①冬至にむかって衰えていく太陽のような榎木に、月をイメージさせる鎌を打ち込むことで、古い太陽を完全に殺す?
前回、私たちは大阪の鎌八幡(円珠庵)を訪れた。
(写真撮影禁止のため、境内の写真はなかったがw)
鎌八幡(円珠庵)
和歌山の鎌八幡宮は、丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮と、兄井の鎌八幡宮(ここから丹生酒殿神社に遷宮したのだが、この地でも祀られている。)の二か所あったが、
いずれもイチイガシに鎌がつきたてられていた。
大阪の鎌八幡宮ではイチイガシではなく、榎木に鎌がつき立てられていた。
丹生酒殿神社の御神木のイチョウは冬至に向かって勢いが衰えていく太陽の木、
(樹形が丸い。太陽の色は黄色でイチョウの黄葉は同じ色をしている。冬至に向かって落葉する様は冬至に向かって勢いが衰える太陽のよう。イチョウは一陽来復の一陽と音が同じ)
丹生酒殿神社 御神木 イチョウ
丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮・兄井の鎌八幡実の御神木のイチイガシは月の木
(樹形が丸い。三日月の形をした鎌をつきたてて祈願する。)
兄井・鎌八幡宮 御神木 イチイガシ
と私は考えたのだが、大阪の鎌八幡の御神木の榎木は秋に色づいて落葉し、イチイガシというよりは、イチョウのイメージに近い。
つまり、太陽の木に三日月が突き立てられているのである。(私にはそうみえる。)
鎌八幡(円珠庵)黄色い葉をつけているのが御神木の榎木
これは、冬至にむかって衰えていく太陽のような榎木に、月をイメージさせる鎌を打ち込むことで、古い太陽を完全に殺し、冬至以降、復活する(南中高度をあげ勢いをます)太陽を迎えるという儀式ではないかと思った。
⓶榎木稲荷神社
私は 大阪市北区 の天神橋筋商店街近くにある堀川戎神社を思い出していた。
堀川戎神社境内に榎木稲荷神社があるのだ。
堀川戎神社 摂社 榎木稲荷神社
榎木神社は地車(だんじり)の形をしているので、地車稲荷とも呼ばれていおり、次のような伝説がある。
かつて天満堀川の堀止めに側に榎があり、その根元に木の神・句句廼知神を祀る祠があった。
榎の大の木の根元には吉兵衛という老狸が住んでいて、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていた。
1839年、その地に本殿・拝殿を造営して正式に榎木神社を創建し、堀川戎神社末社の稲生神社の分霊を合祀した。
明治40年に堀川戎神社と合併してここに遷座した。
願い事が叶った夜には地車囃子が聞こえるといわれる。
堀川戎神社 摂社 榎木稲荷神社
一般的には稲荷神社といえば狐だが、榎木神社は狸なのだ。
京都の辰巳明神も狸だ。
四国の稲荷神社も多くが狸なのだという。
弘法大師が四国の狐を追い出して、狸を開放したなどとも言われるが
実際には四国にも狐はいるそうである。
③榎木明神は物部守屋?
私はこの榎木明神とは物部守屋ではないかと考えている。
その理由を述べる。
a.榎木稲荷神社は大阪市北区にあるが、このあたりはかつて物部守屋の土地だった。
森ノ宮という地名があるが、この地名の語源は「守屋の宮」とする説がある。
また大阪市天王寺区には四天王寺があるが、四天王寺建立の由緒は次の通りである。
・587年、崇仏派の蘇我馬子vs廃仏派の物部守屋が争い、馬子が勝利した。(丁未の乱)
・馬子側についていた聖徳太子は、守屋の土地と奴婢を用いて四天王寺を建立した。
つまり、四天王寺があるこの付近は守屋が支配する土地だったということである。
b.587年の丁未の乱で、守屋は榎木の枝の上で指揮をとっていたところを、トミノイチイに弓で射られて死んだ。
前回、私たちが訪れた鎌八幡宮(円珠庵)も、四天王寺に近い場所にある。
上の地図の円珠庵(鎌八幡宮)を手のひらツールで下(南)にずらして地図をみてほしい。
大阪城の西北に南森町駅があるが、その近くに堀川神社、榎木稲荷神社はある。
榎木稲荷神社が物部守屋を祀る神社であれば、円珠庵(鎌八幡宮)の御神木の榎木は、物部守屋の霊が宿る木なのではないか?
堀川戎神社 しころ
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