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トンデモもののけ辞典㉒ 一つ目小僧


黄表紙における一つ目小僧。北尾政美『夭怪着到牒』

黄表紙における一つ目小僧。北尾政美『夭怪着到牒』

①一つ目、一本足はたたら製鉄の妖怪?

一つ目小僧には、いろんなルーツを持つものがありそうである。

たたら製鉄に携わっていた人々をモデルに、一つ目、一本足の妖怪は作られたとよく言われる。
たたら製鉄では、片目をで火の温度をみるため、片目を失明することが多かったそうだ。
また鞴を踏んで風を送り続ける必要があり、そのため、足を悪くすることが多かったともいう。

上の「黄表紙における一つ目小僧。北尾政美『夭怪着到牒』」は二本足だが、たたら製鉄に携わっていた人々の特徴のうち、目の部分だけをとりあげて創作されたものなのかもしれない。

⓶事八日(2月8日と12月8日)に現れる箕借り婆と一つ目小僧

2月8日と12月8日のいずれか、もしくは両方を事八日という。
どちらを事八日とするのかについては、地域によって異なる。
12月8日を事治め、2月8日を事始めということもあるが、事を「正月行事」とし、12月8日を事始め、2月8日を事治めとする地域が関東の一部などにある。

関東地方には「2月8日と12月8日の事八日の夜に箕借り婆と一つ目小僧がやってくる」という言い伝えがある。

これを追い払うため、目籠(目の粗い竹製の籠)を長い竿に取り付けて、軒先にたてかけておくのだという。
なぜ籠をたてかけておくのかというと、籠のたくさんの目に驚いて妖怪がやってこないということであるらしい。


事八日


また門口にヒイラギやイワシの頭、ニンニクを取り付けたり、餅や団子を木に挿したものをとりつけたりすることもあるそうである。

鰯の頭をヒイラギの枝にさしたものを節分の日に門口に飾る習慣がある。
節分には「鬼追い」をするが、鬼は生臭いのが苦手で、鰯の頭を見ると逃げていくなどといわれる。
ヒイラギはとげのある葉が鬼を遠ざけると考えられたのだろうか。

事八日にヒイラギやイワシの頭を門口に飾るのも、節分のヒイラギイワシと同様の意味を持つものかもしれない。

ニンニクというのは西洋の吸血鬼よけを思わせて興味深い。
日本でも西洋でも発想は同じということなのか、あるいは西洋から伝えられたものなのか。

茨城や福島では事八日の日に訪れる妖怪のことをダイマナク、栃木ではダイマナコという。
大きな眼(まなこ)という意味だろうか。

③箕借り婆

千葉県南部では、1月26日から約10日間を「ミカワリ」または「ミカリ」という物忌みの期間としている。
兵庫県の西宮神社・徳島県木頭村(現・那賀町)では、祭りの前の物忌みをミカリといっている。
箕借り婆の「箕借り」とは、物忌みのことだろうか。
「身代わり」が由来とする説もあるらしい。

箕借り婆は、箕や人間の目を借りて行ってしまうという話もある。

④一つ目小僧は針の妖怪?

法輪寺 針供養3

法輪寺 針供養

京都の法輪寺では12月8日と2月8日に針供養を行っている。
針は普段固いものをさしているので、針供養では柔らかいこんにゃくに針を刺して供養する。

12月8日と2月8日の事八日は魔物が家の中をうかがっていると考えられ、身をつつしむ日とされていた。
(この魔物が、関東では蓑借り婆と一つ目小僧だと考えられたのだろう。)

身をつつしむ日なので女性たちはこの日針仕事をしなかったのだという。

針は一つ目である。
事八日にあらわれる一つ目小僧は針の妖怪ではないだろうか?

そう考えると、身をつつしむ日に針仕事をしなかった理由が説明できると思うのだが。


法輪寺 針供養

法輪寺 針供養

⑤法輪寺は惟喬親王、清和天皇ゆかりの寺

針供養の最も古い記録は、この法輪寺の針供養堂を清和天皇が建立したというものである。

法輪寺は惟喬親王ゆかりの寺で、
惟喬親王がこの寺に籠って虚空蔵菩薩より漆の製法を教わったという伝説があるのだが
法輪寺に針供養のお堂を建てた清和天皇は惟喬親王の異母弟である。

法輪寺 針供養2

法輪寺 針供養

⑥惟喬親王と惟仁親王(清和天皇)の世継争い

文徳天皇には紀静子が産んだ惟喬親王と、藤原明子が産んだ惟仁親王(清和天皇)があった。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えて源信に相談したのだが、源信は明子の父・藤原良房を憚って天皇をいさめたという。
結果、惟仁親王が皇太子となり、即位した。

法輪寺 針供養

法輪寺 針供養

⑦小野小町は惟喬親王?

私は小野小町とは小野宮とよばれていた小野小町のことではないかと考えている。
小野小町について、私は小野宮と呼ばれた惟喬親王のことだと考えている。
これについては詳しく「小野小町は男だった」のシリーズで述べたが、簡単にまとめておく。

a 古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。

b 古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。

c .小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
待ち針は穴のない針という意味で「小町針」だったのが、訛って待ち針になったといわれている。

d 『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。
三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、
 『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
  紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
  また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。
  三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
  そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。
  惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
  そういうことで小町なのではないだろうか。

e 花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。
①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。
※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』
※『世』・・・『世の中』と『男女関係』
※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』

しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。
③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。

小野小町歌碑 隨心院

随心院 小野小町像

⑧箕借り婆の正体は百歳の小野小町?

⑦の
c .小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
待ち針は穴のない針という意味で「小町針」だったのが、訛って待ち針になったといわれている。

に注意してほしい。

❶小野小町は「待ち針」に関係が深い。
❷小野小町の正体は小野宮と呼ばれた惟喬親王?
❸針供養は事八日に行われる。
❹針供養の最も古い記録は法輪寺。
❺法輪寺は惟喬親王、清和天皇ゆかりの寺。

❶~❺を考え合わせると、事八日に一つ目小僧とともに現れる箕借り婆とは小野小町ではないかと思える。

小野小町ゆかりの寺には「小町百歳像」なるものが残されていることがある。
能の卒塔婆小町にも百歳の老婆となった小町が登場する。

箕借り婆の「箕借り」の意味はよくわからない。もう少し考えてみる。


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