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トンデモもののけ辞典64 ちょろけん小僧

A
『化物夜更顔見世』(1791年)ちょろけん小僧(左)とろくろ首

『化物夜更顔見世』(1791年)ちょろけん小僧(左)とろくろ首

1⃣大頭小僧、豆腐小僧 ちょろけん小僧

ウィキペディア「大頭小僧」の説明に、次のように記されている。

『夭怪着到牒』では「豆腐屋を驚かして豆腐を持って来た」といった内容を作中のせりふとして語っており[1]、特徴的な大きな頭を見せ人間を驚かす妖怪であると考えられる。桜川慈悲成『化物夜更顔見世』(1791年)では、ちょろけん、ちょろけん小僧[2]という名で頭部の大きな子供の妖怪が登場しており、同様の妖怪が江戸時代に描かれていたことをうかがうことが可能である[3]。水木しげるの著作では、大きな頭と獣のような裸足が特徴であり、豆腐小僧とは別の妖怪[1]とも書かれている。


2⃣豆腐小僧は笠と豆腐が必須アイテム。

豆腐小僧については、下記記事にすでに書いた。

B
竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「豆腐小僧」

竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「豆腐小僧」

C

豆腐小僧

北尾政美『夭怪着到牒』 大頭小僧

豆腐小僧2

勝川春亭画『大時代唐土化物』。一つ目の豆腐小僧の例。


上記記事を簡単にまとめておこう。

①大頭=だいず=大豆=豆腐で、大きな頭は大豆や豆腐をあらわしているのではないか。
⓶Cの大頭小僧の着物の柄は疱瘡除けの玩具。
③一つ目の豆腐小僧は天然痘を患って片目を失明した姿ではないか。
④天然痘の丘疹を大豆に喩えたのではないか。
⑤紅葉豆腐は天然痘除けとしてつくられたのではないか?(疱瘡除けの玩具は赤く塗られている。紅葉も赤)
⑥豆腐小僧が笠をかぶっているのは、瘡蓋をあらわしているのではないか。(笠と瘡の音が同じ)
※中国より日本に人痘法が伝わったのは1744年、李仁山によってである。
1789年~1790年に天然痘が筑前国で流行したとき、緒方春朔医師が、子どもたちに人痘法を行って成果をあげた。
人痘法とは、は、感染していない人の皮膚に軽い傷をつけて、天然痘患者の瘡蓋(かさぶた)や膿を植え付けるというもの。
こうすることで天然痘より軽い症状がでるが、重症化する確率を低くすることができたという。
(人痘接種法の副反応で死亡者が出たという話もある。)
⑦豆腐は人痘法をあらわしているのではないか。

このように考えたとき、豆腐小僧は笠と豆腐が必須アイテムだといえる。
BCDはいずれも笠と豆腐を持っているのでいずれも豆腐小僧だと言っていいだろう。
Cのタイトルは大頭小僧だが、豆腐小僧と言えると思う。

しかし、A「ちょろけん小僧」は笠と豆腐という必須アイテムがない。
大きな頭をしてはいるが、Cの大頭小僧とは違う妖怪ではないだろうか。

3⃣ちょろけん

「ちょろけん」という言葉について検索してみると次のようにでる。

① 江戸時代、京坂地方で家々をまわり歩いた正月の門付(かどづけ)芸人。張り子の福祿寿(ふくろくじゅ)などをかぶり、ささら・三味線・太鼓に合わせて、早口で祝言を述べ、舞を舞った。明治以後衰滅した。福祿寿の意の長老君(ちょうろうくん)からの名称という。ちょろうけん。ちょろ。《季・新年》
※俳諧・大坂檀林桜千句(1678)第一「鶯のひな引つるるたいこ持〈素敬〉 もらひ羽織や雉のちょろけん〈西鶴〉」

② (①から) 頭の大きい人。〔風俗画報‐一五六号(1898)人事門〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉「ちょろけん」の解説
ちょろ‐けん
正月の門付け芸の一。江戸中期以降、京坂で福禄寿などの大きな張り子を頭にかぶり、三味線・太鼓・ささらなどに合わせて早口に祝言を唱えて回ったもの。のちには張り抜き籠かごに大きな舌を出した顔を描いたものをかぶり、黒塗りの笠をつけたものもあらわれた。


上記には福禄寿の張り子をかぶった人のイラストが掲載されている。

八坂神社 蛭子船

上の写真は京都・八坂神社の蛭子船だが、七福神役の方々は皆さん、大きな頭部の被り物をしている。
江戸時代、こういうものをかぶって門付けしていたのだろう。

ちょろけんは江戸時代後期から明治にかけて京阪地方に存在した門付芸(かどづけげい)。

全身が隠れるほどの大きな張子の福禄寿をかぶった正月の物乞いが享保年間(1716~36)大阪の町へ現れたのが最初という。

明治期までは、正月の門付けのみでなく社寺の境内にも現れたが明治以後衰滅した。

~略~

ちょろけんは数人の集団で、福禄寿役は後に福助や蛭子の張子にもなり、幕末には張子の大頭に目・鼻・口髭などを描いたものを被り、頭に黒塗りの大笠を載せ、両手に割竹を持った。残りの者たちは顔を描いた布袋またはトクスの仮面を被り、ささら・三味線・太鼓に合わせて、 「ちょろが参じました。大福ちょろじゃ。ちょろを見る人福徳来る、厄難厄病皆な取り払う」などと囃してご祝儀をもらい歩いた。

滑稽なだけの他愛のない芸だったため、専門の芸人の職掌ではなく多くは小遣い目当ての若者が余興半分に演じていた。そのせいもあってか、子供や若い女性に遭遇すると、面白半分に脅かしたりからかうことがたびたびあったと言う。

名前の由来は、福禄寿の意の「長老君(ちょうろうくん)」からきたと考えられており、関西方言の「ちょける(調子に乗る)」の語源とも言われている。

京阪地区で活躍したちょろけんは京都の伏見人形としても猿、徳吸、お福などをモチーフに数多く残されている。


リンク先のちょろけんの絵があるが、頭全体に帽子をかぶり、頭の下の胴部分に顔を描いてある。

ちょろけんは長老君からくるもので、もともとは老人の姿をしていた福禄寿だったが、しだいに、様々なバリエーションが生じたようである。

4⃣ちょろけん小僧は長老君小僧?

ちょろけん小僧は、このちょろけんのバリエーションのひとつなのではないだろうか。
つまり、長老君小僧、というわけである。


ちょろけんの始まりは、享保年間(1716~36)であるという。
桜川慈悲成『化物夜更顔見世』(1791年)では、ちょろけん、ちょろけん小僧という妖怪が登場するということなので、
ちょろけんをモデルとし、ちょろけん小僧は創作されたのかもしれない。

「ちょろけん」という名前の由来は「長老君」であり、「小僧」とは正反対だが
コトバンクの説明にもあるように、しだいに本来の意味である「長老君」から「大きな頭」のことを「ちょろけん」というようになった結果、子供の姿をした「ちょろけん」も生まれたのだろう。

豆腐小僧は安永年間(1772年-1781年)から確認する事が出来、幕末から明治時代にかけては、凧、すごろく、かるたなど「おもちゃ絵」の中で描かれてる妖怪として親しまれていた[3][5][6]。

豆腐小僧が登場したのはそれよりあとになるが、幕末から明治期にかけて親しまれたという点では同じである。
豆腐小僧の成立に、ちょろけん小僧の影響があった、とはいえるかもしれない。

上記リンク先に描かれているちょろけんは、黒い帽子をかぶっているが
笠をかぶった豆腐小僧の姿に似ているようにも思う。





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