熊本県八代市の松井文庫所蔵『百鬼夜行絵巻』より「海座頭」
1⃣海座頭
海座頭(うみざとう)は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』や、熊本県八代市の松井文庫所蔵品『百鬼夜行絵巻』などの江戸時代の絵巻にある日本の妖怪。
概要
妖怪画では、琵琶法師を思わせる巨人が海上に立ち、右手に杖を持ち、琵琶を背に背負った姿で描かれている[1]。『画図百鬼夜行』『百鬼夜行絵巻』ともに解説文がないため、どのような妖怪を意図して描かれたかは不明であり、妖怪研究家・村上健司はこれを絵画のみ存在する妖怪としている[2]。
戦後の妖怪関連の書籍においては、陸中国(現・岩手県)の三陸沖によく現れる海坊主の一種と解釈されている[1][3]。海坊主の仲間でありながら海坊主とは出現時期が異なり、海坊主が現れなくなった頃に出現するとされ、月の終わり頃によく出現する[1]。海の上を歩き回り、漁師を脅かしたり、海を行く船を手招きして船を転覆させたり[1]、時には船を丸ごと飲み込んでしまう[4]。座頭姿で海上に現れて人を脅かすという説もある[5]。ただし、海座頭が言った言葉に対して素直に応えれば姿を消すのだという[1]。
2⃣琵琶法師
座頭とは、江戸時代の盲人の階級の一つであるが、按摩、鍼灸、琵琶法師などのことも座頭と呼ばれていた。
熊本県八代市の松井文庫所蔵『百鬼夜行絵巻』に描かれた「海座頭」は琵琶を背負っているので琵琶法師だろう。
今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」(一種のギルド)を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。
明治期に日本を旅したイザベラバードは日本の盲人が自立していて、尊敬されていると奥地紀行に記していたのを思い出す。

3⃣琵琶法師と弁財天と平家物語
上は兵庫県尼崎市大覚寺に伝わる大覚寺身振り狂言「十王堂」のワンシーンである。
琵琶法師が琵琶をひいていると弁才天が現れて一緒に琵琶を弾きだす。
弁才天は琵琶を持っているところから琵琶法師の守護神とされたのだという。
六波羅蜜寺
この狂言をみて、京都・六波羅蜜寺に弁財天が祀られている理由がわかったように思った。
かつて六波羅蜜寺の付近は平家の邸宅が立ち並んでいたが、平家滅亡のとき、平家は自ら火を放ち、邸宅は燃えて焼野原となってしまった。
平家物語は「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という有名なフレーズで始まるが
祇園精舎の鐘とは六波羅蜜寺の近くにある六道珍皇寺の迎え鐘のことだと私は考えている。
六道珍皇寺
京都ではお盆に六道珍皇寺の迎え鐘をついてお精霊さん(おしょらいさん/先祖の霊のこと)を迎える習慣がある。
平家の亡霊たちも、その鐘の音を聴いてこの世に戻ってきたことだろう。
つまり「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と平家物語の冒頭で語ることで
平家の霊を呼び出し、その平家の霊を前にして平家物語は語られるということだ。
平家は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、多くの平家の人物が入水して果てた。
平時子に抱かれて7歳で入水した安徳天皇、平家一門をまつる山口県阿弥陀寺(現在の赤間神宮)には耳無し芳一という物語が伝えられていた。
芳一は夜な夜な平家の亡霊に呼び出されて平家物語を弾き語るのだが
もともと平家物語の冒頭部分は平家の亡霊を呼び出すためのフレーズになっているのだと思う。
平家物語は盲目の琵琶法師によって語られた。
かつて六波羅蜜寺の付近では琵琶法師が平家物語を弾き語っていたのではないだろうか。
六波羅は平家ゆかりの土地なので。
そして琵琶法師の守護神として六波羅蜜寺で弁財天を祀るようになったのではないかと思う。
平清盛が創建した厳島神は宗像三女神を祀っているが、その一柱である市杵島姫命は弁才天と習合して信仰されていた。
広島県 宮島 厳島神社
4⃣肥後国は平家信仰が強い
さてこの妖怪・海座頭が描かれているのは、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』、そして熊本県八代市の松井文庫所蔵品『百鬼夜行絵巻』であるという。
後者の『百鬼夜行絵巻』は肥後国八代城主・松井家の旧蔵品である。
肥後国は現在の熊本県あたりであり、平家と関係の深い土地であったため、熊本には平家落人伝承が数多く残されているという。
小松神社には重盛の像が安置されており、矢部町の天然石「今日の上臈(じょうろう)」は、平家の女性たちがその白い石を源氏の白旗と見間違えて自決したという伝説がある。
また壇の浦で那須与一が「扇の的」を射抜くという有名な話があるが、船の舳先で扇をかざした玉虫が平家の霊を弔うために建立したと伝わる玉虫寺の跡もある。
清和村には安徳天皇陵と伝えられる陵もある。
ということは、海座頭とは、海に入水して滅んだ平家一門に平家物語を弾き語って聞かせる琵琶法師なのだろうか。
5⃣海座頭はなぜ琵琶を袋に入れたままにしているのか。
海座頭はなぜ琵琶を袋にいれたままなのだろうか。
上は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれた海座頭だが、やはり琵琶は袋に入ったままだ。
もしかして、これは琵琶に似ているが、琵琶ではなく人間のドクロが入っているのではないか。
真言立川流では髑髏に漆や和合水を塗り重ねて髑髏本尊を作り、これを袋に入れて7年間抱いて寝ると髑髏が生き返って語りだすとしている。
上は萬福寺の布袋像だが、布袋は死後に姿をみかけられている。
布袋は生き返ったということだろう。
そして、布袋が手に持っている袋。ちょうど人の髑髏が入っていそうな大きさだ。
大黒天は日本神話に登場する大国主と習合されているが、大国主は数回死んではそのたび生き返っている。
大きな袋を持つ西洋のサンタクロースのモデル・聖ニコラオは殺されて塩漬けにされた子供を生き返らせている。
髑髏は人が生き返るのにかかせない呪具だと考えられていたのではないか。
そして海座頭は海に入水して死んだ平家の霊を生き返らせようとしているのではないか?
厳島神社の土産物として宮島杓子が有名だ。
これは弁財天が持つ琵琶に形が似ているため土産物として作られたといわれているが
それは表向きの理由で、杓子が髑髏の形に似ていることが本当の理由ではないかと思ったりする。
6⃣杓子は髑髏(首)をイメージしたもの?
滋賀県多賀大社でもお多賀杓子といって杓子に願い事を書いたものを絵馬の様に奉納する習慣がある。
多賀大社
多賀大社からほど近い場所に胡宮神社があり、多賀大社の奥の院と呼ばれている。
胡宮神社
胡という漢字を家にあった古い漢和辞典で調べてみると、次のように書いてあった。
①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。
②に「くび」とあるのが気になる。杓子は人間の頭部に似ているからだ。
胡弓という楽器がある。
三味線に似ているが、三味線と違って弓で弾く。
四角い箱に柄がついたような形をしていて、しゃもじに似ている。
また胴体から切り離した頭部(首・ドクロ)にも似ている。
それで胡弓という名前がつけられたのではないだろうか。
琉球には胡弓(クーチョー)と読いう楽器があるが、やはり弓で弾く。
琉球の胡弓は昔は椰子の実を割って胴にしていたというので、日本の胡弓よりさらに頭部(首・ドクロ)のイメージに近い。
さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていた。
つまり弓でひくものが胡弓であり、似たような形をしていても三味線には胡という漢字は用いられないのだ。
これはなぜだろうか?
それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるため「胡=くび」の文字を用いているということでははないだろうか?
中国の楽器・二胡も弓で弾き、「胡」の文字が使われている。
7⃣糸切餅は胡弓の弓で切っていた?
多賀大社名物は糸切餅である。
胡弓には弦が3本ある。
糸切餅の3本の線は、蒙古の旗だと言いますが、本当は胡弓の3本の弦をイメージしたものではないだろうか。
そして、糸切餅は現在は三味線の弦で切っているが、もともとは弓の弦で切っていたという。
弓は弓でも、胡弓の弓で切っていたのではないかと思ったりする。
糸切餅
8⃣海座頭が月の終わり頃に出現する理由
海座頭が月の終わり頃に出現するのはなぜだろうか。
陰暦は月をベースにした暦で、月齢がそのまま日にちになる。
月の最後の日を晦日というが、29日、30日が晦日になる。
そして晦日の翌日は月齢1日(朔日)で、ここから再び月は成長していく。
これは、月が生き返ることだと表現してもいいかもしれない。
※大晦日(12月30日)には先祖の霊も戻ってくると考えられていた。
9⃣ザトウクジラ
ザトウクジラというクジラがいるが、漢字では座頭鯨と書く。
名前の由来は、座頭がもつ琵琶に形が似ているためである。
座頭鯨は九州南部の南西諸島あたりで観測されるそうで、これが海座頭の正体かもしれない。
そうであれば、海座頭が船を転覆させるという伝説もありえそうである。
また、ザトウクジラは歌を歌うという。
このザトウクジラの歌が平家物語の弾き語りに喩えられたのかもしれない。
それがいつの間にか、海の上に立つ座頭の姿へと変化したのかも❔
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