1⃣大蝦蟇
大蝦蟇(おおがま)は、江戸時代の奇談集『絵本百物語』、北陸地方の奇談集『北越奇談』などに見られる巨大なガマガエルの怪異。
妖山中に棲息する野生動物は通常の野外のものよりもずっと巨大なものもあることから、このような巨大なガマの伝承が生まれたと考えられている[1]。また、ガマガエルが妖怪視されたことについては、カエルが長い舌で虫などを捕える様子が、あたかも虫がカエルの口の中に吸い込まれるようにも見えるため、こうしたカエルやガマが人間の精気を吸うなどの怪異のあるものと考えられたとの解釈もある[2]。
~略~
古典
絵本百物語
「周防の大蟆」(すおうのおおがま)と題されている。『絵本百物語』本文によれば、周防国の岩国山(現・山口県岩国市)の山奥に住む大蝦蟇で、体長は約8尺(約2.4メートル)。口から虹のような気を吐き、この気に触れた鳥や虫たちを口の中へと吸い込み、夏には蛇を食べるとある[3]。また挿絵ではこの蝦蟇は槍を手にしているが、この槍で人を襲ったとの説もある[4]。
北越奇談
越後国村松藩(現・新潟県五泉市)で、藤田という武士が河内谷の渓流で釣り場を捜していたところ、山深くの淵のそばに突起だらけの3畳ほどの岩場を見つけ、絶好の釣り場と思い、その上でしばらく釣り糸を垂れていた。
川向かいでも別の武士が釣りをしていたが、その武士は急に帰り支度を始め、藤田に手真似で「早く帰れ」と示して逃げ去った。藤田も不安を感じ、釣り道具を片付けてその武士を追って理由を尋ねたところ「気づかなかったか? 貴行が先ほどまで乗っていたものが、火のように赤い目玉を開き、口をあけてあくびをしたのだ」と恐れながら答えた。
再び2人が元の場所へ戻ってみたところ、藤田の乗っていた岩とおぼしきものは跡形もなく消え失せていた。あれは岩ではなく大蝦蟇であり、突起と思ったものは蝦蟇のイボだったと推測されたという[5]。
2⃣将門の首塚と蝦蟇
蝦蟇といえば思い出すのは平将門の首塚である。
写真向かって左に蝦蟇の置物が置かれている。
この写真は改修後の写真で蝦蟇の置き物の数は少ないが、改修前はおびただしい数の蝦蟇の置き物が奉納されていたそうである。
平将門は朝廷より派遣された平貞盛、藤原秀郷らの軍と戦って流れ矢にあたって死亡し、その首は京に持ち帰られて鴨川のほとりに晒された。
晒された将門の首は飛び上がって故郷まで戻って落ちたといい、その場所に将門の首塚は作られたという。
そのため、「無事帰る=蛙(かえる)」の語呂合わせから、蝦蟇の置き物が奉納されるようになったとされる。
特に地方に転勤が決まったサラリーマンが、無事東京に戻ってこられるようにと蝦蟇の置き物を奉納するそうである。
3⃣滝夜叉姫が呼び出した髑髏のバケモノとは滝夜叉姫の父・将門の首?
相馬の古内裏(歌川国芳画)
平将門の娘、五月姫が貴船明神に丑の刻参りをして滝夜叉姫となり、髑髏のバケモノなどを従えて朝廷に対して反乱を起こすが、破れるという物語があり、歌舞伎などで演じられている。
上の絵は滝夜叉姫が髑髏のバケモノを呼び出したシーンだと思う。
歌川国芳は巨大な人間の全身骨格を描いているが、髑髏のバケモノというからには全身骨格のお化けではなく、
本当は髑髏のみのお化けなのではないだろうか。
ここで2⃣の将門の首が飛んだという伝説を思い出してほしい。
滝夜叉姫が呼び出した髑髏のバケモノとは滝夜叉姫の父・将門の首ではないだろうか。
4⃣亀石は髑髏を象った石?

飛鳥に亀石と呼ばれる石がある。
ぬらりひょんと呼ばれる妖怪がいるが、ぬらりひょんの頭部は亀石にそっくりである。

京都 妖怪ストリート ぬらりひょん
眉間にある半月状のしわまでそっくりである。
亀石は巨大な頭部を象った石ではないか。
そして亀石は亀ではなく、蛙ではないかともいわれている。
すると、将門の首塚に奉納されている蝦蟇(蛙)は、将門が頭の神であるため、それに形が似た蝦蟇を奉納する習慣が生じたのではないかと思える。
5⃣筑波山の蝦蟇の油
3⃣で将門の娘・滝夜叉姫について語ったが、茨城県つくば市松塚の東福寺から200メートルほど離れたところに小さな塚があり、滝夜叉姫の墓と伝わっている。
この東福寺の北14kmほどのところに筑波山がある。

筑波山
『平將門伝説』(村上春樹著 汲古書院)の「第三章將門伝説の分布」にも、「筑波修験 つくば市筑波山 筑波山の修験者一党は、平将門軍に加わって戦い、首領の石念は六十九歳で、壮烈な戦死を遂げたという。」とあるのみです。
http://www.mizunotec.co.jp/zyousou/tukuba/tukuba_san.html より引用
とあり、筑波山の修験道は平将門と関係があるようにも思える。

筑波山神社 ↑ ↓

蝦蟇の油とは江戸時代に作られていた軟膏であり、蝦蟇の油からつくると口上では述べられている。
刀には仕掛けがしてあり、切っ先だけがよく切れるようになっている。その刀で半紙大の和紙を二つ折りにし、「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚……」と口上しながら、徐々に小さく切っていく。小さくなった紙片を紙吹雪のように吹き飛ばす。このように刀の切れ味を示したあと、切れない部分を使って腕を切ったふりをしながら、腕に血糊を線状に塗って切り傷に見せる。偽の切り傷にガマの油をつけて拭き取り、たちまち消してみせ、止血の効果を観客に示す。また、ガマの油を塗った腕は、刃物で切ろうとしても切れず、防護の効能があることを示すというもの(刀にガマの油を塗る場合もある)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%9E%E3%81%AE%E6%B2%B9 より引用
徳川方について大坂の陣に従軍した筑波山・中禅寺の住職・光誉上人が陣中薬として用いていたものの効果が評判になったとされるが
筑波山の蝦蟇の油とは、将門のどくろのご利益のある蝦蟇の油ということなのではないだろうか。
6⃣将門の首を晒した場所を膏薬図子というのはなぜか。
将門の首が京で晒された場所は、膏薬図子という場所で、神田明神元社がある。

神田明神元社の鳥居前には、やはり蝦蟇の置き物がおかれている。
図子とは小路のことだが、なぜ「膏薬図子」といいう名前が付けられているのだろうか。
それはこの付近で晒された将門の首が近隣住民に祟るので、空也上人が将門を慰霊するための念仏道場をつくり
「空也供養の道場」と呼ばれ、「空也供養」が訛って「膏薬」になったといわれている。
本当だろうか。
将門の首は蝦蟇の神として信仰され、その蝦蟇から、蝦蟇の油という膏薬が作られることから、膏薬図子と呼ばれるようになったのではないか?
このように考えていくと、妖怪・大蝦蟇とは大きな髑髏の妖怪なのではないかと思える。
7⃣龍になる大蛇は蛇が虹としてはきだす?
それにしても「周防の大蟆」に「口から虹のような気を吐き、この気に触れた鳥や虫たちを口の中へと吸い込み、夏には蛇を食べるとある[3]」という記述があるのは興味深い。
かつて虫という言葉には昆虫だけでなく、蛇や爬虫類の類も含んでいたようだ。
虹は龍になる大蛇が天空を貫くときに空に作られるものと想像されていたため、蛇を表す虫偏に「貫く」を意味する「工」の字で「虹」という漢字ができたのです。
ちなみに、虹が出ると幸せな気分になったりしますが、古代の中国人にとって虹は不吉なものの象徴で、虹が出るとよくないことが起こると信じていたようです。
https://all-guide.com/nn0081/ より引用
そして、この天を貫く大蛇は、蝦蟇の口から吐き出されるということだろうか。

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