは、大入道の出現は確かでありとても手に負えないと皆、青ざめていた。
剛毅な政宗は自ら大入道退治に出向いた。現場に着くとひときわ大きな唸り声と共に、いつもの倍の大きさの入道が現れた。政宗が怯むことなく入道の足元を弓矢で射ると、断末魔の叫びと共に入道は消えた。岩のそばには子牛ほどもあるカワウソが呻いており、入道はこのカワウソが化けたものであった。以来、この坂は「唸坂(うなりざか)と呼ばれたという[7]。
この唸坂は仙台市青葉区に実在しているが、坂の名を示す碑には、かつて荷物を運ぶ牛が唸りながら坂を昇ったことが名の由来とあり、妖怪譚よりもこちらのほうが定説のようである[8]。
この話も同様の現象によるものではないだろうか。
4⃣ブロッケン現象
越中国下新川郡黒部峡谷に16体もの大入道が現れ、鐘釣温泉の湯治客たちを驚かせた。身長は5丈〜6丈(約15〜18メートル)で、七色の美しい後光が差していたという。後光という特徴がブロッケン現象における光輪と共通することから、温泉の湯気に映った湯治客の影を正体とする説もある[9]。
ここにブロッケン現象とあるが、そのとおりだと思う。
ブロッケン現象(ブロッケンげんしょう、英: Brocken spectre)とは、太陽などの光が背後から差し込み、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象。
※追記(2022年5月17日)
三重県四日市市で毎年10月に行なわれる諏訪神社の祭礼四日市祭は、大入道山車(三重県有形民俗文化財)で知られる。これは諏訪神社の氏子町の一つである桶之町(現在の中納屋町)が、文化年間に製作したものとされ、都市祭礼の風流のひとつとして、町名の“桶”に“大化”の字を当てて「化け物尽くし」の仮装行列を奉納していたものが進化したものと考えられているが、以下のような民話も伝えられている。
桶之町の醤油屋の蔵に老いた狸が住み着き、農作物を荒らしたり、大入道に化けて人を脅かしたりといった悪さをしていた。困り果てた人々は、狸を追い払おうとして大入道の人形を作って対抗したが、狸はその人形よりさらに大きく化けた。そこで人々は、大入道の人形の首が伸縮する仕掛けを作り、人形と狸での大入道対決の際、首を長く伸ばして見せた。狸はこれに降参し、逃げ去って行ったという。
">https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%85%A5%E9%81%93#%E7%A5%AD%E7%A4%BC%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%85%A5%E9%81%93 より引用
長野県の別所[4]
木挽きを仕事とする長太郎という者の仕事場に、毎晩のように大坊主が現れて「相撲をとろう」とせがんでいた。長太郎が相撲をとるふりをして、坊主の腰に斧を叩きつけたところ、大坊主は逃げていった。その話を聞いた仕事仲間が次の日に大坊主の血痕を辿って行くと、その先は大明神岳の頂上の石宝倉に続いていたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%8A%E4%B8%BBより引用

江戸時代後期の「木挽」たちの仕事姿(葛飾北斎『富嶽三十六景』の「遠江山中」、1830年ころ)
木材を「大鋸」(おが/おおが)で伐る職業を木挽きといった。
木挽きが木材の上に載って木を伐る姿は、どことなく木と相撲をとっているように見える。
大僧侶は木挽に斧で傷つけられ、その血が大明神岳の頂上の石宝倉に続いていたということは、大僧侶とは大明神岳の御神木なのではないかと私は考えた。
大明神岳(長野県)の大坊主の正体が木だとすれば、大坊主と同様のものとされる大入道のろくろ首が気になってくる。
この大入道と呼ばれるろくろ首もまた、木ではないだろうか。
諏訪神社とあるが、諏訪神社の総本社・諏訪大社では御柱祭が行われている。
諏訪明神は巨大な木の神なのだ。
その巨大な木の神がさらに体を大きくさせるためのしくみが、首の伸縮、ろくろ首ということではないかと思った。
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