土蜘蛛の謎③ 一言主大神はドザエモンだった?
一言主神社
①木霊の神
古事記に次のような話がある。
雄略天皇が葛城山に登る時、向かいの山の尾根伝いに山に登る人たちがあったが、その一行は天皇の一行とまったく同じいでたちであった。
雄略は『この大和の国に私をおいてほかに大君はないのに、今誰が私と同じ様子で行くのか』と言った。
すると、向かいの山の方から、全く同じような返答が返ってきた。
雄略やお供の者が怒って矢を弓につがえると、向こうの人たちも矢をつがえた。
雄略は『そちらの名を名乗れ。そしてそれぞれが自分の名を名乗って矢を放とう。』
と言った。
向こうは『私が先に問われた。だから私が先に名乗ろう。私は悪いことも一言、良いことも一言、言い放つ神。葛城の一言主の大神である。』と言った。
これを聞いた雄略は畏まり、『おそれおおいことです。わが大神よ。現実の方であろうとはわかりませんでした。』
と言い、自分の刀や弓矢、お供の着ている衣服も脱がせて拝んで献上した。
一言主大神は、手を打ってそれを受け取り、雄略が帰る時、一言主大神一行が雄略を長谷の入口まで送った。
葛城山の南に金剛山があるが、かつて葛城山と金剛山はどちらも葛城山と呼ばれていた。
そして葛城山の山麓近くには一言主神社が、金剛山の山頂近くには葛木神社があって、どちらも一言主大神を祀っている。
高校のときにワンダーフォーゲル部に所属していた友人に聞いたのだが、葛城山から金剛山へ至るダイヤモンドトレールと呼ばれる道ではよく山彦が聴こえるという。
雄略天皇と同じいでたちをし、同じ言葉を語る一言主大神とは木霊(山彦)を神格化したものではないだろうか。
一言主神社には樹齢1200年と伝えられる御神木の大公孫樹がある。
木霊(山彦)はこの大公孫樹の声だと考えられたのかもしれない。

一言主神社 大公孫樹
②一言主大神はドザエモン?
797年に記された続日本紀は、古事記の記述とは異なっている。
高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争い、そのため天皇は一言主神を土佐国に流した。
土佐の一の宮、土佐神社には天皇が流罪とした一言主神が祀られている。
土佐神社という神社名はどこからつけられたのだろうか。
土佐にあるから土佐神社なのだろうか。
とすれば土佐という地名の由来は何なのだろうか。
土佐はかつて土左とも記したそうである。
もしかすると土佐という地名は土左衛門と関係があるのではないだろうか。
③水死体のことを土左衛門と言うのは、成瀬川土左衛門に由来するとは言い切れない。
土左衛門とは水死体のことである。
一般に、水死体のことを土左衛門というのは享保年間の力士「成瀬川土左衛門」が大変な肥満体で、体が膨れあがった水死体に似ていたためだと言われている。
しかし、これとは別の説もあり、土左衛門の語源が「成瀬川土左衛門」だという説は絶対的なものではない。
④土佐=十三?
土佐という地名から、私は青森県の十三湖(じゅうさんこ)にかつてあった十三湊(とさみなと)という地名を思い出す。
十三湊(とさみなと)という地名は十三湖(じゅうさんこ)の「十三」を「とさ」とよんだところからくるのだろう。
土佐も十三湊の十三と同じく「とさ」と読むが、この土佐という地名は十三からくるのではないだろうか?
⑤土左衛門=十三=重蔵?
大阪市の地名に十三というのがある。
「とさ」ではなく「じゅうそう」と読む。
この十三(じゅうそう)の地名の由来は『重蔵(じゅうぞう)』という人物の名前からくる、という説がある。
さらに石川県輪島市に「重蔵神社」がある。

重蔵神社 祭の行列
能登には漁師の重蔵とお小夜の悲恋伝説が伝わっている。
伝説には様々なパターンがあるが、そのひとつに次のようなものがある。
漁師の重蔵が水死し、恋人のお小夜は悲しむあまり、海に入って死んでしまった。
水死した重蔵は水死体、すなわち土左衛門である。
重蔵神社の重蔵とは水死体を意味する「土左衛門(どざえもん)」が「土左(とさ)」→「十三(じゅうさん)」→「じゅうそう」→「じゅうぞう」→「重蔵」となったのではないだろうか。
あるいは「十三(じゅうさん)」や「土左(とさ)」という言葉はもともとは「水死体」を意味するものであり、「土左(とさ)」→「十三(じゅうさん)」→「じゅうそう」→「じゅうぞう」→「重蔵」となったのかもしれない。

重蔵神社 キリコ祭
⑤男幽霊は土左衛門
輪島は舳倉島の奥津比咩(おくつひめ)神社に対する信仰が厚い土地で、重蔵神社の祭礼は、舳倉島の女神と輪島の男神が結ばれる祭とされている。
お小夜は舳倉島の女神の化身だと考えられる。
輪島市名舟町においても舳倉島の女神は厚く信仰されていたが、この名舟の郷土芸能として御陣乗太鼓がある。
御陣乗太鼓(向かって右端が男幽霊ではないかと思います。)
達磨太子、翁、男幽霊、女幽霊などの面を被った人々が太鼓を打ち鳴らすというものだが、男幽霊の面は別名を土左衛門(どざえもん)という。
男幽霊の別名が土佐衛門だと聞いて、私は重蔵神社という神社名の由来も土佐衛門からくるものにちがいないと確信した。
男幽霊は水死した土左衛門であり、土左から転じて重蔵と呼ばれるようになったのだろう。
女幽霊はもちろん、お小夜(=奥津比咩)である。

御陣乗太鼓
⑤土佐は土左衛門の霊がうごめく土地?
土佐神社に話を戻そう。
土佐は石川県の輪島と同じように漁師が多い。
暴風雨などにより海で命を落とす人も多かったことだろう。
土佐は土佐衛門の霊がうごめく土地だったといえるのではないだろうか。

御陣乗太鼓
⑥土佐はあの世、流刑者は土左衛門に喩えられていた?
さらに古の人々は平安京の中をこの世、平安京の外はあの世になぞらえていたそうである。
流刑地であった土佐もまた、あの世に喩えられたことだろう。
するとあの世に喩えられる流刑地に流される流刑者は水死体=土佐衛門に喩えられたのではないかと思えてくる。
そして、一言主大神は天皇に土佐に流罪とされた神であった。
一言主大神もまた土佐衛門だったといえるのではないだろうか。
⑦一言主大神は土蜘蛛だった?
一言主大神を祀る一言主神社には土蜘蛛の塚が置かれている。
土蜘蛛とは記紀や風土記に登場する「まつろわぬ民」のことである。
前回、私は土蜘蛛とは「首のない人」のことではないかと論じたが、首がないのは謀反の罪で斬首されたためである。
一言主神社に土蜘蛛の塚が置かれているのは、一言主大神が謀反の罪で斬首された土蜘蛛であるからではないだろうか。
土蜘蛛は謀反の罪で斬首され、さらに土佐へ流罪となったのではないか。

御陣乗太鼓
葛城一言主神社・・・奈良県御所市森脇字角田432
重蔵神社・・・石川県輪島市河合町4-68
重蔵神社・・・石川県輪島市河合町4-68
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