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太陽の木 と 月の木 ㉒ 御神木に鎌をつきたてる信仰は物部守屋信仰と関係ある?



①榎木稲荷神社は物部守屋を祀る社?


鎌八幡 大阪


大阪の鎌八幡(円珠庵)の境内は撮影禁止のため、写真はないが、外から御神木の榎木の写真を撮影することができた。
黄色い葉をつけているのが榎木である。
この榎木の下部にたくさんの鎌がつきたてられており、幹に長い箒状の注連縄がはられていた。

そして、この円珠庵の西北、南森町駅付近に堀川戎神社があり、その境内に榎木稲荷神社がある。

榎木稲荷神社3

上の写真の建物の中には、地車型の神殿がまつられている。これが榎木稲荷神社である。

榎木稲荷神社2

かつて天満堀川の堀止めに側に榎があり、その根元に木の神・句句廼知神を祀る祠があった。
榎の大の木の根元には吉兵衛という老狸が住んでいて、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていた。
1839年、その地に本殿・拝殿を造営して正式に榎木神社を創建し、堀川戎神社末社の稲生神社の分霊を合祀した。
明治40年に堀川戎神社と合併してここに遷座した。
願い事が叶った夜には地車囃子が聞こえるといわれる。

私はこの榎木稲荷神社とは物部守屋を祀る神社ではないかと考えた。

その理由は、このあたりは飛鳥時代には物部守屋の土地であったようで
円珠庵の南にある四天王寺は「聖徳太子が、物部守屋の土地と奴婢を用いて建立した」とされており
物部守屋は蘇我馬子との闘いの際、榎木の枝の上で指揮をとっていたところをトミノイチイに弓で射られて死んでいるからだ。

榎木の根元で地車囃子を奏でる狸とは物部守屋の霊ではないか。
そう私は考えたのである。

⓶鎌八幡宮と諏訪明神は同一神?

私は和歌山・兄井の鎌八幡宮を思い出していた。
そこには、円珠庵と同様、鎌が突き立てられた御神木があった。
兄井のほうの御神木はイチイガシで、円珠庵の御神木は榎木で、木の種類が違うものの、鎌が突き立てられている点は同じだ。


鎌八幡宮1

この兄井の鎌八幡宮の隣には諏訪明神社がある。

諏訪神社 鎌八幡宮

鎌八幡宮の遷座を思い出してみよう。


.香川県多度郡屏風浦の熊手八幡宮(白方八幡宮)
伊都郡兄井村
高野山
.明治二年(1869)の神仏分離令の際、兄井村の諏訪神社へ遷座。
丹生酒殿神社へ遷座。


香川県の熊手八幡宮は、現在の和歌山県の兄井の地に遷座し、さらに高野山に移され、明治2年に再び兄井の地に戻ったということだろう。
そして、明治2年の時点で、兄井にはすでに諏訪神社があり、その隣に熊手八幡宮は遷座したということである。
熊手八幡宮がいつから鎌八幡宮と呼ばれるようになったのかについてはわからない。

このように見てみると、鎌八幡宮はどうやら諏訪神社と関係がありそうに思える。
鎌八幡宮と諏訪明神は同一神とみなされていたのかもしれない。

兄井 諏訪明神社

兄井 諏訪明神社

③諏訪大社のご神体は守屋山?

諏訪神社の総本社は長野県の諏訪大社である。
諏訪大社には参拝したことがないので、ウィキペディアを調べてみると、次のような内容が記されている。

❶上社本宮には本殿がなく、本宮の神体は守屋山とする説がある

❷明治時代初期まで、諏訪明神(建御名方神)の「御正体」(依り代)・大祝(おおほうり/諏訪氏出身の人物)が上社の神体ないし現人神だった。

❸守屋山を上社のご神体とする最古の文献は天文22年(1553年)の『上宮鎮坐秘伝記』。
現代語訳すると、だいたい、こんな意味になると思う。
「古記によれば、神の岩隠が諏方国鎮座したとき、宮社を造らず、拝殿のみをたて、山をご神体とした。
諏訪明神(建御名方神)の父神、大和国三輪の大神神社に倣って創建された。神の和魂・陰霊鎮座したところである。」

❹江戸時代の文献には守屋山に筆頭神官の神長官を務める守矢氏の祖先(洩矢神あるいは物部守屋)の霊を祀るとある。

❺守屋山を神体山とする説は明治時代以降から見られる。

❻守屋山山頂の石祠は物部守屋を祀る守屋神社(伊那市高遠町)の奥宮とされており、諏訪に背を向けている。

❼『諏訪信重解状』(伝・1249年)には、諏訪明神が守屋大臣(洩矢神)と覇権争いをした際に降臨した場所は守屋山の麓と書かれている。

❽織田氏による甲州征伐(1582年)の際に神輿を担いだ神官たちが避難した先は守屋山だった。

❾室町時代書写の『諏訪上社物忌令之事』(1237年成立)には次のような内容が記されている。
中世の上社の社壇は三檀三折の地形で、上壇(現在の拝殿・斎庭とその奥の禁足地)には「石の御座」があり、中壇には宝殿があり、下壇は神事を行うところ。

❿『画詞』の記述。
「社頭の体、三所の霊壇を構えたり、其の上壇は尊神の御在所、鳥居・格子のみあり」
上壇には磐座があった。この磐座は拝殿の右側の少し高いところにある「硯石(すずりいし)」。
古くは硯石を通してその背後にある守屋山を遥拝していたという説がある。
(硯石は中世以降に他所から移された可能性があるという指摘もある)

⓫原正直は諏訪明神の磐座を拝殿の奥にある「えぼし岩」とし、
文献に見られる「蛙石」や「甲石(かぶといし)」や「御座石」はすべてこの岩のことを指すという説を挙げている。

⓬大祝となる童男が諏訪明神の神体となるためには、柊の木のある鶏冠社(前宮境内)の石の上に立ち大祝の装束を着せられる。この儀式を受けることによって少年が神となるとされた。

これを読むと、諏訪大社のご神体は守屋山であり、守屋山に祀られているのは守矢氏の祖先(洩矢神あるいは物部守屋)であるという信仰が、少なくとも明治時代にはあったように思われる。

くりかえしになるが、大阪の鎌八幡(円珠庵)の御神木は榎木であり、守屋は榎木の木の上で指揮をとっているところを弓で射られて死んだ。
堀川戎神社には榎木稲荷神社があり、榎木明神とは守屋のことであるとも考えられる。

⓶で書いたように、鎌八幡宮と諏訪明神は同一神とみなされていたのではないだろうか。少なくとも明治時代には。

つまり、御神木のイチイガシや榎木に鎌を突き立てる信仰は、物部守屋信仰と関係があるのではないかということである。



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