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トンデモもののけ辞典63 雲外鏡

1⃣雲外鏡

雲外鏡(うんがいきょう) は、江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪の一つで、鏡の妖怪。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E5%A4%96%E9%8F%A1 より引用

鳥山石燕『百器徒然袋』より「雲外鏡」

絵に添えられた文章は次のとおり、

雲外鏡(うんぐわいきゃう)

照魔鏡(しやうまきやう)と言へるは もろもろの怪しき物の形をうつすよしなれば その影のうつれるにやとおもひしに 動(うごき)出るままに 此(この)かゞみの妖怪(ようくはい)なりと 夢の中におもひぬ

「照魔鏡というのは、いろいろな怪しい物の形をうつすものであるので、その影がうつると思うと動き出るにつれて
この鏡の妖怪なのだと夢の中で思った。」
というような意味だろうか。

照魔鏡とは、魔物の正体を明らかにするといわれている伝説上の鏡[2]で、高井蘭山の読本『絵本三国妖婦伝』では、殷の紂王を堕落させた美女・妲己の正体を見破ったとされる[3]。『百器徒然袋』の雲外鏡は、その照魔鏡をもとにして石燕が創作した妖怪といわれており[4][5]、絵は化け物のような妖しい顔が浮かび上がった鏡として描かれている[6](画像参照)。
平成以後の妖怪関連の書籍では、百年を経た鏡が妖怪と化した付喪神(器物が化けた妖怪)であり、妖怪となった自分自身の顔を鏡面に映し出しているもの[6]、または照魔鏡に映された妖怪たちが照魔鏡を操って動かしているもの[7]、などと解釈され解説されることが多い。名称の雲外鏡(うんがいきょう)は、多くの妖怪について記述された中国の地理書である『山海経』(せんがいきょう)の名に掛けたものとの説もある[7]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E5%A4%96%E9%8F%A1 より引用

2⃣野守の鏡と鏡神社

奈良時代、藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が相次いで天然痘にかかって死亡し、一時的に藤原氏の勢力が衰えたことがあった。
このとき、右大臣だった橘諸兄が権力をもち、吉備真備・玄昉を重用した。
藤原宇合の長男・藤原広嗣(式家)は大宰府に左遷された。
740年、藤原広嗣は「天地による災厄の元凶は吉備真備と僧正・玄昉であるので、二人を処分するべきである。」という上奏文を朝廷におくっている。
しかし訴えは聞き入れられず、藤原広嗣は大宰府で挙兵するが破れて、処刑された。 (藤原広嗣の乱)

奈良にこの藤原弘嗣を祀る神社があるのだが、神社の名前を鏡神社という。
なぜ鏡神社というのか。

照魔鏡は殷の紂王を堕落させた美女・妲己の正体を見破った鏡だった。
照魔鏡は男女関係を映し出す鏡であるともいえそうである。

額田王が大海人皇子に送った次の歌を鑑賞してみてほしい。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る/額田王
(紫草の生えた野で、野守に見られてしまうではないですか。あなたが私に袖を振っているのを。)

天智天皇・大海人皇子(のちの天武天皇)・額田王は三角関係だったとする説があります。
すると野守とは「いけない男女関係を見張る人」の比喩であるように思われる。

そして能に「野守」という演目があり、春日野の鬼が持っている鏡のことを「野守の鏡」というとある。
玄昉と藤原宮子の密通を咎めた藤原広嗣はまさしく野守だといえる。
そして野守の鏡とは「いけない男女関係」を映し出す鏡なのではないか。

そういうわけで藤原広嗣を祀る神社を鏡神社というのではないかと思う。

3⃣雲外鏡の意味は?

2⃣は余談的な話になってしまったw

さて、照魔鏡が「魔物の正体を明らかにする鏡」というのはわかる。
漢字の意味が「魔を照らす鏡」なので、まさしくそういう意味になる。

しかし、その鏡を石燕はなぜ「雲外鏡」といっているのだろう?

知らなかったのだが(汗)四文字熟語で「雲外蒼天」という言葉があるそうである。

文字通りの意味は、〈雲を突き抜けたその先には、青空が広がっている〉ということ。転じて、〈努力して苦しみを乗り越えれば、すばらしい世界が待っている〉といったことを指して使われます。
https://www.kanjicafe.jp/detail/8882.html より引用

しかし、その由来についてはよくわからないようで、リンク先記事の筆者は次のように書いている。

似た表現として、7世紀の詩人、李白に「惟(た)だ碧天雲外の月有り」という句がありますが、これは〈夜空に月が雲一つかからず輝いている〉といった意味ですので、直接の関係はないかと思われます。

 より由来に近いと思われるものとしては、13世紀の文人、謝枋得(しゃほうとく)の詩に出て来る、「鶴は雲外を穿(うが)ちて青天に上る」という一句があります。〈鶴が雲を突き抜けて青い空へと舞い上がっていく〉といった意味合いですから、「雲外蒼天」が描き出す情景とよく似ています。

 ただ、この詩そのものは、雲も鶴も無心であってお互いに何の関係もない、とうたっていますので、老荘思想や禅の悟りの境地を表すかと思われます。そこから直接、〈努力して苦難を乗り越える〉といったニュアンスをくみ取るのは、ちょっと無理がありそうです。
 
https://www.kanjicafe.jp/detail/8882.html より引用 

3⃣雲外鏡は月の鏡?

「雲外」というのは「ひとつの雲もかかっていない」という意味のようである。
磨き上げられて曇りのない鏡、という意味だろうか。

「月の鏡」という言葉がある。
晴れた空にかかる澄んだ満月のことだ。

李白の言葉として「惟だ碧天雲外の月有り」と記事にもあるように、雲外の鏡とは月のことを言っているのかもしれない。


熊野勧心十戒曼荼羅

上は熊野勧心十戒曼荼羅であるが、向かって右に太陽、向かって左に月が描かれているが
太陽と月はどちらも雲の上に乗っかるような形で描かれており
石燕が描いた雲外鏡はこれによく似ている。

この推理が正しければ、雲外鏡に映った妖怪の顔は月の表面の模様だということになる。




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