①なぜ太陽の中に月の神・八咫烏が、月の中に太陽の神・ウサギ、ヒキガエルが住んでいるのか?
八咫烏は月の神、ヒキガエルは太陽の神、ウサギは陰陽を和合させる神ではないかと述べた。
カラスの爪とプロポーションは三日月の形をしており、
※爪の写真はこちらを参照してください。
ヒキガエルは太陽のような丸い形をしている。
ヒキガエルの「ヒキ」を漢字で書くと「蟇」だが、「蟇」から虫を除いた「莫」という字は、
草原に太陽が沈む様子または日暮れを意味するのだという。
とすると、ヒキガエルは太陽は太陽でも、昇る太陽ではなく、沈む太陽をあらわしているように思える。
沈む太陽は、冬至にむかって勢いの衰えていく太陽の比喩であるとも考えられると思う。
ウサギは太陽のような丸い体と三日月のような耳をもっている。
ウサギは月で餅つきをしていると考えられるが、杵破は男性(陽)のシンボル、臼は女性(陰)のシンボルだともいわれる。
ウサギは陰陽を和合させる神ではないか。
陰陽を和合させる神は、男(陽)女(陰)を和合させる神、太陽(陽)と月(陰)を和合させる神だともいえる。
そのように考えると、疑問が生じる。
中国では太陽の中には八咫烏(月)が、月にはヒキガエル(太陽)が住んでいるといわれる。
なぜ太陽の中に月の神・八咫烏が住んでいるのか?
なぜ月の中に太陽の神・ウサギ、ヒキガエルが住んでいるのか?
熊野本宮大社 向かって左の旗に八咫烏が描かれている。
⓶男神・伏羲が地をあらわす直角定規を、女神・女媧が天をあらわすコンパスをもっているのはなぜ?
上は中国の神、伏羲と女媧を描いたものである。
男神・伏羲は手に直角定規をもち、女神・女媧は手にコンパスをもっている。
これは陰陽思想で考えると、一見変なことの様に思える。
古代中国では天円地方といい、天は円く、地は方形であると考えられていた。
直角定規は方形を、コンパスは円を描く道具である。
そして陰陽の関係はつぎのようになっている。
陽・・・・・・天(コンパス)・・・・男
陰・・・・・・地 (直角定規) ・・・・女
つまり陰陽でいえば、男神である伏羲は天をあらわすコンパスを、
女神である女媧は地を表す直角定規を持っていてしかるべきと思われるのに、逆になっているのだ。
これはなぜなのだろうか。
③パートナーの物実〈もの事の元になるもののこと)を手に持つのは、男女の契りをかわすことを表している?
記紀神話に「誓約の子産み」という物語がある。
高天原にやってきたスサノオを、天照大神は「高天原を奪いにきたのではないか」と疑った。
そこでスサノオは疑いをはらすために『誓約(うけい)の子産み』をしようと言った。
まず天照大神がスサノオの物実である十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
次にスサノオが天照大神の物実である『八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠』を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から 五柱の男神(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命)が生まれた。
スサノオの十拳剣からうまれた三柱の女神はスサノオの子、天照大神のみすまるの珠からうまれた五柱の男神は天照大神の子とされた。
スサノオは「私の心に邪心がないので、私の産んだ子は女神だったのです。」といった。
天照大神はスサノオの十拳剣を、スサノオは天照大神の八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠をかみ砕いている。
伏羲が直角定規を、女媧がコンパスをもっているのはこれと同様で、
お互いの物実〈もの事の元になるもののこと)を手に持つのは、男女のちぎりをかわすことを表しているのではないだろうか。
(スサノオと天照大神は「誓約の子産み」をしている。と言うことは、スサノオと天照大神は男女の契りをかわしたということだ。)
すると太陽と月は契りをかわした結果、太陽の中には月神である八咫烏が、月の中には太陽神であるヒキガエルがいるのではないか考えることができる。
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