「この年代は、日本出土のものが世界最古とされている。」と微妙な書き方をしていました。
オーストラリアの6万5000年前のものとされる磨製石器の写真⤵
①世界最古の磨製石器はオーストラリア
上記動画 05:44辺りで、竹田さんは、次の様に発言されている。
ところが関東ローム層(岩宿遺跡)からでてきちゃったんですね、この磨製石器が。
でこれがですね、35000年前だったんです。なんと世界最古の磨製石器だったんですよ。
コメント欄で何人かの視聴者さんが指摘されているが、世界最古の磨製石器はオーストラリアのものだとウィキペディアには記されている。
磨製石器は新石器時代を代表する道具で、世界で広く使われた。
世界最古の磨製石器は、オーストラリアで、6万5000年以上前に遡る。
日本最古は、旧石器時代の3万8千年前から3万5千年前で、刃部磨製石斧(局部磨製石斧)が作られたが、3万年前には見られなくなった。
「鉄器が普及しなかった一部地域では、20世紀に入っても石斧が普通に使われていた。」というのはおかしいw
2世紀の間違いだろうか。
そういう間違いはあるが、「世界最古の磨製石器は、オーストラリアで、6万5000年以上前に遡る。」というのは間違いではなさそうである。
というのは、次のような記事があるからだ。
これまでオーストラリア大陸に人類が定住したのは47,000年から50,000年前とされてきた。
しかし、最近、研究者チームが北部準州(NT)のカカドゥ国立公園に近い土地の岩窟を調査した結果、実際にはそれより18,000年遡る65,000年以上前という推定が強まってきた。
ABC放送(電子版)が伝えた。
しかし、この岩窟発掘現場そのものの年代について30年近く争われてきた。
この発掘現場からは磨製石斧、砥石、火打ち石、オーカーなど多様な遺物に加え、現場一帯に焚き火跡が残っている。
この遺跡はマジェドベベと呼ばれており、ここがオーストラリア国内でこれまでに発見されたうちではもっとも古い人類の定住の痕跡であることを認める学者は多かったが、現場の堆積物を最新の年代決定機器にかけた結果、世界でも有数の文化遺跡、人類学的に重要な遺跡であることが確認された。
⓶35000年前の日本の磨製石器は、一部を磨いたもの。
ネットの書き込みを読むと、勘違いしている人がいたので、書いておくが、
35000年前の日本の磨製石器は石器の一部のみ磨いたもので、石器全面を磨いたものではない。
たとえば、下記リンク先のようなものではないので注意してほしい。
上記サイト、図③に日本の旧石器時代の磨製石器のイラストが掲載されている。
これが日本の旧石器時代の磨製石器である。
③無土器時代という言葉は古い言葉では。
07:38 土器が作られる前ですから 先土器時代とか無土器時代とかっていう名前なんですよ。
でもさ、先土器とか無土器とか、何々が無い時代っていうのをなんか変でしょ
何かがある時代って言わないといけないのね
だから無土器時代・先土器時代というのは、私はつまんないと思うんですね
そこで提唱されている中でこれがいいなと思うのはこれです。岩宿時代。
次のように記された記事があった。
一九七二(昭和四七)年九月、都建設局公園緑地部都市公園課は、都立城北中央公園の整備事業として、明大、武蔵野博調査個所(一九五一年、P地点と仮称) の旧馬場跡、現グラウンドの改造計画を都文化課に相談した。栗原遺跡は、現在、復元家屋が公園内に残っており、旧石器時代(当時、「無土器時代」と呼ばれた) の石器類が出土したP地点の崖は、この家屋の南側の石神井川直上に位置している。
旧石器時代(当時、「無土器時代」と呼ばれた)とあるのに注意してほしい。
当時「無土器時代」と呼ばれたということは、現在は旧石器時代とよばれているということではないだろうか。
「岩宿時代」と提唱しているのは誰なのか。検索したがわからなかった。
④磨製石器は3万年以降見られなくなった。
>10:43 日本でとのあっちこっちにですね、3万6000年前の遺跡がダーッとできますから
まあ3万8000年前ぐらい前から徐々に磨製石器が作られ始め、
それがどんどんトン2000年の間に日本中に増えていったということになるんですね
発言に間違いはないが、言葉が足らないので、視聴者に誤解を与えそうだ。
磨製石器は新石器時代を代表する道具で、世界で広く使われた。
世界最古の磨製石器は、オーストラリアで、6万5000年以上前に遡る。
日本最古は、旧石器時代の3万8千年前から3万5千年前で、刃部磨製石斧(局部磨製石斧)が作られたが、3万年前には見られなくなった。
鉄器が普及しなかった一部地域では、20世紀(2世紀の誤りか?)に入っても石斧が普通に使われていた。
より引用
一九八〇年代になると、全国規模で旧石器文化の磨製石斧が発見され出した。その分布範囲は、北は東北地方北部から南九州地方にまで及び、現在では約九〇〇点を超える膨大な数に上っている。時期的には、南関東地方の層位的事実から、立川ローム下半部の姶良Tn火山灰(AT)堆積層(第VI層、約二万九〇〇〇~二万六〇〇〇年前)以前の、第II黒色帯(第VII~IX層)~第X層中で、年代にして約三万二〇〇〇~三万年前頃に集中している(須藤二〇〇七)。
これらの記事には「磨製石器は30000年以降は見られなくなった」
「年代にして約三万二〇〇〇~三万年前頃に集中している」とある。
これを抑えておかないと、そのあとの話を勘違いしてしまう。
⑤磨製石器は3万年前、四大文明は紀元前10000~5000年。
※四大文明という言葉は現在はあまり使われないが、タイトルが長くなるので総称としてこの言葉を用いた。
>15:10 実は日本ってこの時代世界最先端犯のものづくりの地域だったんですね。
人類の最先端の最先端です。
だいたい教科書を見てるとね、その文明は中国の黄河文明だとかね
あとは長江文明、インド・インダス文明・メソポタミア文明・エジプト文明
こう進んでて、日本は中華文明の亜流みたいな感じでね
この話には非常におかしな点がある。
④から、日本の磨製石器は3万8000年前から、3万年前と思われる。
そして、それぞれの文明の年代は、次のとおり。
中国文明(紀元前14000年から紀元前12000年頃)
インダス文明(紀元前7000年頃)
メソポタミア文明(紀元前5500年頃)
エジプト文明(紀元前5000年頃)
磨製石器と、これら諸文明は年代がまったく異なっている。
仮に3万年前、縄文人が最先端の技術をもっていたとしても(あくまで仮の話。石器のみで文化は測れない)
1万年前も同じではない。
その差は2万年もあり、それだけの期間があれば遅れていた文化が他の文化を追い越したりすることは十分にある。
上記文明と比較するのであれば、縄文時代、弥生時代と比較するべきだろう。
旧石器時代 – 紀元前14000年頃
縄文時代 前14000年頃 – 前10世紀
弥生時代 前10世紀 – 後3世紀中頃
古墳時代 3世紀中頃 – 7世紀頃
⑥「磨製石器は明らかに日本から中国・朝鮮半島に伝わった」などとはいえない。
個人的には、①の日本の「磨製石器が世界最古」は、ちょっとした間違いで、大した問題ではないと考えている。
それよりも、次の発言が問題だと思う
6:36 つまんない高校学者たちが、石器の文明はね中国大陸とかシベリアから日本にわたってきて受け取ったって言うんですけれども、「は?」って話ですよ。
文明って高い所から低い所に流れるのはあるんですけど、低いところから高いところに流れるのはありませんから。
シベリアにも半島にも中国大陸にも何の磨製石器もない時代に、日本でコツコツと磨製石器を作ってたわけですね
打製石器に関して受け取ったものがあるでしょうけど、磨製石器に関しては、あきらかに日本から伝播したものであって
石器文化がね、よその地域から渡ってきたって、みんな言うんですけども、とんでもない話なんですよ
何かあると全部、半島から来た、大陸から来たって言うけど、いやもちろんきたものもありますよ。
でも日本が最先端で日本から渡したものもたくさんありますから
何を受け取ったのかで何を渡したのか両方を見てこそ初めて文化の交流 っていうのはわかりますからね。
こう書くと、「なんでも大陸から日本にやってきたというのか」と怒る人がいそうだが、そうではない。
言いたいことは
「(おそらく)日本で発見されている世界最古級の磨製石器は3万年前以降は見られなくなっている」
ということを踏まえて考えなければいけないということだ。
大陸系磨製石器(たいりくけいませいせっき)とは、弥生時代になって朝鮮半島から水稲農耕技術が流入するとともに日本列島に流入した、朝鮮半島に直接的な起源を持つ磨製石器の一群である。
多くは、水稲農耕技術や、それに伴って列島に渡来した様々な生活様式を採用するに伴って、新たに必要になった道具である。
弥生時代とは、前10世紀 – 後3世紀ごろの時代をさす。
紀元前10世紀とは、紀元前1000年 – 紀元前901年のことであり、
大陸系磨製石器とは、そのころに大陸から日本に伝わったと考えられている磨製石器である。
岩宿・栗原などの旧石器時代の磨製石器は38000年前ごろより作られ始め、30000年前には見られなくなったようである。
そうであれば、旧石器時代の磨製石器と、弥生時代の大陸系磨製石器には連続性がないということになるだろうし
仮に継続して作られていたとしても、朝鮮半島のものと似たようなものであれば、「ルーツは別ではないか」と考えるべきだと思う。
14:30
日本は3万8000年前、中国大陸で1万5000年前、朝鮮半島で7000年前。
とおっしゃっている。
日本の旧石器時代の磨製石器が30000年前以降みられなくなったというのが正しければ
中国の磨製石器とは1万5000年、朝鮮半島とは2万3000年時期がちがっている。
これだけ時期がずれていては、「磨製石器に関しては、あきらかに日本から(中国・朝鮮半島へ)伝播したもの」
などとはいえないと思う。
磨製石器が、中国や朝鮮半島で独自に生み出された可能性もあるし、
もしかしたらオーストラリアから中国や朝鮮半島に伝えられた可能性もあるかもしれない。
弥生時代の水稲耕作は、初期の水田にみられるように当初から完成した形で伝来している。使用された主な農耕具も太形蛤刃石斧・扁平片刃石斧・柱状片刃石斧・石庖丁などの大陸系磨製石器や木製農具など、新しい道具によって構成されている。これらの道具のうち、大陸系磨製石器は朝鮮半島の遺跡から出土するものと類似し、特に抉入(えぐりいり)柱状片刃石斧・有柄(ゆうへい)式磨製石剣・柳葉形磨製石鏃や、擦切(すりきり)技法による孔を施す石庖丁などは日本と朝鮮半島南部にだけ分布するものである(第2図)。
最古の大陸系磨製石器の年代、写真
最古の朝鮮半島磨製石器の年代(年代については竹田さんが7000年といっているが)写真
などを知りたかったが、よくわからなかったので、この点は宿題とさせていただく。
⑦世界最古の釣り針かどうか不明。
18:18
人類最古の釣り針は日本列島から出土してます。
これは沖縄なんですけどね
平成28年2016年に沖縄県の南城市のサキタリ洞っていうところで23000年前の釣り針が発見されました。
これまでの世界最古はどこかといいますと、パプアニューギニアの18000年前ですよ。
これについては次のような記事があり、釣り針かどうか議論がわかれているようだ。
沖縄県立博物館・美術館が9月19日、発表した。釣り針は貝製で幅約14ミリ。使われていたのは、2万3000年前(後期旧石器時代)だという。
略
この針で魚を釣れるのか。BuzzFeed Newsは、国内大手の釣り具メーカーに聞いてみた。
釣り針かどうかを社内で話し合ったといい、こう回答してくれた。
「針の先端近くに、食いついた魚が外れないための『カエシ』がないため、判断はつきません」
仮に釣り針であるとするなら、魚を釣ることは可能なのか。
「一般的な釣り針の概念から、魚を釣ることは可能だと思います。針先が尖っていることと、針が全体的に丸みを帯び、魚を逃しにくい形状だからです。その形状から、魚を”引っ掛ける”ことは可能であると推測します。ただし、引っ掛けた魚との引き合いに耐えうる強度の素材であるかといった判断はできないので、あくまで形状からの判断です」
沖縄県立博物館・美術館の藤田主任もこう主張する。
「疑う意見はありますが、私たちはこれを釣り針だと考えています。まず、釣り針の形をしていること。さらに、同じ地層から魚の骨が多数見つかったことから、魚を獲るなんらかの手段があったのは明らかだからです。素材となった貝は、イノシシの骨よりも強度があります」
これまでの世界最古の釣り針は、東ティモールの同じく貝製の釣り針(2万3000〜1万6000年前)。国内最古は、神奈川県横須賀市の夏島貝塚で見つかった約1万年前のイノシシの骨製のものだ。
おわり
※ 以下は自分用メモw
①1949(昭和24)年、群馬県岩宿遺跡の発掘調査で、日本に縄文時代以前に「無土器文化」の存在が確認された。
⓶1951(昭和26)年、「栗原遺跡」にも無土器時代の存在が確かめられた。
③栗原遺跡の発掘調査の結果、1973(昭和48)年に、「立川ローム第X層」(約32000年前)から「磨製石斧」が発見された。
当時、長野県茶臼山遺跡、同県杉久保A遺跡か、千葉県三里塚No55遺跡からも磨製石斧の発見があったが、年代がわからなかった。
「関東ローム層」は32000年前と年代が確定されていたので、栗原遺跡は32000年前のもの。
④記事には「日本最古の暦製石斧」(世界でも最古)と記されているが、
この記事の日付が2017年5月であり、オーストラリアの磨製石器が世界最古と認められたのは2017年7月なので、この記事を書いた2017年5月当時は日本の磨製石器が世界最古だったということになる。
竹田さんの動画は2020/03/29に公開されたものなので、世界最古はオーストラリアとするべきだった。
⑤1949(昭和24)年、群馬県岩宿遺跡で「旧石器文化」が発見される以前は、日本最古の文化は「縄文時代」と考えられていた。
⑥稲荷台遺跡の発掘調査で、黒色土の下に厚く堆積していた「赤土」の最上部軟質部(ソフトローム)に10cm程食い込んで撚糸文土器が発見された。
⑦この赤土は岩宿遺跡で「旧石器文化包含層」と判明する前は、火山活動が活発な時代で人間の生活痕跡(遺跡) が無いと考えられ、発掘されてこなかった。(竹田さんもそういう説明をされている。)
しかし⑤をうけて、発掘されるようになり、岩宿遺跡や茂呂遺跡の大発見に繋がった。
⑧1938~9年、(昭和13~14)栗原遺跡で撚糸文様の土器片・尖底土器片・刃部磨製石斧が発見された。
⑨「栗原式」と命名された撚糸文土器型式は、その後の研究史では消滅してしまったが、現在の縄文土器編年では早期の平坂式あるいは花輪台II式に相当する。
⑩栗原遺跡は無土器時代、縄文時代、弥生時代、そして奈良・平安時代にかけての大集落遺跡であることが確認された。
⑪1972年についての記述のところに、旧石器時代(当時、「無土器時代と呼ばれた) という記述がある。
⑫栗原遺跡 第X層、約四万~三万二〇〇〇年前の「局部磨製石斧」が発見された。
⑬当時、磨製石器は無土器文化では長野県茶臼山遺跡、同県杉久保遺跡、それと千葉県三里塚遺跡No55地点の資料などしかなく、いずれも時代的認定(混入か) やローム層準の判定などに議論が存在していた。
⑭岩宿遺跡や磯山遺跡例は、「磨製か磨耗か」という論争に決着が着いていなかった。
⑮刃部を研磨した石斧、いわゆる「磨製石斧」は、一般的には1万年前以降の完新世の「新石器時代」から登場する石器。
磨製石斧は地球上のあらゆる石器文化段階の人々が使用した道具。
金属器時代の到来で「鉄斧」が出現すると、やがてその役割を終え消滅した。
⑯1949(昭和24)日本で初めて「旧石器文化」が岩宿遺跡で発見された。
ヨーロッパの旧石器時代下部(前期)文化段階に伴う「ハンドアックス」と呼ばれる特徴的な石器器種に類似していた。
⑰ヨーロッパ旧石器時代前期の真正なハンドアックスの形態より退化した終末的な段階と考えられたが
岩宿Ⅰの両面加工石器の1点が「磨製石器」ではないかという意見もあった。
⑱確かな旧石器文化陪から明確な「研磨痕」をもつ磨製石斧が出土したことによって、「旧石器時代の磨製石器」とされた。
⑲関東地方の遺跡の磨製石器の石材は緑色凝灰岩、緑色岩、輝緑岩、砂岩、透閃石岩ホルンフェルス、千枚岩など
緑色系岩石を多く使用している
ことから、他の石器石材(黒曜石、頁岩)と異なり、何か「緑色」に意義を持たせたことが推察されている。これは縄文時代に多用された、蛇紋岩製磨製石斧(緑色系石材)の利用意識とも共通しているという。
⑳現在、旧石器時代の磨製石斧は、ヨーロッパ、ロシア、オーストラリアなどで発見されている
㉑オーストラリア・ナワモイン遺跡(21,450±380Y.B.P.)から一六点。マランガンガー遺跡(29,000±11,OOOY.B.P.)から五点の磨製石斧が出土している。
自然礫の一端を直接磨いた例が多い。原住民のアボリジニによって、この種の磨製石斧が現代にまで長く受け継がれて使用されている。
㉒日本の旧石器時代の磨製石斧は、東北地方北部からと九州地方離島部まで約二五〇ヵ所近くの遺跡から約九〇〇点以上出土している。その大半は約三万二〇〇〇~三万年前に集中している。
㉓日本列島に初めて人類(ホモ・サピエンス)遺跡が確認されるのは、この立川ローム最下層部の「第X層文化」(約四万~三万二〇〇〇年前) 。
㉔ 石刃技法をもつ旧石器人の渡来
磨製石斧は先ナイフ形石器文化には未だ存在せず、次のナイフ形石器文化Ⅰに集中して発見される。
この時期の特徴は、それまでの不定形剥片を使用した錐状石器やナイフ状石器、そして礫器に特徴を持った石器群に代わって、石刃技法を持ち、基部加工のナイフ形石器、横長剥片を使用した台形状石器が登場している。
こうした石器群は、先ナイフ形石器文化には認められないことから、新しく日本列島に渡来した石器群と考えることが可能である。
いまのところ周辺大陸の旧石器文化との比較は難しいが、「石刃技法」の存在という観点から推定すると、南の東南アジア方面の礫核石器群より、北の剥片石器群(中国北部、朝鮮半島) の旧石器文化との関係を検討していく必要が あろう(小田二〇一三)。
㉕ いまのところ、周辺大陸には認められないことから、日本列島内で発生した可能性が大きい。
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あ~これ一応この手のもの専門で分類しているので一言言わせて頂きたいですね。
日本の局部磨製石斧は大陸の磨製石器のルーツとは断言できない◯
(多少の影響は与えたかもしれませんが局部磨製と新石器時代の磨製はかなり違いますので)
ですが(人類が石材を意図的に磨いた)世界最古の磨製石器(石斧)は日本であっています。
オーストラリアの例の石斧クリス・クラークソン教授らの研究チームの報告を読みましたが、摩耗か磨製かの判断は難しいかと思います。
また、「人工品」とされる遺物は、数万点にも達するとされます。正直、人工品ではなく自然遺物という疑問に答えられない代物かと存じます。
因みに長年の研究が行われている、日本の磨製石斧すら250ヵ所で900点以上であることを考えると、かなり首を捻る代物だとお分かりになるかと。
(小田氏の記述を既に読んでいるのでお分かりかとは思いますが)
また、オーストラリアの報告以後も、国立科学博物館等、地球史の説明でも磨製石斧の登場は後期旧石器時代として変わりありません。ネット上なんかんだと鵜呑みにして誤った情報そのまま出てたりしますが、AFPは2017年4月27日 7:03に「人類の米大陸到達は「13万年前」 定説大幅にさかのぼる」との記事を出しています。ネイチャーに発表した研究ですが、当然ながら定説と認められてはいません。オーストラリアの石斧も同様です。
因みに2012頃から発掘調査自体は行われているので全く発表まで情報皆無という訳でもありません。小田氏も過去にオーストラリア石斧について「自然礫面と研磨痕は明瞭でない」と述べており、全く新資料を知らなかったとも思えません。
小田氏が「磨製石斧は日本列島人が開発か」とし、その可能性を大とするのは、日本の局部磨製石斧は「磨いてないもの」→「局部磨製」の系譜が概ね明らかになっているというのも大きいでしょう。日本でも摩耗論争があり、長年の研究で世界最古の磨製石斧を確認した訳で、そんなに単純な話ではありません。少なくとも、所謂局部磨製石斧の起源は日本と見て良いでしょう。
因みにこうした系譜をまるで無視すれば、磨製品っぽい資料は見つかります。大抵はただの摩耗ですが……。
例として中国の磨製骨角器(約4万数千年年前頃)
日本の金取遺跡に(10?9~3万5000年)は、Asian Palaeolithic Association(アジア旧石器協会)にて、中国や朝鮮半島など周辺の地域では見つかっていない日本列島独自の発達を遂げた大型重量石器として評価を受けた「斧形石器」があります。その中には摩耗の後も使い続けられたものがみられるとされています。あまり知られていないにしろ、これははるかにオーストラリアより古いものとも言えます。
(日本考古学協会 千葉大学 2004年5月22日 岩手県金取遺跡(第1次)出土石器の産状の特徴と摩耗度研究の意義 菊池強一・中村由克)
このような特殊な例を除き、磨製石斧の登場のシナリオは変化することはかなり珍しいことでしょう。前期登場とかにはいきなりならないですので。釣り針ひとつみても意見が別れるわけですから、正か否かを問わず長い研究の積み重ねは大事です。
ま、言ってもろくに理解できないの輩が大声をあげるから迷惑なんですがね。(今回の場合は良く調べずにオーストラリアの件を持ち出した人ですが……)
[2022/10/18 22:00]
A
[
編集 ]
ざっと読ませていただきました。
オーストラリアの例など、さらに調べさせていただきます。
>、言ってもろくに理解できないの輩が大声をあげるから迷惑なんですがね。(今回の場合は良く調べずにオーストラリアの件を持ち出した人ですが……)
ははは、これ私に対する批判ですね。
どうもありがとうございました。
調べてみて、また返信させていただくかもしれません。
どうぞよろしくお願いします。
まずはお礼まで。
いま検索してみると、
ウィキ「磨製石器」の項目では世界最古はオーストラリアになっていました。
「局部磨製石斧」(石器ではなく石斧)は
「この年代は、日本出土のものが世界最古とされている。」
と微妙な表現で記されていました。
ウィキに間違いがあることはわかっているのですが
オーストラリアの石器について、摩耗であることを記した記事などあれば教えていただきたいのですが。
よろしくお願いします。
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