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小野小町は男だった⑬ 『小野小町は男だった!』 

小野小町は男だった⑫ あなめ小町『小野小町は髑髏本尊だった?』 よりつづく~


京都御所 1
京都御所

①残った4つの小町伝説

残る小町伝説は次の4つである。

①京都八瀬の里で修行する僧に薪や木の実を届ける女がいた。
女は「小野とは言はじ、薄生いたる、市原野辺に住む」と言って消える。
僧が市原野へ出かけて小町を弔っていると、四位少将の霊が現れ、小町の成仏を妨げる。
少将は百夜通いの後、成仏出来無いで苦しんでいた。
僧が、「懺悔に罪を滅ぼし給え」と勧めると、小町と共に成仏する。(通小町)


② 百歳の老女となった小野小町が近江の国関寺のあたりをさすらっているという話を聞いた陽成院が、小町に次のような歌を贈った。
雲の上は ありし昔に 変はらねど 見し玉簾の うちやゆかしき
(宮中は、かつての昔と変わっていないがあなたは、昔見慣れた玉簾(内裏)がなつかしくありませんか。)
 
小町は鸚鵡返しといって、院に歌を返した。
雲の上は ありし昔に 変はらねど 見し玉簾の うちぞゆかしき
(私は、昔見慣れた玉簾(内裏)がなつかしいです。)

相手の歌の「や」を「ぞ」に替えるだけで返歌した、鸚鵡返しの歌として知られる。(鸚鵡小町)

③絶世の美女であったにもかかわらず、男を寄せ付けなかった小町は実は男を受け入れられない体であった。
穴のない「まち針」は「小町針」がなまったものである。(小町針)

④昔、色気づいた女が三人の子に「思いやりのある男にお会いしたい」と話した。
三男は「よい男が現れるでしょう」と夢判断をし、在五中将(在原業平)に頼み込んだ。
在五中将は女をかわいそうに思ってやってきて寝た。
しかしその後、在五中将は女のもとへやってこなくなり、女は男の家に行って中を伺った。
男は女をちらっとみて歌を詠んだ。

ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪 我を恋ふらし おもかげに見ゆ
(百年に1年たりない九十九歳の白髪の女が、私を恋い慕っているのが 面影に見える。)

その後、男がでかけようとしたので、女は家に戻って横になった。
在五中将が女の家の前で中を伺うと、女は次のように歌を詠んだ。

さむしろに 衣かたしき こよひもや こひしき人に あはでのみねむ
(狭いむしろに衣を一枚だけ敷き、今宵も恋しい人に会えずに寝るのだろうか。)

在五中将は女がかわいそうになり、その夜は女と寝た。
※伊勢物語には単に「色気づいた女」とあるが、伊勢物語の注釈書・『知顕集)』には次のように記されている。
「このをんなは、をののこまちなり。小野小町とふ、こまちには子ありともきかぬに、三人ありといへり。いかなる人の子をうみけるぞや、おぼつかなし。」
(この女は小野小町である。小野小町に子供があったとは聞いたことがないが、三人の子がいるとしている。どんな人の子を産んだのか、はっきりしない)(伊勢物語)

補陀落寺(小町寺) 紅葉 
補陀落寺(小町寺)

②小野小町は小野という名前ではなかった?

⑩の『通い小町』では小町と思われる女性が「小野とは言はじ、薄生いたる、市原野辺に住む」と言っている。
京都市左京区静市市原町に小町寺(補陀落寺)という寺がある。
市原は小野氏の所領地で、市原にある小町寺は小野小町終焉の地とされている。
小野小町の謎⑫ あなめ小町 で『あなめ小町』についてお話したが、小町寺の境内には小町の髑髏があったという場所が存在している。
「小野とは言わじ」という台詞が気になる。
「私の名前は小野ではない」ということだろうか?

補陀落寺(小町寺) 小野小町供養塔

補陀落寺(小町寺) 小野小町供養塔

③一字違いで大違いのもの、なあに?

⑪の鸚鵡小町では小町は相手の歌の「や」を「ぞ」に替えるだけで返歌している。
これは謎々ではないだろうか。
「一字違いで大違いのものはなあに?」という。

小町寺 小野皇太后供養塔

補陀落寺(小町寺) 小野皇太后供養塔

④穴のない体=男?


⑫小町針では小町は穴のない体であったとしている。
小町は先天性膣欠損症だったのか?

以前、紹介した古今和歌集仮名序の、小町について述べられた箇所をもう一度見てみよう。

小野小町は いにしへの衣通姫の流なり
あはれなるやうにて強からず
いはばよき女の悩めるところあるに似たり
強からぬは 女の歌なればなるべし


うーん?やけに女であることを強調しすぎてはいないだろうか。

古今和歌集仮名序は紀貫之が書いたと言われている。
紀貫之が著した土佐日記の出だしは「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」だった。
紀貫之は男であるが、女であると偽って日記を書くような一筋縄ではいかない人物だった。

そして古今和歌集には、男が女の身になって詠んだ歌が数多く存在している。
もしかして小野小町とは男?

そういえば、補陀落寺に小野老衰像があったが、骨格がしっかりしていて男性のように見えた。
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=1000200

惟喬親王像

惟喬親王像 (惟喬親王陵/滋賀県東近江市筒井峠)
 

⑤小野小町は小野宮だった?

通い小町では小町は「小野とはいわじ」と言っている。
惟喬親王は小野宮という邸宅に住んでいたため自身も小野宮と呼ばれていたのだが小野氏ではない。

そして鸚鵡小町は「一字違いで大違いのもの、なあに」という謎々だと私は思うが、惟喬親王と惟仁親王(清和天皇)は一字違いである。
惟喬親王は文徳天皇の長子で天皇にも立太子が望まれていた。
しかし当時の権力者・藤原良房の娘・藤原明子を母親に持つ惟仁親王が生まれたばかりで立太子し、紀静子を母親にもつ惟喬親王は世継ぎ争いで敗れたのだった。

さらに小野小町は穴がない体であったというが、それは男であったということではないのか。
とすれば、小野小町は小野宮と呼ばれた惟喬親王のことではないのか?

金龍寺 八重桜2

金龍寺(惟喬親王が住んだ高松御所跡)

⑥九十九は奇数で陽の数字

小野小町が小野宮=惟喬親王であったならば、伊勢物語の九十九髪の内容も納得がいく。
九十九髪とは百引く一は白で白髪のことを言うのだが、それだけの意味ではない。

俗謡で「おまえ百までわしゃ九 十九まで、共に白髪の生えるまで」というのがある。
これは謡曲高砂の尉・姥からくるものだとされている。

尉が熊手をもち、姥が箒をもって掃いているのは、熊手=九十九まで、掃く(まで)=百(まで)という洒落であるという。
尉が九十九で、姥が百であるのは九十九が奇数で陽の数字、百が偶数で陰の数字、また男は陽で女は陰とされていることによる。
すると九十九髪と詠われた小町は九十九は奇数なので男だということになる。

つまり小野小町=小野宮=惟喬親王と在原業平はBLの関係にあったということである。

小野小町は男だった⑩ 百夜通い 『深草少将・小野小町・惟喬親王に共通する九十九のイメージ』
↑ こちらの記事にも書いたのだが、惟喬親王には菊のイメージがある。

滋賀県東近江市の大皇器地祖神社(おおきみちそじんじゃ)では惟喬親王を木地師の祖として祀っており、大皇器地祖神社のある小椋の里の木地師は十六弁の菊の紋章の使用を許されている。

大皇器地祖神社

大皇器地祖神社


また惟喬親王は京都の法輪寺に籠って虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説があるのだが、この法輪寺では9月9日に重陽神事を行っている。
法輪寺の重陽神事ではたくさんの菊が飾られ、菊のしずくを飲んで800年の長寿を得たという菊滋童の舞が行われ、菊滋童と惟喬親王のイメージが重なる。

菊滋童の長寿の秘密は菊のしずくを飲むことだけでなく、多くの男女と契ることによって得たものであるという話を聞いたことがある。
菊の契りといえばBLのことだが、惟喬親王に菊のイメージがあるのは彼がゲイであったためではないだろうか。

法輪寺 重陽神事2

法輪寺 重陽神事

⑧小町は惟喬親王の和霊だった

まてまて。小野小町の謎⑪ 深草少将は紀氏だ ← この記事の中で、深草少将は惟喬親王だと言っていたじゃないか。
小町も深草少将も惟喬親王だなんておかしいじゃないか。
そうおっしゃる方がいらっしゃるかもしれない。
これについて説明しておこう。

神はその現れ方で御霊(神の本質)、和霊(神の和やかな側面)、荒霊(神の荒々しい側面)の3つに分けられるという。
そして和霊は女神で荒霊は男神とする説がある。
すると御霊は男女双体ということになると思う。
これにぴったり当てはまるのが大聖歓喜天である。
歓喜天は象頭の男女双体の神で、男神が鬼王ビナヤキャで、女神が十一面観音の化身のビナヤキャ女神である。

御霊・・・神の本質・・・男女双体・・・大聖歓喜天
和霊・・・神の和やかな側面・・・女神・・・ビナヤキャ女神
荒霊・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・鬼王・ビナヤキャ


鬼王ビナヤキャとビナヤキャ女神は同じ名前で姿形もそっくりである。→ 
惟喬親王の場合は、惟喬親王が御霊で、惟喬親王の荒霊と惟喬親王の和霊に別れ、小野小町は惟喬親王の和霊であると、そういうことなのではないだろうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・大聖歓喜天・・・・・・・・惟喬親王
和霊・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・ビナヤキャ女神・・・・・・小野小町
荒霊・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・鬼王・ビナヤキャ・・・・・小野宮(惟喬親王)

菊野大明神

菊野大明神 深草少将腰掛け石を御神体とする。

⑨深草少将が99日目にたてた代理人とは

随心院に伝わる百夜通い伝説は次のようなものだった。

99日目に小町は「1日足りないが、まあお入り」と扉を開ける。
するとそこに立っていたのは深草少将ではなく別人だった。
深草少将は毎日熱心に小町のもとへ通っていたのだが、その日に限って代理人をたてていたのだった。


一般的な百夜通い伝説は深草少将は今日で100日目という日に死んでしまうのだが、随心院では99日目に深草少将は代理人をたてたとする。
代理人をたてるという発想はどこからくるのだろうか。
それは文徳天皇が惟喬親王を皇太子にしたいと望んでいたにもかかわらず、惟仁親王が皇太子になったところからくるものではないだろうか。
随心院 はねずおどり

髄心院 はねず踊 深草少将百夜通い伝説を題材にした踊り

⑩町は紀氏を表す?

『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。

三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。

三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
そして紀静子は惟喬親王の母親だった。

そう考えると、惟喬親王を小町と呼ぶ理由がわかる。
惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
そういうことで小町なのではないだろうか。

金龍寺 八重桜

金龍寺(惟喬親王が住んだ高松御所跡)


次回へつづく~
トップページはこちら → 小野小町は男だった① 小野小町はなぜ後ろを向いているのか 

 

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[2017/06/30 00:16] 小野小町は男だった | トラックバック(-) | コメント(-)