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とんでももののけ辞典56 一反木綿 ※追記あり


1⃣一反木綿

地元出身の教育者・野村伝四と民俗学者の柳田國男との共著による『大隅肝属郡方言集』にあるもので、約一反(長さ約10.6メートル、幅約30センチメートル)の木綿のようなものが夕暮れ時にヒラヒラと飛んで、人を襲うものとされる[1]。

首に巻きついたり顔を覆ったりして窒息死させるともいい[2][3]、巻かれた反物のような状態でくるくる回りながら素早く飛来し、人を体に巻き込んで空へ飛び去ってしまうともいう[4]。

ある男が夜に家路を急いでいたところ、白い布が飛んで来て首に巻きつき、脇差しで布を切りつけたところ、布は消え、男の手には血が残っていたという話もある[3]。

出没の伝えられる地方では、子供が遅くなるまで遊んでいると「一反木綿が出るよ」と言って戒める風習もあったそうである[4]。

また、肝付町では一反木綿がよく現れるといわれる神社(四十九所神社など)があり、子供たちがその神社の前を通るときには、上空を舞う一反木綿が最後尾の子供を襲うと信じられていたため、子供たちは誰よりも先に走って通り抜けたという[5]。

古典の妖怪絵巻『百鬼夜行絵巻』に描かれた妖怪の一つに、手足の生えた布状のものがあるが、民俗学者・小松和彦はこれを一反木綿のルーツにあたるものとの仮説を立てている[6]。


2⃣一反木綿が夕暮れ時に現れるのはなぜか。

木綿は古には「ゆふ」とも呼ばれた。
「ゆぶ」は口語では「ゆう」と発音する。
つまり、木綿(ゆふ)と夕(ゆふ)の掛詞になっているのではないかと思う。

3⃣一反木綿 目撃動画

一反木綿は現在でも目撃されているようで、動画も公開されている。

 


 

一反木綿とは、木綿の反物のことだが、現在の日本でこのようなものが空をひらひら舞うことはまずなさそうに思える。
反物はそこそこ重量があって、簡単に空を舞うとは思えないからだ。
(もちろん古においても、、そういうことがそうそうあるとは思えない)

これらの映像は合成なのか。それともトイレットペーパーのようなものが空を舞っているのか?


 

↑ この動きは凧だと思う。

 

3⃣一反木綿が住む権現山

一反木綿は鹿児島県肝属郡高山町(現・肝付町)にある権現山に住むといわれているそうである。
権現というのは、仏が仮に衆上を救うために神の姿であらわれたもののことで、神聖な山として信仰されていたのだろう。

権現山には牟礼神社があり、その先に龍神が祀られているらしい。
牟礼神社の御祭神、由緒などは調べてみたがわからなかった。

4⃣白妙の衣は死に装束?

権現山に白い一反木綿の姿が見える風景を思い浮かべると、持統天皇が詠んだ有名な歌を思い出す。

春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山/持統天皇 
(春がすぎて夏がやってきたらしい。白い衣が天の香久山に干してあるそうなので。)

この歌の意味についての、私の解釈は↓ こちらの記事に書いた。

旧暦では春は1月2月3月、夏は4月5月6月だった。
旧暦は新暦よりおよそ1か月遅れとなるので、持統天皇の歌は、新暦に換算すると5月ごろに詠んだ歌だと考えられる。

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考える。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水とされた。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余ってしまうが
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割りふられた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。

春・・・旧暦1月2月3月・・・・・木性   3月の終わりの18~19日間=春土用
夏・・・旧暦4月5月6月・・・・・火性   6月の終わりの18~19日間=夏土用
秋・・・旧暦7月8月9月・・・・・金性   9月の終わりの18~19日間=秋土用
冬・・・旧暦10月11月12月・・・水性   12月の終わりの18~19日間=冬土用

そして、白妙の衣とは、死に装束ではないかと私は考えた。
持統天皇は天皇としては初めて火葬された人物である。

持統天皇の歌の意味は
「春の土用が過ぎて、火性の夏になってしまったようだ。夏が火性であるように、私は白い死装束を着て、土葬ではなく火葬されてしまうのですね」という意味だと思う。

死んだ人が歌を詠むことはできないが、別の人が持統天皇の身になって詠んだか
持統天皇が「春過ぎて~」と歌を詠んだため、言霊が作用して、火葬されたと考えられたのかもしれない。

天香具山

天香具山

5⃣一反木綿は死装束を仕立てる布?

持統天皇が歌に詠んだ「白妙の衣」は死装束だと私は思うが
一反木綿は死装束を仕立てるための布ではないだろうか。

仏式で納棺式をする時に、死装束を身につけます。死出の旅に出る姿として古来から用いられてきました。死装束は、僧侶の旅姿に似せて白木綿で昔は手縫いにより作られてきました。頭には三角頭巾、お身体には経帷子(きょうかたびら)手には手甲と数珠、足には白足袋と脚絆、わらじを履かせ三途の川を渡る為の六文銭の入った頭陀袋を首に掛け、杖をお入れしてご納棺をいたします。


上の記事によると、死装束は白木綿を手縫いして作るとある。

>生前に準備するしきたりもあったのでしょうか?
そういう地方もあったでしょうが、大抵は亡くなってから血縁の女性が集まって皆で用意しました。大勢で縫ったのは、死の忌みが一人に掛からないようにということです。これは葬儀によくある習俗で、一人に何かさせない必ず二人以上で行なわせるような風習は、どこの地域に行ってもありました。友引を嫌うように、とかく誰かに死の忌みが被る(要は死者が続く)ことを避けてきたのです。


上記知恵袋では、死装束は亡くなってから仕立てたとある。

つまり、白い一反木綿は死装束をつくるための布であり、これを目撃することは死を連想させて縁起が悪いということで、
一反木綿なる妖怪が創作されたのではないかと思ったりする。

千本閻魔堂狂言 

千本閻魔堂狂言に登場した幽霊。白い死装束を身に着けている。

6⃣葬式と白い布

また、この伝承地では土葬の際に木綿の旗を立てて弔う風習があり、これが風で飛んで空を舞うこともあったであろうことから、これが木綿の妖怪という伝承に繋がったものとも推測されている[1]

より引用

とウィキペディアに説明されているのも興味深い。
他にも、次のような記事があった。

広島県では酉の日も葬儀を行いません。禅宗の喪家では、白木の位牌に白い布をかけて徐々にまくり上げていくという風習があります。また、火葬場帰りに行う清めの塩の儀式は行わない場合が多いようです。

宮城県でも近隣の件と同様に通夜振る舞いは行わないのが一般的ですが、代わりに菓子やまんじゅう・団子などを配る「目覚まし」という風習があります。また、火葬場へ向かう時は首に「いろ」という白い布を巻きます。


富山市では通夜には「死花花(しかばな)」を用意し、祭壇に飾る。翌日葬儀が行なわれるが、高岡市では出館のさいに棺を白のさらしに巻いて霊柩車に運ぶ慣習がある。またかっては「善の綱」といって、棺につないだ白のさらし布を遺族の人たちが、手にとって行列していく習慣があったが、現在では葬儀の前に白い布を手に取ることで代用している。



※追記
こういう動画も 不織布のようなものといっている。
https://www.tiktok.com/@fnnprime/video/7218510294966963458?_r=1&_t=8bHLLea7Jze





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