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とんでももののけ辞典69 大座頭


鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「大座頭」

1⃣大座頭

大座頭(おおざとう)は、鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。

解説文には以下のようにある。

大座頭はやれたる袴を穿 足に木履をつけ 手に杖をつきて 風雨の夜ごとに大道を徘徊す ある人これに問て曰 いづくんかゆく 答ていはく いつも倡家に三絃を弄すと[1]

現代語訳は以下の通り。

大座頭はぼろぼろの袴と木履を履き、杖をついて風雨の降りしきる夜を徘徊する。ある人がこの者に、どこに行くのかと訪ねたところ、「いつも娼家(女郎家)に三味線を弾きに行く」と答えたという。

妖怪研究家・村上健司は、夜に徘徊している座頭の姿を石燕が異形視し、妖怪として描いたとしている[2]。また妖怪研究家・多田克己によれば、江戸時代には座頭は幕府の庇護のもとで金融業にも携わっていたことから、鬼のように恐ろしい借金取りとしての座頭の姿を描いたものとしている[3]。


また妖怪研究家・多田克己によれば、江戸時代には座頭は幕府の庇護のもとで金融業にも携わっていたことから、鬼のように恐ろしい借金取りとしての座頭の姿を描いたものとしている[3]。


という記述が興味深いし、私は多田氏の説を支持する。

2⃣座頭とは何か

今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」(一種のギルド)を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。
~略~
元々は平曲を演奏する琵琶法師の称号として呼ばれた「検校(けんぎょう)」、「別当(べっとう)」、「勾当(こうとう)」、「座頭(ざとう)」に由来する。

古来、琵琶法師には盲目の人々が多かったが、『平家物語』を語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座」と言われる団体を形作るようになり、それは権威としても互助組織としても、彼らの座(組合)として機能した。その中で定められていた集団規則によれば、彼らは検校、別当、勾当、座頭の四つの位階に、細かくは73の段階に分けられていたという。これらの官位段階は、当道座に属し職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。金銀によって早期に官位を取得することもできた。

江戸時代に入ると当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。この頃には平曲は次第に下火になり、それに加え地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏家、作曲家としてや、鍼灸、按摩が当道座の主要な職分となった。結果としてこのような盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学の発展の重要な要素になったと言える。また座頭相撲など見せ物に就く者たちもいたり、元禄頃から官位昇格費用の取得を容易にするために高利の金貸しが公認されたので、悪辣な金融業者となる者もいた。

当道に対する保護は、明治元年(1868年)に廃止されたという。


上の文章を簡潔にまとめておこう。

①江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」(一種のギルド)をもうけて障害者の経済的自立を図ろうとした。⓶「座」とは一定の人に対し独占的職種を容認すること。
③座頭と言う言葉は、元々は平曲を演奏する琵琶法師の称号として呼ばれた「検校(けんぎょう)」、「別当(べっとう)」、「勾当(こうとう)」、「座頭(ざとう)」に由来する。
④古来、琵琶法師には盲目の人々が多かった。
⑤琵琶法師たちは『平家物語』を語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座」と言われる団体を形成した。
琵琶法師は検校、別当、勾当、座頭の四つの位階に、細かくは73の段階に分けられていた。
⑥これらの官位段階は、当道座に属し職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。
金銀によって早期に官位を取得することもできた。
⑦江戸時代、当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。
⑧江戸時代、平曲は下火となり、地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏家、作曲家、鍼灸、按摩が当道座の主要な職分となった。座頭相撲など見せ物に就く者たちもいた。
⑨盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学を発展させた。
➉元禄頃から官位昇格費用の取得を容易にするために高利の金貸しが公認され、悪辣な金融業者となる者もいた。
⑪当道に対する保護は、明治元年(1868年)に廃止された

3⃣イザベラバードが記した明治期の座頭

当道座の保護は明治元年に廃止されたというが、明治期の座頭について、イザベラ・バードが著書「日本紀行」の中で記している。

日本の町や村では毎夕男の人(または人たち)が歩きながら一風変わった笛を低く吹きます。
大きな町では、この音はかなり迷惑なものです。
盲目の男たちが吹いているのですが、盲の物乞いは日本では全く見かけません。
盲人は按摩師、金貸し、楽士という職業についており、自立していて敬意を払われ、裕福な階級なのです。
古くはふたつのギルドを形成していました。
うち一つは妻をなくして嘆き悲しみ盲になってしまった親王の興したギルド
もう一つは自分を人質にとった後、妙に優しく遇してくれた寛大な王子を殺害した地という誘惑から逃れるために自分の目をくりぬいた将官がつくったものです。
後者のギルドにはきわめて多くの音楽家がいて、劇場・婚礼・行列・祭でよくお目にかかります。
頭をそった按摩師は全員盲目で、その多くは按摩業以外に月一五%ー二〇%の利率で金貸し業も営んでいます。

『イザベラ・バードの日本紀行/イザベラ・バード(講談社学術文庫)』より引用

Kusakabe_Kimbei 44_Blind_Shampooer

盲目の按摩師

上の絵は、盲目の按摩師が笛を吹いているところだろう。
イザベラ・バードはこの笛の音を聞いたのだろう。


↑ こちらのページでその笛の音を聞くことができた。
本には「低く吹きます。」と記されていたが、かなり高い音である。

「按摩笛」は,現在のように電話などの連絡方法がなかった時代には営業のための有力な手段だったのです。

とある。
私が子供のころには、豆腐売りがラッパを吹いたりやラーメンの屋台のチャルメラ、包丁砥ぎ(砥ぎー、砥ぎーと言いながら歩く)、さお竹売り(「さおだけー、さおだけー」という音声を流しながらトラックを低速で走らせる)というものがあったが(一部現在でもある)

イザベラ・バードが日本にやってきたのは、1878年ごろだ。
そのころの日本では按摩笛の音もいたるところで聞かれたのだろう。

当道座の保護は、明治元年(1868年)に廃止されたとあるが、その後も按摩師として、また金貸し業を営むなどして
彼らは活躍をしていたということだろう。

4⃣親王が興したギルド(当道座)

妖怪と関係はないが、イザベラ・バードが記している二つのギルドについて調べてみた。

古くはふたつのギルドを形成していました。
うち一つは妻をなくして嘆き悲しみ盲になってしまった親王の興したギルド
もう一つは自分を人質にとった後、妙に優しく遇してくれた寛大な王子を殺害した地という誘惑から逃れるために自分の目をくりぬいた将官がつくったものです。

『イザベラ・バードの日本紀行/イザベラ・バード(講談社学術文庫)』より引用

前者、親王が興したギルドについては、ウィキ「当道座」に説明があった。

まとめのみ書いておく。
①仁明天皇の子である人康(さねやす)親王は眼疾によって失明し、山科に隠遁して盲人を集め、琵琶、管弦、詩歌を教えた。
⓶寛永11年(1634年) に当道の沿革などをまとめた『当道要集』によると、当道では人康親王を祖神・天夜尊(あまよのみこと)として崇め、2月と6月に祭祀をするとある。
③親王始祖説については病で隠遁した親王の存在を使った創作ではないかとも言われる。
④鎌倉時代、『平家物語』が流行し、多くの場合、盲人がそれを演奏した。
その演奏者である平家座頭は、源氏の長者である村上源氏中院流の庇護、管理をうけた。
⑤室町時代に検校明石覚一が『平家物語』のスタンダードとなる覚一本をまとめた。
足利一門であったことから室町幕府から庇護を受け、当道座を開いた。久我家が本所。
⑥江戸時代にはその本部は「職屋敷(邸)」と呼ばれ、京都の佛光寺近くにあった。
長として惣検校が選出され、当道を統括した。一時は江戸にも関東惣検校が置かれ、その本部は「惣禄屋敷」と呼ばれ、関八州を統括した。
⑦座中の官位(盲官)は、最高位の検校から順に、別当、勾当、座頭と呼ばれていたが、それぞれはさらに細分化されており合計73個の位があった。
⑧官位を得るためには京都にあった当道職屋敷に多額の金子を持っていく必要があった(江戸の惣禄屋敷が設置されていた時には、関八州の盲人はここで官位を受けた)。
⑨当道座は男性のみが属することが出来る組織。
➉盲目の女性のための組織としては瞽女座があった。
⑪盲僧座とよばれる別組織も存在し、しばしば対立することもあった。


人康親王について調べてみたが、彼の妻の名前などは不明で、「妻をなくして嘆き悲しみ盲になった」ということも
そう言った伝承があるのかどうか、わからなかった。

5⃣盲僧座

近世初期、当道座と九州地方の盲僧との争諍が激化する。当道座の究極の狙いは盲僧を当道座内へ取り込み、盲僧組織を潰すことであったと考えられる。争諍の結果、幕府から下された「御裁許」は当道座と盲僧を峻別する厳しい内容のもので、当道座は「平家」を語る系譜的な正統性を保持し続け、新たな音曲芸能である箏や三味線、浄瑠璃、胡弓などをも独占的に獲得するに至る。

とあり、どうやら当道座は京都、関東、盲僧坐は九州地方にあったらしい。
壇ノ浦の戦いは山口県と福岡県を隔てる海峡で行われ、そのせいか九州地方は平家信仰が厚い。

近代 の筑前地方(福 岡県)で 行 なわれた盲僧琵琶 は、語 り物が文字 テクス トと出会 う現場 を、豊富な資料 と
ともに具体的 に見せ て くれる。
~略~
琵琶 を弾 いて地神経 を よみ、荒神(か ま ど神)の 祓 いや ワタマ シ(新 築 祝 い)な どの民 間
宗教儀 礼 に携 わ った近世 の九州地方 の盲僧 は、筑 前地方 では一般 に「琵琶弾 き座 頭」 「荒神坊主」 な ど と呼 ばれた。坊名 や院号 を称 して いて も、寺 を構 え る者 はほんの一部 で、 ほ とん どの者 は札所 ふ うの小堂 を住居 とし、 四季 の土用 に は檀家 内の台所 回 りを して、 その余興 に端唄や段物(長 編 の語 り物)な どの くずれ(娯 楽 的な出 し物)を 語 っていた。

という記事もある。

同記事には『出世景清』という演目名も見えるが、平景清をルーツとしているのかどうかはわからない。

しかし、こういう記事もあり、九州の盲僧座と景清は関係が深そうではある。

1.古盲僧琵琶 (宮崎・伝景清琵琶)

●伝景清琵琶・宮崎市故川﨑眞鏡蔵

この琵琶は江戸時代の文書にも記され、古典琵琶との共通点を多く持ち、盲僧琵琶の中でもとくに注目を集めてきた。独自の特徴としては、柱と乗弦が古典琵琶よりもさらに低いこと、乗弦の形などが挙げられる。付属の撥は薩摩盲僧琵琶のものと共通する。(報告書P.23)


宮崎市には景清廟があり、次のような伝説が伝えられているようである。

平景清は、敵から「悪七兵衛・景清」として恐(おそ)れられた武将でした。
平家(へいけ)が源氏(げんじ)との戦いに敗れた後、景清は源氏にとらえられました。本当なら死罪になるところを、源氏の総大将源頼朝(みなもとのよりとも)の特別なはからいで、僧として日向に流されました。
日向に来てからの景清は、僧りょとして残りの人生を静かにくらしたいと思いながらも、源氏の繁栄(はんえい)を見るに耐(た)えられず、悩み苦しんでいました。
そして、ついに、その苦しみからのがれるため、「この目がすべての迷いのもとだ。この目があるからいけないのだ」と、自分の両目をえぐって、空に投げつけてしまったのです。
しばらくして、幼い頃によそにあずけていた娘の人丸が大きくなって、はるばる日向まで父を訪(たず)ねてきました。
人丸は寺の門をくぐると、そこにいたやせおとろえた目の不自由な僧りょに向かって、それが父景清であるとも知らず、「このあたりに景清という名の者がいるはずですが、ごぞんじありませんか」とたずねました。
景清はすぐにその声が自分の娘のものであることに気づきましたが、「なにぶんにも目が見えないのでわかりません」とそ知らぬ顔で答えました。
やむをえず人丸は景清のもとをはなれましたが、まもなくしてこの土地の住人と会ったので、事情を説明しました。
するとその人は、「その方はまぎれもなくあなたのお父上です」と言って二人を引き合わせてくれたのです。
こうして景清は、娘人丸と久しぶりの再会を果たしました。そして、景清ははるばる訪ねてきてくれた人丸に「こんなみすぼらしい姿で父と名乗れば、お前の恥(はじ)になると思ったのだ。どうか許してくれ」と涙を流してあやまったのでした。


もう一つは自分を人質にとった後、妙に優しく遇してくれた寛大な王子を殺害した地という誘惑から逃れるために自分の目をくりぬいた将官がつくったものです。

『イザベラ・バードの日本紀行/イザベラ・バード(講談社学術文庫)』より引用

とイザベラ・バードは書いているが、人質にとられたというのは、源平の戦いで敗れたあと捕らえられたことを言っているのだろう。

「妙に優しく遇してくれた寛大な王子を殺害した」というのは、
壇ノ浦の敗戦後に自分を匿った叔父の大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害してしまったために・・・
とあるので、寛大な王子とは叔父の大日房能忍のことだろうか。

大日房能忍は禅宗僧侶で王子とはいえない。
バードは若干勘違いしているようである。
あるいは、バードに誤った内容を教えた人がいたということかもしれない。

6⃣座頭と高利貸し

精選版 日本国語大辞典「座頭金」の解説
ざとう‐がね【座頭金】
〘名〙 座頭が貸す金。非常に高利で、期限も短く、取り立てがきびしかった。
※雑俳・川柳評万句合‐明和四(1767)礼二「座頭金かねのあたまをはってかし」


江戸時代の盲人が幕府の監督をうけて貸し付けた庶民金融。公卿久我家を本所とする京都黒川,江戸杉山両検校支配の瞽座(こざ)(検校,勾当,座頭)の身分72階の格式上げ上納金や,盲人の伝統的職業である三絃教育とあんま,鍼術(しんじゆつ)から得た収入を元手に貸し付けた。瞽座が巨額の資金をもつ姿は,例えば,河竹黙阿弥の歌舞伎狂言の座頭殺し《蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)》で,盲人文弥が盲目の原因を作った姉の吉原身売り金100両を得て,昇格しようと上京途中に殺される悲劇にもうかがえる。


こういう説明をよむと、座頭は高利貸しだったように思える。

石燕が描いた妖怪大座頭は「いつも娼家(女郎家)に三味線を弾きに行く」と答えたそうだが、
そこには女遊びをするために座頭から金を借りた殿方がいて、借金とりたてもかねて三味線を弾きにいっていたのかも?

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