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トンデモもののけ辞典65 大禿

大禿
1⃣大禿

大禿(おおかぶろ)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に描かれている妖怪。

概要
屏風よりも背が高く、菊の模様の振袖を着た禿頭の人物の姿が描かれている。禿(かむろ・かぶろ)とは遊里で働いている遊女見習いの少女のこと。絵に添えられた解説には「伝へ聞(きく)彭祖(はうそ)は七百余歳にして猶(なほ)慈童(じどう)と称す是(これ)大禿にあらずや日本にても那智高野には頭(かうべ)禿(かぶろ)にて歯豁(はあばら)なる大禿ありと云しからば男禿ならんか」とある。

彭祖(ほうそ)とは、「慈童」または「菊慈童」の名で広く知られている仙人で、菊の露を飲んで不老不死となったとされる。一般的には八百歳[1]とされることが多いが、能『菊慈童』では「七百歳」という語句が用いられており、石燕が大禿に付した文は、画題としても親しまれていた『菊慈童』を踏まえたパロディとみることができる[2]。「頭禿(こうべかぶろ)にて歯豁(はあばら)なる」という表現は、毛や歯が抜け落ちた様から老人を指す言葉「頭童歯豁」(とうどうしかつ)と同義で、「中国の仙人には菊慈童のように七百歳以上のこどもがいる、これは(妖怪の)大禿だろうか。日本には那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)には頭がはげ歯が抜け落ちたよぼよぼの大きなこどもがいる、とすればこの(妖怪の)大禿は、男の禿であろうか」との意味になるが、具体的に大禿がどのような妖怪なのかは見た目以外はよくわからない。


2⃣菊滋童と重陽とBL

「伝へ聞(きく)彭祖(はうそ)は七百余歳にして猶(なほ)慈童(じどう)と称す是(これ)大
禿にあらずや日本にても那智高野には頭(かうべ)禿(かぶろ)にて歯豁(はあばら)なる大禿ありと云しからば男禿ならんか」

ここに「彭祖(はうそ)」とでてくるが、ウィキペディア「彭祖」には次のようにある。

彭祖(ホウソ、拼音:Péng Zǔ)は、中国の神話の中で長寿の仙人であり、伝説の中では南極老人の化身とされており、八百歳の寿命を保ったことで有名である。姓は彭で、名は翦であり、籛鏗ともいう。

この彭祖について、ウィキペディア「大禿」では「菊慈童」だと書いている。

私は京都・法輪寺の重陽神事で菊慈童の舞をみたことがある。

法輪寺 菊滋童

この舞はつぎのような伝説にもとづくものだ。

周の穆王が寵愛していた少年菊慈童は、あるとき誤って帝の枕の上を超えてしまい、レッケン山に流刑となった。
穆王は菊滋童に観世音菩薩 普門品というお経にある「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を毎日唱えるようにと言いった。
菊慈童がこれを菊の下葉に書きつけたところ、菊の下葉の露が不老長寿の薬となった。
そしてそれを飲んだ菊慈童は700歳の長寿を得た。

9月9日は、重陽の節句である。
古より、月と日が同じ奇数になる日(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日 ※1月1日は元旦なので、1月のみ7日が節句とされている。)は節句として祝われた。

9は一けたの数字では一番大きい奇数なので、9月9日は重陽の節句といわれた。

重陽の節句は菊の節句ともいい、菊慈童の話にちなんで菊の花に綿をかぶせ、翌朝、綿についた雫で体を撫でると長寿になると言われていた。(菊の被綿(きせわた))

菊の被綿(法輪寺) 

菊理媛と書いてククリヒメとよむように、菊は「クク」と読むこともある。
この「クク」の音が九九に通じ、また陰暦9月9日ごろには菊の花が咲くことから重陽の節句は菊の節句とされているのだろう。

また、陰陽では男が陽、女が陰なので、重陽といえば男と男が重なること、まさしくBLをあらわすものだと思う。

 

古には「会う」という言葉には、エッチするという意味が含まれていた。
岡山県西大寺の会陽は、陽である男と男が会う、という意味だろう。

菊慈童は誤まって帝の枕の上を超えてしまったとある。
周の穆王は菊滋童を寵愛していたというのは、単にかわいがっていたというだけでなく、BLの関係であったということである。

菊座、菊門などともいい、菊はBLの象徴でもあるが、菊がBLの象徴となったのは菊慈童からくるのではないかと思う。
(他のものに喩えてもいいのに、菊に喩えられているので)

3⃣石燕が描いた絵は少年の姿のまま高齢となった仙人だが、那智高野にいるのは頭がはげて歯が抜け落ちた高齢の男色者


「伝へ聞(きく)彭祖(はうそ)は七百余歳にして猶(なほ)慈童(じどう)と称す是(これ)大
禿にあらずや日本にても那智高野には頭(かうべ)禿(かぶろ)にて歯豁(はあばら)なる大禿ありと云しからば男禿ならんか」

この現代語訳は、次のようになるとウィキペディアは記している。

「中国の仙人には菊慈童のように七百歳以上のこどもがいる、これは(妖怪の)大禿だろうか。日本には那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)には頭がはげ歯が抜け落ちたよぼよぼの大きなこどもがいる、とすればこの(妖怪の)大禿は、男の禿であろうか」


禿は「かむろ」とよみ、本来はおかっぱの髪型のことをいった。
江戸時代には遊女見倣いの童女のことを禿(かむろ)といっていた。

夕霧大夫道中

嵐山 紅葉祭 夕霧大夫 道中 ※2人の童女が禿

そして石燕は、菊滋童のような長寿でBLの少年のことを大禿(かむろ/遊女見倣い)といっている。
少年の姿をしてはいるが、700歳という高齢なので、禿に大をつけて大禿といったのだろうか。

そしてそのあと、
「日本にても那智高野には頭(かうべ)禿(かぶろ)にて歯豁(はあばら)なる大禿ありと云」とつづき
「日本には那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)には頭がはげ歯が抜け落ちたよぼよぼの大きなこどもがいる。」
と現代語訳しているが、「大禿」は「大きな子供」と訳すのではなく、「大きな禿(かむろ/遊女見倣い)」とし

「日本には那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)には頭がはげ歯が抜け落ちたよぼよぼの遊女見倣いがいる。
とすればこの(妖怪の)大禿は、男の禿(かむろ/遊女見倣い)であろうか」と訳したほうがいいのではないかと思う。

石燕が描いた絵は少年の姿のまま高齢となった仙人だが、
那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)にいるのは、頭がはげて歯が抜け落ちた高齢の男色者で、彼らが大禿ということになる。

ここではもちろん禿(かむろ)と禿(はげ)を欠けているのだと思われる。

4⃣高野六十那智八十

「一稚児二山王(いちちごにさんのう)」という言葉があります。

比叡山延暦寺(滋賀県)といえば、言わずと知れた伝教大師最澄の天台宗の総本山であり、現代の私たちが知っている浄土真宗や曹洞宗や日蓮宗などといった多くの宗派も、元を辿たどれば天台宗に行き着きます。そんな延暦寺を守護するとして崇敬されたのが、日吉社(ひえしゃ/山王)です。

鎌倉時代後期の『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』(1318年)には、最澄が初めて比叡山に登ったとき、まず童子(稚児)に会い、次に山王に出会った、とあります。

比叡山を守護する山王よりも、稚児の方が上と見なされたわけで、だから一稚児二山王と呼ばれるわけです。ここで重要なのは、この話が事実だったか否かではありません。こうした逸話が“信じられていた”という事実です。

こうした事情は当然、空海の真言宗も同様であり「高野六十那智八十」との言葉が残されています。高野は言わずと知れた真言宗金剛峯寺(こんごうぶじ)のある高野山のこと、那智とは那智の滝のある青岸渡寺(せいがんとじ)のことです(いずれも和歌山県)。「高野六十那智八十」とは、高野山には60歳、那智山には80歳を越えてもいまだに色っぽいお坊さんがいるということで、なぜ色っぽいかと言えば、もちろん男色をしているからです。


上記記事に、「那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)にいる、頭がはげて歯が抜け落ちた高齢の男色者」である大禿の正体について明確に記されている。

60、80歳になっても男色にふける僧侶がで那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)にはおり、それを妖怪化したのが
は大禿というわけだ。

実際には頭は剥げて歯はぼろぼろだが、気分は700歳になっても少年のままの菊慈童ということだろう。

5⃣日本では衆道がたしなみとされていたのはなぜか。

古の日本ではBL・・・衆道がたしなみとされていた。
戦国武将などほとんど衆道をたしなんでいたとされる。
生まれつき同性が好きな男性はいるが、古の日本では数が多すぎる。
これは生まれつきの性質がもたらしたものではなく、有る信仰が衆道の流行をもたらしたと考えたほうが自然である。

重陽・・・男と男が重なると長寿になるということが広く信仰されており、
その結果、多くの日本人が修道をたしなむようになったのではないかと思う。

菊滋童の像(法輪寺)

法輪寺 菊慈童の像





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