とんでももののけ辞典⑥ 瓢箪小僧
①瓢箪小僧は鉢叩きの付喪神?
鳥山石燕『百器徒然袋』より「瓢箪小僧」(下)と「乳鉢坊」(上)
上の絵の下に描かれているのが瓢箪小僧、上に描かれているのが乳鉢坊である。
乳鉢坊は、、鐃鈸(にょうはち、にゅうばち)、銅鈸子(どうばつし)・銅拍子などと呼ばれる楽器の妖怪とされる。
シンバルのようなものだろう。
シンバルのようなものだろう。
これと同様のものは見たことがある。
上の写真は大阪四天王寺の聖霊会を撮影したものである。
僧侶が手に持っているのが鐃鈸ではないかと思う。
瓢箪も楽器のように用いられることがあった。
瓢箪も楽器のように用いられることがあった。
上の写真は京都・北野天満宮の節分狂言である。
角度的にわかりにくくて申し訳ないが、手に瓢箪をもち、バチで叩いている。
これは『鉢叩き』だと思う。
かつて京都・空也堂の僧侶たちは鉢や瓢箪を叩きながら和讃を唱えるなどして金銭を得ていた。
そのため、彼らは『鉢叩き』と呼ばれていた。
特に年末(旧暦11月13日から大晦日まで)に瓢箪を叩きながら手作りの茶筅を売り歩く習慣が近年まであった。
空也堂の僧以外にもこれを行う者が出てきたようで、江戸時代には門付け芸(人家の門前で芸能を行って金品をもらうこと)となり、広く全国で行われた。
鉢叩きのルーツは空也上人がはじめたと伝わる踊り念仏だろう。
上の写真は、空也堂の空也忌で奉納された踊り念仏である。
上は六波羅蜜寺所蔵の空也像である。
疫病を鎮めるため、空也は南無阿弥陀仏と称えながら踊る踊り念仏を行ったという。
その姿を刻んだものだ。
胸元には鉦が見える。空也は鉦をうちならしながら踊り念仏を行ったのだ。
妖怪・乳鉢坊はこの踊念仏に用いる鉦の付喪神なのかもしれない。
(付喪神/器物は100年を経ると精霊が宿ると信じられていた。)
だとすれば、瓢箪小僧もまた踊念仏や鉢叩きに用いられる瓢箪の付喪神であるのかもしれない。
⓶瓢箪の二つのふくらみが男女和合をあらわす?
ウィキペディアには瓢箪小僧について、次のように記されている。
瓢箪小僧(ひょうたんこぞう)は、鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれている日本の妖怪で、瓢箪の妖怪である。
これを読むと、瓢箪小僧とは鳥山石燕が創作した妖怪の様に思える。
鳥山石燕は、瓢箪を妖怪にしようという着想をどこから得たのか。
彼は念仏踊や鉢叩きから着想を得たのかもしれないが、瓢箪はそれ以前より霊力のある植物であると考えられていたという事実もある。
たとえば中国にこんな伝説がある。
あるとき大洪水がおこって多くの人間が死んたが、伏羲と女媧という兄妹は巨大な瓢箪の中に隠れていたので無事だった。
兄妹は結婚して子供を産み、人類の祖となった。
中国版ノアの方舟である。
なぜこんな伝説が生じたのだろうか。
それは瓢箪の実が二つのふくらみを持っていることによると思う。
瓢箪の実の、大きい方のふくらみが伏羲、小さい方のふくらみが女媧ということだろう。
つまり、昔の中国の人々は、瓢箪の実を男女が合体した姿、男女和合した姿であると考えたのではないかと思われる。
③沈まなかった瓢箪
この中国版ノアの方舟の影響を受けたと思われる話が、日本書紀に記されている。
茨田堤は難工事で、どうしても決壊してしまう場所が2か所あった。
そんなとき仁徳天皇の夢の中に神様があらわれ「武蔵のコワクビ(強頸)と河内の人の茨田連衫子(まむたのむらじころもこ)を人柱にすれば工事は成功するだろう」と告げた。
そこでこの二人が人柱にされることになった。
コワクビは泣きながら川の中に入って没した。
工事は成功しコワクビの断間(こわくびのたえま)と呼ばれた。
コロモコはヒョウタンを川に投げ入れ、「神よ、このヒョウタンを沈めてみよ。沈めることができなければ偽りの神だ。」と言った。
ヒョウタンは沈まず、コロモコは人柱にならずに済んだ。
コロモコは人柱にならなかったが工事は成功し、コロモコの断間(ころもこのたえま)と呼ばれた。
大阪府門真市の堤根神社境内には茨田堤跡が残されている。
茨田堤(堤根神社)
大阪府寝屋川市太間(たいま)町 の地名の由来はコロモコの断間からくるといわれ、淀川の堤防に茨田堤の石碑が建てられている。
茨田堤 (寝屋川市太間町)
④福禄寿は瓢箪の神だった?
上の写真は石切七福神にあた福禄寿像である。
福禄寿は筒の様な長い頭のお姿であらわされることが多いが、写真のように頭の上にもうひとつ頭がついたようなお姿であらわされることもある。
石切七福神 ポスター(文字は筆者がいれました。)
七福神のメンバーは蛭子・大黒・布袋・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人の七柱だが、このうち福禄寿も寿老人も南老人星を神格化した神とされる。
布袋の頭が長いのは、頭部がふたつ(福禄寿と寿老人)くっついているためではないだろうか。
上の石切七福神のポスターもそうだが、寿老人は頭に頭巾をかぶった姿であらわされることが多い。
この頭巾をとると寿老人も福禄寿のように長い頭をしているのかもしれない。
⑤南極老人星は南の低い位置に出る。
南極老人星とはカノープス(りゅうこつ座α星)という星のことで、連星でも、見かけ上の連星(北斗七星のミザールとアルコルなど)でもない。
それなのに、なぜ南極老人星の神は二柱いるのだろうか。
南極老人星は南の空の非常に低い位置に出る。
東京から見たカノープス
赤緯マイナス52度42分に位置するため、南半球では容易に観測できるが、北半球では原理的には北緯37.3(=90-52.7)度以北では南中時でも地平線の下に隠れて見ることができない。
ただし、大気を通るときの屈折があるため、北限はわずかに北上する。
日本では東北地方南部より南の地域でしか見ることはできない。
角度では可能とされる地域であっても、北緯36度の東京の地表では南の地平線近く2度程度、北緯35度の京都でも3度程度の高さにしか上らず、地上からの光害や、大気を通る距離も長いため全天でシリウスに次いで明るいとは思えないほどに減光して赤くなり、見つけることはより困難となる。本州よりは高い位置に観測でき、九州南部の鹿児島では6度程度、沖縄の那覇では10度程度の高さまでのぼる。
南緯37.3度以南、たとえばp-ストラリアのメルボルンでは、年中沈まない周極星になる。
⑥北半球でも南十字星が見えていた時期があった。
現在、北半球から南十字星は見えませんが、地球の歳差運動の影響で、過去に北半球でも南十字星が見えていた時代があった。
天の北極にある星のことを北極星というが、時代によって北極星は変わる。
北極星が変わるのは、地球が歳差運動といって下図のように独楽がぶれるような動きをしているためである。
地球の歳差運動の周期は約25800年である。
す。
⑦キリストは冬至に向かって南中高度を下げていく太陽、十字架は南十字星の比喩?
イエスキリストは十字架にかけられて3日後に復活したとされる。
これについて、イエスキリストは太陽の比喩、十字架は南十字星の比喩ではないかとする説がある。
冬至にむかって太陽はどんどん南中高度をさげていき、南十字星の位置にまで達する地域があった。
「キリストが十字架にかけられた」のは、これを意味しているのではないかというのだ。
またキリストは死後3日目に復活していますが、これは冬至から再び太陽が南中高度をあげていくことをあらわしているのではないかとしている。
⑧トマスは冬至に向かって南中高度を下げていく太陽、キリストは冬至から3日後より南中高度をあげていく太陽?
キリストにはトマスという双子の兄弟がいたという説がある。
トマスとはアラム語で「双子」という意味である。
また「トマス行伝」にはトマスのことを「メシアの双子、至高者の使徒」、
「剣闘者トマスの書」では、トマスはイエスに「私の双子の兄弟」と呼びかけられている。
さらにキリストが十字架にかけられて死んだというが、実は双子のトマスがキリストの身代わりになったのであり
トマスの死後3日後に、キリストがしゃあしゃあと姿を現し、人々はキリストが生き返ったと錯覚したのではないかという説もある。
すると、トマスは冬至に向かって南中高度を下げていく太陽
キリストは冬至から3日目より南中高度を上げていく太陽
ということになる。
⑨南極老人星は南十字星と同じく冬至の太陽の南中高度の低さをあらわす?
南極老人星は南十字星と同じく、南中高度が低くなった太陽の位置の目安とされたのではないだろうか。
そして福禄寿と寿老人は南極老人星の神というよりは、南中高度が南極老人星に近づいた冬至のころの太陽を擬人化した神なのかもしれない。
つまり福禄寿と寿老人のうち片方は冬至に向かって南中高度をさげ南極老人星に近づいていく太陽、
もう片方は冬至から3日目より南中高度をあげ南極老人星から離れていく太陽を神格化した神ではないかと思うのだ。
⑨鹿は死を、鶴(白鳥)は復活を意味する?
それでは福禄寿と寿老人のうち、どちらが南中高度をさげていく太陽で、どちらが南中高度をあげていく太陽なのだろうか。
南中高度を下げていく太陽は寿老人で、南中高度をあげていく太陽は福禄寿だと思う。
寿老人は鹿を、福禄寿は鶴をつれているとされる。
日本書紀に『トガノの鹿』という物語があり、鹿とは謀反人を比喩したものであるとする説がある。
雄鹿が『全身に霜がおりる夢を見た。』と言うと雌鹿が『霜だと思ったのは塩であなたは殺されて塩が振られているのです。』と答えた。
翌朝猟師が雄鹿を射て殺した。
時の人々は『夢占いのとおりになってしまった』と噂した。 (トガノの鹿)
一方、鶴は大空高く舞い上がる動物なので、南中高度をあげていく太陽にふさわしく思える。
このように考えてみると、瓢箪小僧とは、
冬至に向かって南中高度をさげていく太陽と、冬至から南中高度をあげていく太陽等を
冬至に向かって南中高度をさげていく太陽と、冬至から南中高度をあげていく太陽等を
神格化した妖怪だといえるかもしれない。
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