トンデモもののけ辞典㊼ 青女
①霜や雪は白いのに、なぜ「青女(霜・雪を降らす女神)の滝」なの?
【青女】
《「淮南子 (えなんじ) 」天文訓から》霜・雪を降らすという女神。 転じて、霜や雪。
『淮南子』(えなんじ/わいなんし、中国語: 淮南子; 拼音: Huáinánzǐ; ウェード式: Huai-nan Tzu)は、前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。
天文訓とはその淮南子 の巻三で、天体の運行などについて述べられているらしい。
霜や雪は白いが、なぜ白女ではなく青女なのだろうか?
白馬と書いて「あおうま」と読むことがある。
1月7日に白い馬を見ると縁起がいいなどといわれ、大阪の住吉大社では白馬神事(あおうましんじ)、京都の上賀茂神社では白馬奏覧神事(あおうまそうらんしんじ)等の行事が行われている。
どうも、白を青とよむ習慣があったようである。
それで本当は白女なのに青女というのだろうか?
美山 茅葺の里
⓶霜や雪は謀反人をあらわす?
日本書紀に『トガノの鹿』という物語があり、鹿とは謀反人を比喩したものであるとする説がある。
雄鹿が『全身に霜がおりる夢を見た。』と言うと雌鹿が『霜だと思ったのは塩であなたは殺されて塩が振られているのです。』と答えた。
翌朝猟師が雄鹿を射て殺した。
また、摂津風土記には『夢野の鹿』という話がある。
雄鹿が「背中に雪がつもり、すすきが生える夢をみた」というと、
雌鹿は「雪は塩ですすきは矢です。あなたは矢で射殺され、塩が振られているのです。
この夢は別の女のところに出かけるとあなたは殺されるという前兆です。だから行かないでください」
しかし雄鹿はでかけてしまい、矢で射られて死んだ。
雌鹿は「雪は塩ですすきは矢です。あなたは矢で射殺され、塩が振られているのです。
この夢は別の女のところに出かけるとあなたは殺されるという前兆です。だから行かないでください」
しかし雄鹿はでかけてしまい、矢で射られて死んだ。
雪や霜は塩に喩えられているのだ。
鹿の夏毛には白い斑点がある。
その斑点が雪や霜に喩えられたのだろう。
その斑点が雪や霜に喩えられたのだろう。
かつて謀反の罪で殺された人の死体には塩が振られることがあったという。
雪や霜は謀反人の死体にふる塩の喩えであり、
さらに雪や霜の様にも見える白い斑点のある鹿は、謀反人の喩えとして用いられたのだろう。
さらに雪や霜の様にも見える白い斑点のある鹿は、謀反人の喩えとして用いられたのだろう。
③鹿鳴草
萩は別名を鹿鳴草という。
萩の花には白花と紫花があるが、このうち白花のほうは雄鹿(雪、霜、塩、謀反人)に喩えられているのだろう。
紫花のほうは、雌鹿に喩えられているのだと思う。
こんな和歌がある。
紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰
(海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。)
紫色に布を染めるためには、椿の灰を媒染剤とした。
紫とは道で出会った女、灰汁は男のことで、男と目があったとたん、女がぱっと美しく瞳を輝かせた、というような意味だろうか。
こんな歌もある。
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも.
( 紫草の紫色のように美しいあなたのことを憎いと思っているとしたら、どうして私はあなたのことがこんなに恋しいのでしょうか。あなたは人妻だというのに)
大海人皇子(のちの天武天皇)が額田王に贈った有名な歌である。
この2首を鑑賞すると、恋する女のことを『紫』といっているように思えるが、どうだろうか。
そういうわけで、萩の紫花は雌鹿、または謀反人の罪で殺された人の比喩だと思うのである。
④青女の滝
私が青女について興味を持ったのは、京都・法金剛院境内に「青女の滝」と名付けられた滝があったためだ。
小さな滝だが、日本最古の人工滝ともいわれているらしい。
小さな滝だが、日本最古の人工滝ともいわれているらしい。
この滝はなぜ青女の滝と呼ばれているのだろうか?
法金剛院 青女の滝
⑤藤原璋子はプレイガールだった?
法金剛院の中興は待賢門院とされる。
待賢門院というのは院号で、藤原公実の娘・藤原璋子(しょうし/たまこ/1101年 - 1145年)のことである。
璋子は七歳のとき、父親を失って白河法皇に育てられたのだが、養父・白河法皇と男女の関係があったという。
ほかにも二人の男性と密通しているという噂もあった。
1117年、璋子は白河法皇の孫の鳥羽天皇に入内したが、 入内後もたびたび白河法皇と密会していたとか、いないとか。
法金剛院 待賢門院桜
⑥叔父子と呼ばれて嫌われた崇徳
1119年、璋子は鳥羽天皇の第一皇子の崇徳天皇を出産するが、崇徳の父親は白河法皇の子だという噂があった。
『古事談』には、鳥羽は崇徳を『父の弟にして子』と言う意味で『叔父子(おじご)』と呼んで嫌っていたと記されている。
1129年、祖父・白川法皇が崩御して、鳥羽上皇が院政を行うようになる。
1142年、鳥羽上皇は崇徳に退位を強要し、崇徳は異母弟の近衛天皇に譲位した。
近衛は崇徳の養子として即位する予定でしたが、鳥羽によって発布された宣命には皇太弟となっており
崇徳から将来の治天の君の資格を剥奪するとも書かれていた。
崇徳から将来の治天の君の資格を剥奪するとも書かれていた。
そして崇徳が上皇となってからも、政治の実権は鳥羽が握っていた。
1155年、近衛天皇は17歳で崩御した。
このとき、崇徳と左大臣藤原頼長(悪左府)が愛宕権現に祈願し近衛を呪詛したという噂がたった。
崇徳は自分か、息子・重仁の即位を願っていたが、鳥羽は後白河(崇徳の同母弟)を即位させた。
鳥羽上皇は後白河の長子・二条を即位させたかったのだが、まだ幼かったため、中継ぎとして後白河を即位させたのである。
後白河の長子である二条は幼くして母親をなくしたために美福門院(得子)の養子となっていた。
二条は父親の後白河よりも美福門院との結びつきの方が強かったのである。
鳥羽は美福門院を寵愛していたし、美福門院がかわいがっている二条を即位させたいと考えたのだろう。
「叔父子の崇徳め、近衛天皇を殺すために呪詛するなんて許さん!
放蕩息子の後白河を皇位につけるのも嫌だが、二条がまだ幼いので仕方ない。
放蕩息子の後白河を皇位につけるのも嫌だが、二条がまだ幼いので仕方ない。
後白河を中継ぎで即位させよう。」
と
鳥羽が言ったかどうかしらないが~。
法金剛院 木蓮
⑦保元の乱
崇徳はついにブチ切れ、1156年、左大臣藤原頼長や平忠正、源為義らの武士を率いてクーデターを起こした。(保元の乱)。
しかし、後白河側についた平清盛・源義朝らによって鎮圧され、崇徳は讃岐に流罪となる。
崇徳は讃岐で五部大乗経を写本し、反省の証に朝廷に差し出すが、後白河は受け取りを拒否し、写本を送り返した。
崇徳、またしてもブチ切れ!
自分の舌を噛み切り、その血で写本に次のように書き込んだと伝えられる。
『日本国の大魔縁となり、この経を魔道に回向(えこう)す。』
『皇を取って民とし民を皇となさん』と。
そして爪や髪を伸ばし続け、夜叉のような姿になったといわれる。
『保元物語』によれば、状況調査のために派遣された平康頼は『院は生きながら天狗となられた』と報告したと記されている。
法金剛院 桜
⑧青女は藤原璋子だった?
崇徳は謀反人なのです。
そして、崇徳の上に雪や霜を降らせたのは(崇徳が乱をおこす原因を作ったのは)、素行の悪い母親の藤原璋子。
てなことで、藤原璋子ゆかりの法金剛院の滝は、雪や霜を降らせる青女の滝、なーんてことになったんだったりして。
法金剛院 待賢門院桜
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