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トンデモもののけ辞典⑦ 妖怪・鵺 と 猪早太


鵺

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「鵼」

①近衛天皇を怯えさせた鵺

近衛天皇が妖怪・鵺に怯えたという話が平家物語に記されている。

近衛天皇が毎晩何かに怯えるようになったため、源頼政が警護をすることになった。
深夜、頼政が御所の庭を警護していたところ、艮(うしとら)の方角(=北東の方角)よりもくもくと黒雲が湧き上がり、その中から頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇という鵺と呼ばれる怪物が現れた。
頼政は弓で鵺を射、郎党・猪早太(いのはやた)が太刀で仕留めた。
その後、頼政は仕留めた鵺の体をバラバラに切り刻み、それぞれ笹の小船に乗せて海に流した。

⓶鵺は崇徳の生霊?

私は鵺とは近衛の異母兄・崇徳の生霊ではないかと考えている。
というのは、当時「近衛の崩御は、前帝・崇徳が呪詛したためだ」という噂が流れていたからである。

崇徳の呪詛を妖怪の形にしたものが鵺だといってもいいかもしれない。

崇徳と近衛はともに鳥羽天皇の皇子とされる。
しかし『古事談』には、「崇徳の本当の父親は鳥羽ではなく鳥羽の祖父・白河である」と記されています。
白河は養女としていた藤原璋子を鳥羽に与えたのですが、このとき璋子は白河の子である崇徳を身籠っていたというのだ。
鳥羽は崇徳を「叔父子」と呼んで嫌っていたそうである。
「叔父子」とは、叔父にして子、という意味だ。

崇徳は1123年に4歳で即位。
1141年、崇徳は鳥羽に退位を迫られて異母弟の近衛に譲位した。
近衛は崇徳の養子として即位するはずだったが、譲位の宣命には「皇太弟」となっていた。
近衛が皇太弟では、崇徳は院政が行うことができない。
そのため、崇徳が上皇となってからも鳥羽が権力を握っていた。

崇徳が近衛を呪詛したというのが本当なのかどうかはわからないが、崇徳が不満をつのらせていたことは確かだろう。
近衛が17歳で崩御したのち、崇徳の第一皇子・重仁親王が次期天皇として有力視された。
ところが崇徳を嫌う鳥羽は後白河(崇徳の同母弟)を天皇とした。

1156年、崇徳は保元の乱を起こして後白河と争う。
しかし後白河側が勝利して、崇徳は讃岐へ流罪となった。

崇徳が流刑地の讃岐で没したあと、延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ヶ谷の陰謀などがおこった。
また建春門院・高松院・六条院・九条院らが相次いで死去し、
これらは崇徳の怨霊の仕業であると考えられた。

讃岐に流された崇徳上皇

讃岐に流された崇徳上皇(歌川国芳画)

③猪早太=亥隼人=亥犬?(隼人は犬の鳴きまねをしていた)

①に書いた鵺伝説を思い出してほしい。
鵺を太刀でしとめた郎党の名前は猪早太だった。

古代、九州に住んでいた民のことを隼人といった
奈良時代、隼人たちは畿内に強制移住させられ、宮廷の警備の仕事をさせられていた。
隼人たちは犬の鳴き声をまねて警護を行っていたとされる。

犬の鳴きまねをするのに、彼らはなぜ隼なのか。
鷹狩には隼を用いることもあった。
隼人と言われる人々が犬の鳴きまねをして警護を指せられていたのは、彼らが鷹狩をする民族であり、その際、犬を用いていたからではないだろうか。

そして、猪早太の早は隼人=犬=干支の戌、また猪は干支の亥を表し、猪早太とは干支の戌亥(いぬい/乾)を表すとする説がある。

乾は八卦では全陽を表す。

一方鵺は頭が猿とあり、これは干支の申または羊申(ひつじさる/坤)を意味しているのではないでしょうか。
坤は八卦では全陰で、乾と正反対の符である。

④鵺は崇徳の陰の気、猪早太は崇徳の陽の気?

陰陽道では「陰が極まると陽に転じる」と考える。

またウィキペディアの「祟り神」の項目には次のように記されている。

祟り神(たたりがみ)は、荒御霊であり畏怖され忌避されるものであるが、手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々である。


この「荒御霊は手厚く祀ると守護神になる」とする考え方は陰陽道の「陰が極まると陽に転じる」という考え方からくるものだと思う。

ということは、猪早太(戌亥=乾)とは、鵺(未申=坤)が陽に転じたものなのではないだろうか。。
鵺=崇徳の生霊と考えれば、崇徳の陰の気が、陽に転じたものが猪早太だということになる。

つまり鵺は崇徳の陰の気、猪早太は崇徳の陽の気であり、崇徳は自分で自分を殺したということである。


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