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土蜘蛛の謎⑪ なぜ将門の首塚には蝦蟇が供えられているのか。 

土蜘蛛の謎⑩ 蜂となって飛び去った執金剛神 よりつづきます~

①神田明神元社と神田神宮

神田明神

神田神宮 (京都)

2007年、私は京都烏丸駅近くにある膏薬図子と呼ばれる小路を訪れた。
車一台がようやく通れるくらいの小路の両側には町屋が並んでいる。
この町屋の中の一軒の民家の壁に塗り込められるように小さな祠があり、「史跡 神田神宮 天慶年間、平将門ノ首ヲ晒シタル所ナリ」と記された札がかけられていた。

祠の下には石があり、やはり壁に塗り込められていた。
『拾遺都名所図会~』には『空也上人は将門の亡霊をここに供養し、石を置いて目印にした』と記されている。
壁に塗りこめられた石は空也上人が置いたと伝わる石なのかもしれない。

神田明神 本殿

神田明神 (東京)

東京都千代田区外神田に平将門を御祭神とする神田明神がある。
膏薬図子の小さな祠は東京の神田明神の元社とされている。

この後、神田神宮は2010年に改修工事が行われた。
改修工事後は参拝していないのだが、祠は民家の中に移設され、壁に塗り込められていた石とともに祀られているそうである。
また祠の下には石でつくったガマの置物が置かれているとのことだ。

②飛行した平将門の髑髏

神田明神とは平将門のことである。

939年、平将門は乱をおこし(平将門の乱)を起こし、関東に独立国を作り『新皇』を名乗った。
翌940年、朝廷が派遣した平貞盛・藤原秀郷らが率いる軍と将門軍は争い、この戦いの中で平将門は流れ矢を受けて死亡した。

平将門の首は京に持ち帰られ、四条大橋の東(現在の南座の南あたり)にあった公孫樹の木に掛けて晒された。
ところが数日後、将門の首は鴨川を越えて西へと飛び、膏薬図子に落ちた。
将門の首はことあるごとに祟り、住民たちは将門の祟りに怯えていた。
そこで空也上人が将門の首が落ちた場所に念仏道場をたて、毎日念仏をあげた。
そうすることで、将門の祟りはやっとおさまった。
空也道場はのちに訛って膏薬道場と呼ばれるようになった。


膏薬図子という地名はここからくるとされる。

その後、将門の首は胴体を求めて膏薬図子からさらに東の空へ飛び去り、千代田区大手町あたりに落ちた。

現在その地には将門の首塚(将門塚)がある。

将門の首塚 
将門の首塚(東京都)

将門の首はここでも祟り、天変地異を引き起こすなどして人々を恐れさせた。
そこで時宗の遊行僧・進教上人が慰霊し、1309年に神田明神に奉祀したとされる。

将門の首塚には京都の神田神宮と同様、ガマの置物が置かれている。

平将門には滝夜叉姫という娘がいたという伝説もある。

滝夜叉姫は筑波のガマの毒気にあたり、追討された父・将門の仇を討つために、夜叉丸、蜘蛛丸らの妖怪を手下とし、朝廷に対して乱を起こしたが、多田満仲の家臣・大宅光圀(おおやみつくに)に退治された。

将門とガマは関係が深いようだ。

③「無事帰る=蛙」の語呂合わせ

②で私は「将門の首塚には京都の神田神宮と同様、ガマの置物が置かれている。」と書いたが、改装前の京都の神田神宮にはガマの置物は奉納されていなかった。

「東京の将門の首塚にガマの置物を奉納する習慣があったので、京都の神田神宮を改装した際、祠の下に石で作ったガマの置物を置いた。」というのが正しい。

東京の将門の首塚にガマの置物を奉納する習慣が生じたのはなぜなのだろうか。

将門の首は京から故郷へ帰ってきたので「無事帰る=蛙」の語呂合わせから蝦蟇の置物が奉納されているのだと一般的には説明されている。
そこで大手町のビジネスマンの中には転勤になったとき、また戻ってこれるようにと将門塚を参拝したり、蝦蟇の置物を奉納する人もいるそうだ。

私が将門の首塚を参拝したときにも、ひっきりなしにビジネスマンがやってきては線香をあげていた。

④平将門は土蜘蛛だった?

六波羅蜜寺 追儺式3

六波羅蜜寺 節分狂言 土蜘蛛

しかし蝦蟇が『無事帰る=蛙』を意味しているとすると、滝夜叉姫が筑波の蝦蟇の毒気にあたったという伝説の意味がわからなくなってしまう。

私は「無事帰る=蛙」という語呂合わせは後付だと思う。
将門の首塚に蝦蟇の置物を奉納する理由は、これとは別の意味があったのだが、長い年月の間に蛙を奉納する意味がわからなくなってしまったのではないだろうか。

先に述べたように、平将門の首が飛んだという伝説があるが、『土蜘蛛草子』には「空飛ぶ髑髏のあとをつけていくと土蜘蛛の塚があった」としている。

また滝夜叉姫が手下としていた妖怪のひとりは蜘蛛丸という名前であった。
平将門は土蜘蛛なのではないか。

土蜘蛛とは記紀や風土記に登場する「まつろわぬ民」のことであるが、朝廷に従わず独立国を作った平将門もまた「まつろわぬ民」だといえる。

⑤亀石は蛙でドクロを表す?


奈良県明日香村にある亀石は亀を象ったものではなく、蛙を象ったものだとも言われている。

亀石  
たしかに亀石は手足をとった蛙のようにも見える。
そして亀石は妖怪ぬらりひょんの頭部にそっくりである。

ぬらりひょん 

妖怪ぬらりひょん (大将軍商店街 妖怪ストリート)
 
私は亀石はドクロを象った石だと思う。
そして亀石は亀ではなく蛙を象ったものだという説があるが、蛙(ガマ)はドクロを表す隠語だったのではないだろうか。

とすれば将門塚にガマの置物が奉納されているのは、将門がドクロの神であるからだと考えられる。

このように考えると、滝夜叉姫が毒気にあたった筑波の蝦蟇の正体は、京から飛んで戻ってきた将門のドクロだということになる。

神田明神元社・・・京都市 下京区 綾小路通西洞院東入


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[2017/03/19 20:42] 土蜘蛛の謎 | トラックバック(-) | コメント(-)