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トンデモもののけ辞典⑫ 猿神


猿神

『今昔物語集』の猿神退治

①猿神伝説

ウィキペディア「猿神」に記されている猿神伝説の記述を要約してまとめてみる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%A5%9E

❶『耀天記(ようてんき)』
漢字の発明者・蒼頡(伝説上の人物)「神の出現前に、釈迦が日本の日吉に猿神として現れ吉凶を示す」と知り、「申(さる)に示す」と意味で漢字の「神」を発明した。
蒼頡は釈迦の前世の姿で、釈迦が日吉に祀られると猿たちは日吉大社に集まった。

❷『日本現報善悪霊異記』
近江国野洲郡(現・滋賀県野洲市) の三上山の僧のもとにサルが現れて、
「自分はインドの王だったが生前の罪でサルに生まれ変わり、この神社の神となった」と語った。
『絵本太閤記』
豊臣秀吉の母が男子を授かるよう日吉神に願ったところ、体内に太陽が入る夢を見て秀吉を身ごもった。

❸妖怪の猿神『今昔物語集』「美作國神依猟師謀止生贄語」
美作国(現・岡山県)の中山の神である大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。
若い猟師が大猿退治をするため、少女の身代りとなってサル退治の訓練をつんだ犬とともに櫃に入って生贄となった。
そこへ身長7,8尺(約2メートル以上)の大猿が100匹ほどの猿を引き連れて現れた。
猟師は櫃から飛び出してサルたちを次々にやっつけた。
一匹残った大猿は宮司につき、「二度と生贄を求めないので許してくれ」といったので、猟師は大猿を逃がした。

❹『藤袋の草子』「室町時代)
近江国(現・滋賀県)の老人が畑を耕しながら「猿でもいいから、仕事を手伝ってくれた者を自分の婿にする」と言った。すると大猿が現れて畑仕事を手伝った。
翌日、大猿は老人の娘を奪って山へ連れて行った。
大猿は娘を藤袋に閉じ込めたが、大猿がその場を離れた隙に、貴族が娘を救いだした。
そして袋に犬を入れた。
戻ってきた大猿は犬に噛み殺された。

❺『太平百物語』(享保)
能登国(現・石川県北部)で、武士が化物屋敷の厠に入ると、何者かが尻を撫でた。
引きずり出して刺殺し正体を確認すると老いた猿だった。
屋敷の裏には猿に食われた人骨が無数にあった。

❻岡山県備前地方や徳島県那賀郡木頭地方
猿に憑かれた人は暴れ出す。その害は犬神より大きい。

⓶猿神と狒々は関係が深い

❸❹の話は以前にお話しした妖怪・狒々の話と類似している。
トンデモもののけ辞典⑩ 狒々

また❷に豊臣秀吉と日吉神の関係が記されているが、日吉大社の神使は猿である。

そして狒々を退治した岩見重太郎は、豊臣秀吉に仕えていた薄田隼人正兼相のことだといわれる。
役職名に隼人正とあるが、隼人とは古に九州南部に住んでいた民で、都に強制移住させられ、宮中の警備の仕事をさせられていた。
隼人たちは犬の鳴きまねをして警備をしていた。
そこから岩見重太郎=薄田隼人正兼相=隼人=犬
と発想されたと考えられる。

秀吉は容貌も猿に似ていたとされるので、犬猿の仲
(「秀吉=猿=狒々」「岩見重太郎=薄田隼人正兼相=犬」)という発想から、岩見重太郎が狒々を退治したという話が創作されたのではないか。
※ただし、物語としての設定であり、秀吉と薄田隼人正兼相が対立していたわけではない。

③猿丸大夫

猿の神については秀吉以外にも思い当たる人物がいる。猿丸大夫である。

猿丸大夫は生没年は不明だが、古今和歌集や百人一首に
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき
という歌が掲載されている。
(ただし古今和歌集では「よみびとしらず」となっている。)

京都・宇治田原にこの猿丸大夫を祀る猿丸神社がある。
猿丸大夫は神なのである。

猿丸神社 

猿丸神社

④猿丸大夫の正体は志貴皇子・道鏡・弓削浄人の総称?

猿丸大夫は公的史料の名前がないため、本名ではないとする説がある。
梅原猛さんは「猿丸大夫=柿本猨=柿本人麿説」を唱えておられるが、
私は猿丸大夫とは志貴皇子、弓削浄人、道鏡の三人の総称ではないかと考えている。

これについては20回シリーズ 「謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?」に詳しく書いたので、ここではできるだけ簡潔にその理由をまとめてみたいと思う。

❶猿丸神社には三番叟を舞う姿をした猿の像がある。

猿丸神社 狛猿

猿丸神社

また京都・日吉神社、京都御所の猿が辻などの猿像も三番叟の姿をしている。
どうやら、猿と三番叟は関係が深そうである。
※三番叟とは猿楽(猿楽は明治以降能と呼ばれるようになった。)・翁において、黒い翁面をつけて舞うもののことである。

おきな 三番叟

八坂神社 翁 三番叟

日吉大社猿

京都・新日吉神宮

❷奈良豆比古神社では猿楽「翁」とほぼ同じ内容の「翁舞」が奉納されている。
ただし、猿楽の「翁」は一人なのにたいし、「翁舞」の翁は三人である。

❸奈良豆比古神社の「翁舞」は同神社に伝わる次のような伝説に基づくものである。

壬申の乱で志貴皇子は異母兄弟・大友皇子側についたが、大友皇子は敗れて大海人皇子が天皇になった。(壬申の乱)
そのため乱後の志貴皇子は不遇だった。
その後、志貴皇子の第二皇子の春日王がハンセン病を患ってここ奈良坂の庵で療養した。
春日王には浄人王と安貴王という二人の子供があって、この兄弟が熱心に春日王の看病をした。
兄の浄人王は散楽と俳優(わざおぎ)が得意だったので、ある時、春日大社で神楽を舞って父の病気平癒を祈った。
そのかいあって春日王の病気は快方に向かった。

浄人王は弓をつくり、安貴王は草花を摘み、これらを市場で売って生計をたてていた。
都の人々は兄弟のことを夙冠者黒人と呼んだ。
桓武天皇は兄弟の孝行を褒め称え、浄人王に『弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)』の名と位を与えて、奈良坂の春日宮の神主とした。

奈良豆比古神社 三人翁

奈良豆比古神社「翁舞」

❹地元ではハンセン病を患ったのは春日王ではなく志貴皇子だという、もう一つの伝説と伝えられている。
志貴皇子は別名を春日宮天皇、田原天皇という。(追尊であり、実際に好意についていたわけではない。)
春日王は別名を田原太子ともいう。
志貴皇子と春日王は親子で全く同じ名前で呼ばれていたことになる。

志貴皇子・・・・・春日宮天皇・・・田原天皇
志貴皇子の子・・・春日王・・・・・田原太子

このようなケースはないと思う。志貴皇子と春日王は同一人物ではないか。

❺道鏡は志貴皇子の子とする史料がある。(『僧綱補任』『本朝皇胤紹運録』)
そして伝説では「浄人王に『弓削首夙人』の名と位を与えて」とある。
夙とは中世、畿内に住んでいたとされる賎民のことである。
つまり浄人王は皇族の身分から賎民=非人の身分にされ、名前は弓削浄人となったということだろう。
弓削浄人とは道鏡の弟の名前である。
少なくとも、奈良豆比古神社付近に住む人々は、志貴皇子、道鏡、弓削浄人は親子であると考えていたということだと思う。

❻志貴皇子の薨去年は正史では716年だが、万葉集詞書では715年となっている。
そのため、志貴皇子は715年に暗殺されたが、その死が1年ちかく隠されていたとする説がある。
また、笠金村がよんだ次の歌は、志貴皇子の死が隠されていることを想起させる。

高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散るのだろうか。見る人もなく。)

御笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに
(御笠山の野辺を行く道は、これほどにも草繁く荒れてしまったのか。皇子が亡くなって久しい時も経っていないのに。)

白毫寺

志貴皇子邸宅跡と伝わる白毫寺には萩がたくさんうえられている。

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき/猿丸大夫

猿丸神社

猿丸神社

この歌は楓の紅葉を歌った歌ではない。

古今和歌集は隣あった和歌は同じ語句が用いられている。

214. 山里は 秋こそことに  わびしけれ しかのなくねに めをさましつゝ/忠岑
215.奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき/読み人知らず
216 秋はぎに うらびれをれば  あしひきの 山したとよみ 鹿のなくらむ/読み人知らず

214番と215番の歌は「山」「秋」「鹿」「なく」という言葉でつながっている。
215番と216番の歌は「秋」「鳴く」「鹿」が同じだ。
しかし、「秋」でつながっているとするのではなく、「紅葉」と「秋はぎ」でつながっているとみられている。
つまり、215番の歌に「紅葉」とあるのは楓ではなく、萩の黄葉だということになる。

『定家八代抄』では次のような順番で歌が掲載されている。
a.下もみぢ かつ散る山の 夕時雨 濡れてや鹿の 独り鳴くらん
b.奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき
c.秋萩に うらびれ居れば あしびきの 山下とよみ 鹿の鳴くらん

こちらも古今和歌集と同じように語句で歌と歌がつながっているようである。
(番号もつけられているのかもしれないが、わからないので、仮にabcとしておく。)

「もみぢ」を『萩の黄葉」と考えれば、「奥山に」の歌は志貴皇子の死を悼んだ次の歌と対応しているように思える。
高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散るのだろうか。見る人もなく)

❽道鏡を寵愛していた称徳天皇が崩御すると、道鏡は流罪となった。
道鏡の流罪先の下野には二荒山神社があり、かつて猿丸社とも呼ばれており、二荒山神社神職・小野氏の祖である小野猿丸が猿丸大夫だとする説もある。

二荒山神社

二荒山神社

二荒山神社の隣には日光東照宮があるが、そこには有名な三猿のレリーフがある。

日光東照宮 三猿

日光東照宮

❾道鏡が流罪になったとき、道鏡の弟の弓削浄人は土佐に流罪になった。
高知県高岡郡佐川町・猿丸峠に猿丸太夫の墓があり、次のように記されている。

佐川町指定文化財 猿丸太夫伝説の墓
元従二位大納言弓削浄人(猿丸太夫)は、位人臣を極めた兄弓削道鏡の失脚により、土佐の地に流され、ここ猿丸山に居住したといわれている。
佐川における猿丸太夫(弓削浄人)の墓の伝説は、彼の流罪の年、宝亀元年(770)から数えて千二百年余りを経ていて奈良朝時代から夢の跡が長く伝わっているのは他にない。

平成四年三月一日建立
高知県文化財保存事業
佐川町教育委員会

❿猿丸神社境内には「猿丸太夫故址」としるされた石柱があり、猿丸神社からそう離れていない場所に大宮神社があり、その境内に「田原天皇社舊(旧)跡」がある。
田原天皇とは志貴皇子のことである。
宇治田原は志貴皇子と関係の深い土地であり、宇治田原に志貴皇子の陵墓があったとも伝えられている。

猿丸神社 境内

猿丸神社

田原天皇旧跡2

田原天皇社舊(旧)跡

③猿神=道鏡は称徳天皇と男女の仲だった。ゆえに猿神=女好き?

❸の美作国(現・岡山県)中山の神の大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。
❹の近江国の猿は老人の娘をさらったが、最後は犬に書き殺されている。

犬の早太郎が狒々を退治したという伝説があり、やはり猿神と狒々はかなり伝説がかぶっているようである。
女好きという点でも、猿神と狒々は共通している。

さて、猿神はなぜ女好きだと考えられたのだろうか。
その理由はいくつか考えられる。

猿神とは志貴皇子・道鏡・弓削浄人の総称だと私は考えているのだが
このうちの道鏡は、一般に称徳天皇(女帝)の寵愛を受けていたと考えられている。

井沢元彦さんは「逆説の日本史」の中で、道鏡と称徳天皇は男女の仲ではなかったとしておられる。
図書館で借りて読んだので、今手元に本がないが、
当事は鑑真が戒律を持ち込んだばかりであり、称徳天皇も戒律を受けている。
また道鏡は法王という身分であり、そのような身分の人が戒律をおかすはずがない。
寵愛を受けていたとするのは、藤原氏が流したデマだ、というような内容であったと思う。

私はこの説を支持しているが、それはひとまずおいておく。

猿神=志貴皇子・道鏡・弓削浄人
その中の一柱である道鏡は、称徳天皇と男女の仲だった。
∴ 猿神=女好き

このような連想から、猿神は女好きとされたのかもしれない。

④男女和合は荒神(男神)を鎮める呪術?

もうひとつ考えられることは、男女和合は荒神(男神)を鎮める呪術だったのではないか、ということだ。

神はその現れ方によって3つに分けられるといわれる。

御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面

そして、男神は荒魂を、女神は和魂を表すといわれる。
とすれば御霊は男女双体の神と言うことになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神

大聖歓喜天(聖天)は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説がある。
人々に祟りをもたらしていたビナヤキャは十一面観音の化身であるビナヤキャ女神に一目ぼれし、ビナヤキャ女神に結婚を申し込んだ。
ビナヤキャ女神は「仏法守護を誓うならあなたと結婚しましょう」といった。
ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神と結ばれた。

歓喜天

歓喜天

大聖歓喜天の、足を踏みつけているほうがビナヤキャ女神、足を踏まれているほうがビナヤキャとされる。

この説話は御霊、和魂、荒魂の性質をうまく表していると思う。
すなわち、男神である荒魂は、女神である和魂に足をふみつけられて、動けない状態にされている。
これが「神の結婚」の意味なのだと思う。

つまり猿神が女好きということは、猿神(猿丸大夫)はそれだけ祟る神だったということである。





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