イザベラ・バードが見た明治11年の日本
1.イザベラ・バードが見た明治11年の日本
イザベラ・バードというイギリスの旅行家が、1878年(明治11年)の日本の東北地方・北海道を旅行した。
彼女はそれを紀行文としてまとめた。
いくつかの点で、明らかに間違った記述もあった。
またこの紀行文が日本のすべてを語ったものではないことは言うまでもないし
彼女の主観にもとづいた記述も多い。
しかしながら、明治11年頃の日本を知る上で貴重な資料だといえる。
その記述の中から、当時の日本人のチップ(心づけ)・ピンはね・道徳心・差別観などについて述べられた箇所を書きだしてみようと思う。
※『イザベラ・バードの日本紀行/イザベラ・バード』という本が出版されたのち、
そこからいくつかの記述を削って
『日本奥地紀行/イザベラ・バード』という本が出版されたらしい。
私が読んだのは『イザベラ・バードの日本紀行/イザベラ・バード(講談社学術文庫)』で、「日本奥地紀行」とは、第四信などの番号がちがっているので注意してほしい。
2.チップを受け取らない人々
第九信(つづき)130ページ
最初の休憩地で、人がよくて親切ながらもとにかく醜い私の車夫が苦痛に襲われ、吐きました。
粕壁で飲んだ水に当たったのが原因だと車夫は言い、そこに残りました。
ありがたいことに向こうから実直に、自分と同じ条件をきっちり守る代わりの車夫を用意すると言い出してくれて、
病気だからとチップを要求しませんでした。
第一四信 193ページ
女馬子は自分の荷物を数えてすべて無事にあるのを確かめると、心づけをもらうのも待たずに馬と引き返していきました。
第一六信 228ページ
ヨーロッパの国の多くでは、またたぶんイギリスでもどこかの地方では、女性がたったひとりでよその国の服装をして旅をすれば、危険な目にあうとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、値段をふっかけられたりするでしょう。
でもここでは一度として無礼な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともないのです。
それに野次馬が集まったとしても不作法ではありません。
馬子は私が濡れたり怖い思いをしたりしないかと気を使い、旅の終わりには革ひもやゆるんだ荷がすべて無事化を几帳面に確かめてくれます。そして心づけを当てにしてうろうろしたり、茶屋でおしゃべりをするために休憩したりなどせず、さっさと馬から荷を下ろすと、運送業者から伝票を受け取って帰っていきます。
ついきのうも革ひもが一本なくなり、もう日も暮れていたにもかかわらず、馬子は一里引き返して革ひもをさがしてきてくれたうえ、わたしが渡したかった何銭かを、旅の終わりにはなにもかも無事な状態で引き渡すのが自分の責任だからと、受け取ろうとはしませんでした。
※「法外な値段をふっかけられたこともない」とあるが、5⃣に記すように、2,3倍程度のピンはねは日常的に経験しているとバードは感じている。
第二二信 307ページ
泊まれるほど清潔な家はなく、わたしは石に腰を下ろし、一時間あまり人々について考えました。
頭にやけどをした子供、疥癬のある子供、眼炎を起こした子供が群がっています。
どの女性も赤ん坊を背負い、子供もおんぶのできる子供はみな赤ん坊をおんぶしています。
綿のズボン以外になにかを着ている女性はまるでいません。
ひとりの女性が「酔っぱらって暴れながら」ふらふらと歩いています。
伊藤は石に座り、両手で顔を隠しています。
具合でも悪いのかとわたしが尋ねると、伊藤は嘆かわしそうに「こんなところをお見せするとははずかしくてどうしていいかわかりません。」と答えました。
伊藤はまだ一八歳にすぎず、わたしは彼をかわいそうに思いました。
女の人が酔っぱらうことはよくあるのかと尋ねると、横浜ではあるけれど、ふつう家の外に出ないからと彼はこたえました。
そういう女は月末にいろいろ支払いをするのに夫がお金を渡しても、それを酒に遣ってしまうことがよくあり、
ときには店で酒を買いながら、米や茶を買ったことにしてもらう場合もあるそうです。
「昔からよくあることなんですよ!」
わたしは土ぼこりと野蛮な行為に目をやり、これが本で読んだ日本なのだろうかと尋ねました。
それでも品の無い服装をしたある女性は、ふつう休憩をした場所に置いていく二銭とか三銭を、どうしても受け取ろうとしませんでした。
わたしがお茶ではなく水しか飲まなかったからというのです。
わたしが無理やりお金を渡すと、その女性はお金を伊藤に返しました。
名誉挽回のこのできごとにわたしはとても慰められました。
第二三信 312ページ
この家の女性たちはわたしが暑がっているのを知ると、気をきかせてうちわを取り出し、丸一時間わたしを仰いでくれました。代金を聞くと、それはいらないと答え、まったく受け取ろうとしません。
3.チップを受け取った医者もいた。
第二四信 337ページ
料金はいくらかと尋ねると、医師は何度もお辞儀をしてなにか早口でぶつぶつ言ったり息をすいこんだりしたあと50銭では多すぎるかと尋ねました。そして私が一円差しだし、何度も深々とお辞儀をして、診察を受けられて大変うれしいと言うと、こちらがすっかりまごついてしまうほど感謝の言葉が返ってきました。
4.ピンハネする人々
2のチップを受け取らない人々は、正直で責任感のある日本人だといえるだろう。
しかし、下記の記述から、正直ではなく、外国人からピンハネする日本人もいたように思われる。
第六信 83ページ
もう一つ、これよりずっと重要でないとはいえよく話に出たのが、現地人の使用人には道中で金銭のやりとりがあるたびに「中間搾取」する習慣があり、使用人の腕と能力次第で旅行費用が二倍、ときには三倍になることが多いという問題です。
あちこち旅行した経験のある三人の紳士が私の払うべき値段表をくれましたが、地方によってものの値段も異なり、旅行者の多い地域では大幅に高くなっています。
またウィルキンソン氏が伊藤に向かってこの値段表を読み上げると、伊藤は時折不満の声をあげました。
第一二信 167ページ
入町―湯元を断つ前に、わたしはピンはねの手口を知りました。
清算を頼むと、請求書は私に渡されず、宿の亭主は二階へ駆け上がって伊藤にいくらにすべきか尋ね、
ふっかけて得た儲けをふたりで分けようと話をもちかけたのです。
何を買っても従者は「ピンはね分」を得ます。
宿代に関しては非常に巧みに行われるので、防ぎようがなく、納得のいく範囲で収まっているかぎりは気をもまないことです。
第一三信(つづきその二)186ページ
それからわたしか伊藤が品物の値段をたずね、女主人が値をいいますが、6ペンスで売る物に4シリング要求していそうなかんじです。(略)
最終的にこちらが1シリング差し出して値段の折り合いがつくと、女主人は実にうれしそうです。
何度もお辞儀と「サヨナラ」を繰り返し合って店をでるときの気分は愉快なものです!
勤勉な女性に本来の倍多く払い、しかもこちらは予算より安く済んだのですから!
第一三信(つづきその二)190ページ
日本には東京に本社がある陸運会社があり、支店がさまざまな町や村にあります。
この会社は固定料金で旅行客や荷物を運び、しかるべき書式の領収書をくれます。
農家の馬を雇い、それぞれの業務でそこそこの利益をあげていますが、
旅行者にとっては手間もいらず、遅れもせず、またゆすりにも遭わずにすむのです。
料金は地方によって大きく変わり、馬の飼料、道路事情、雇える馬の数で規定されています。
ほぼ2マイル半(約4km)に相当する一里で、馬一頭と馬子一人につき6銭から10銭、
車夫ひとりでひく人力車一台で同じ距離が4銭から9銭、荷物を運搬する人夫もそれとほぼ同じです。
(この運送会社は実にうまく組織されています。わたしは1200マイルを超える距離でこの会社を利用しましたが
いつも手際がよくて信頼できました。)
今後もずっとこの会社を利用するつもりでいます。
農夫ととりひきしてピンハネしようという魂胆でいる伊藤の期待には、大いに反することになりますが。
第二一信(つづき)284ページ
見たところ、日本式買い物の仕方は会得すべきわざのひとつのようですが、私にはそれだけの根気がありません。
原則として私は値切るのに時間をかけるより、売り手が最初に言ってきた値段に近い額を支払います。
けれどもそれではお金を損をするし、店主からはばかにされそうですから、買い物じょうすの外国人たちはそんなことはしません。
買いたいものがある場合は他の物の値段を尋ね、その品物には興味がないふりを装います。
たぶん店主は10円と言ってきます。
そうしたらこちらはさもおかしそうに笑い声をあげ二円と答えます。
店主はバカにしたように笑いますが、悪気はまったくありません。
こちらが撮り合わないでいると、向こうは八円といってきます。
こちらがまた笑い声をあげ、その辺をぶらぶら歩くと、店主はおかしそうに七円と言ってきます。
こちらは無造作に三円と言います。
店主は悲しそうに算盤をはじきそうな気配を見せます。
そこでこちらは店を出ようとするそぶりをみせます。
すると向こうはおそらくポンとうれしそうに手をたたき、「ゆろし」と言います。
これは三円なら売ってもいいという意味です。
おそらくほんとの値段よりずっと高いでしょう。
第二八信 379ページ
彼が自分の目的にかなうと見れば嘘もつくこと、また見つからずにできる場合は、はねられるだけの上前を「ピンはね」していることについて、私はみじんの疑いも抱いていません。
彼には人情というものがあまりないらしく、思いつく事と言えば、意地悪をして楽しむことばかりのようです。
彼には人情というものがあまりないらしく、思いつく事と言えば、意地悪をして楽しむことばかりのようです。
5.宿屋がピンハネしても、バードが許している理由
第三二信 425ページ
宿屋の主たちというのは、思うに、多かれ少なかれ商売にうんざりしています。
実のところうんざりしているのは規制に対してで、細かな規則のわずらわしい変更が際限なくあるのは新体制の欠点です。
ほぼ毎週新規の通達が数多く発せられ、農民の鈍くて当惑した頭では一回分も理解できないうちに、もうつぎのが発行され、
しかも警察は違反者を目ざとく見つけてしょっぴきます。
宿屋のあるじはすべての旅人の氏名と旅行目的ばかりか、その前の宿泊地も帳面に記録せねばならず、
この帳面は毎月警察が家宅訪問するたびに呈示しなければならないのです。
外国人の場合、ことに悩みの種となるのも当然で、特別に負担がかかり、通行証の写しを二部とるという手間がかかるうえ、
「当局の許可なく外国人に宿を提供した者、または宿泊させた」者は罰金を課され、罰金を支払わない場合は鞭打ちの刑に処されるのです。
こういった特別なわずらわしさは別としても、わたしは宿屋の経営者が外国人に対し、ふつうより高い料金を課しても構わないと思います。
なぜなら日本人なら六人から八人が嬉々として納まる部屋一室を外国人は一人で占領し、室内で水を使えるように要求したり変な料理を変な時間につくったりと、全般に日本人より迷惑をかけるのですから。
これまでのところわたしはまったく宿屋のあるじの味方で、一部のイギリス人や多くのアメリカ人を恥ずかしく思っています。
彼らはチップは勘定に入れずに一五銭支払っただけで上等の部屋と自由に使える布団、たっぷりと炭の補給された火鉢、
入浴用のお湯、ひと晩中使える行灯、お代わり自由のごはんとお茶を手にいれるのですから。
つまり、火、蝋燭、二回の食事、上等の部屋、きめ細かなサービスが全部ひっくるめて七ペンスなのですよ!
6.偽ブランドを製造する日本メーカー
第二一信 285ページ
事実を語るべきとするなら、貪欲さのせいで日本人は厚顔無恥なペテン師となっているのです。
外国製食料・飲料として売られているものの半分は実に不快で有害なくずで、東京かどこかでつくられ、
バス、マーテル、ギネス、クロス&ブラックウェルといった老舗の名前やラベルをつけた瓶に詰めて売り出されるのです。
クロス&ブラックウェル社は不愉快で悪意のある詐欺行為を防ぐために、自社製品の瓶は空き瓶となったら割ってほしいと
横浜の新聞各紙に依頼広告を定期的に載せています。
7.道徳観念の無い人々
第二〇信 272ページ
日本人は子供がとにかく好きですが、道徳観が堕落しているのと、嘘をつくことを教えるため、西洋の子供が日本人とあまりいっしょにいるのはよくありません。
第二八信 378ページ
夜間、わたしは時計・通行証・お金の半分を伊藤に預けており、彼が姿をくらましたらどうするのだろうとしょっちゅう自分でも首をかしげています。
伊藤はいい子ではありません。わたしたちが考えるような道徳観念を持ち合わせていませんし、外国人が嫌いです。
態度も非常に不愉快なことがよくあります。
それでもなお、彼より役に立つ従僕件通訳を得られたかというと、それは疑問です。
第三九信 (下)40ページ
マリーズ氏はこの函館にいて、氏が伊藤と結んだ契約では、伊藤は月7ドルでマリーズ氏が望むかぎり仕えなければならないのだとわかったのです。
それなのに伊藤はこちらが一二ドルと申し出たので、わたしに嘘をついてマリーズ氏の元を逃げ出し、私に雇われたのです!
マリーズ氏は伊藤の配信行為のせいで多大な迷惑を蒙り、植物採集をするのが大幅に遅れています
8.アイヌを蔑視している伊藤
第四一信(下)95ページ
伊藤はわたしが彼らに興味を示すのをとても嫌がり、伝説上のアイヌの起源を引いてきて彼らは「犬同然」だと何度もいいました。この起源に関して、アイヌ自身は恥じていないのです。
伊藤はアイヌは礼儀正しさを日本人から学んだといいますが、これには全く根拠がありません。
9.チップを断る幕末の旅館の女中?
わたしがイザベラ・バードを読もうと思ったのは、武田邦彦氏の2021年11月19日のブログを聞いたのがきっかけである。
彼はその動画の中で次のようなことを語っておられた。(私の理解に勘違いがあれば指摘をお願いします。)
①1900年、貴族社会から大衆社会に変わりつつあるとき、ヨーロッパの人たちはつぎのように考えた。
貴族社会は一人一人に魂がある。プライドもある。個人の個性、アイデンティティがある。
これに対して大衆っていうのは、その日暮らしであって迎合するところがあり、すぐ錯覚するところがある。
だからマスコミなんかにちょっと煽られるとすぐその方向に行ってしまう。
⓶それまでの大学教授というのは学問が好きだから大学教授になる。
ところが、大衆社会になると生活の糧として大学教授になっている。
自分の経験からいってもこれは間違いではない。
③1900年頃の偉い人は、大衆は煽られやすいから戦争が増えるだろう、と予想しているが、それもそのとおりになった。
④③の理由は、大衆は精神的に独立していないためである。
だがら NHK が放送すれば NHK の放送通りに、それが真実だと思ってしまうので戦争が多くなる。
⑤戦争に突入した理由は
・日本の戦前、すでにヨーロッパ文化におかされたこと
・朝日新聞なんかで煽られた。
⑥大衆だから、教育を受けてないから自己が確立していないというのはヨーロッパ人の偏見。
⑦⑥の一例
イザベラ・シッドモアというイギリスの旅行家が、幕末に東北地方を旅した。
イザベラ・シッドモアが日本の宿屋はたごに泊まると、旅籠の女中さんが一生懸命やってくれた。
宿を出る前、心付けを渡そうとしたら、女中さんは
「私は女中として自分のすべきことをしただけのことですからお金をいただくわけにいきません」と言った。
この女中さんはおそらく学校にいっておらず、貧乏で教養もなく、勉強もしてないだろうが、自分というものを持っている。
⑧この女中さんにくらべ、現在の大臣・東大教授は浅ましく、NHKの放送にはプライドがない。
⑨江戸時代の末期の東北の宿屋の女中さんが立派なのにくらべて、現代の東大教授・国会議員・ NHK 幹部は愚劣である。
その理由は、日本にヨーロッパ文化が入ってきたことによって、お金中心の社会、損得だけを考える社会になったのではないか。
彼の文章にはいくつかあやまりがあると思われる。
a.イザベラ・シッドモアとは誰なのか。
エリザ・シッドモアという著述家はいる。
ただし、武田氏はイギリスの旅行家と言っているが、エリザ・シッドモアはアメリカ人である。
1885年(安政2年)から1928年(昭和3年)にかけて度々日本を訪れて、日本の紀行文を残している。
このエリザ・シッドモアとイザベラ・バードを混同して、イザベラ・シッドモアといっているのではないか。
b.イザベラ・シッドモアではなく、イザベラ・バードのまちがいであれば、紀行文は幕末の日本を記したものではなく
明治11年の日本について記したものである。
明治11年の日本について記したものである。
また旅館の女中の話ではなく、茶店で働く女性の話だと思われる。
第二二信 307ページ
それでも品の無い服装をしたある女性は、ふつう休憩をした場所に置いていく二銭とか三銭を、どうしても受け取ろうとしませんでした。
わたしがお茶ではなく水しか飲まなかったからというのです。
わたしが無理やりお金を渡すと、その女性はお金を伊藤に返しました。
名誉挽回のこのできごとにわたしはとても慰められました。
cイザベラ・バードの本を読むと、.明治11年、チップを受け取らない徳のある茶店の女性もいたが
ピンはねをする人々や偽ブランドを製造するメーカーが日本にはあったようである。
武田氏は、「それらは日本がヨーロッパ文化を受け入れた結果」だとお考えなのだろうか。
もしこのように結論づけるのであれば、
江戸時代の大衆がピンはねを行わなかったり、偽ブランドを製造したりしなかったことを示す史料が必用だと思うので
もしこのように結論づけるのであれば、
江戸時代の大衆がピンはねを行わなかったり、偽ブランドを製造したりしなかったことを示す史料が必用だと思うので
ぜひそれを提示していただきたい。
イザベラ・バードも訪れた日光東照宮
※
武田氏は、
⓶それまでの大学教授というのは学問が好きだから大学教授になる。
ところが、大衆社会になると生活の糧として大学教授になっている。
自分の経験からいってもこれは間違いではない。
③1900年頃の偉い人は、大衆は煽られやすいから戦争が増えるだろう、と予想しているが、それもそのとおりになった。
④③の理由は、大衆は精神的に独立していないためである。
だがら NHK が放送すれば NHK の放送通りに、それが真実だと思ってしまうので戦争が多くなる。
といいながら、
⑥大衆だから、教育を受けてないから自己が確立していないというのはヨーロッパ人の偏見。
ともいっていて、大衆文化がいいと思っているのか、悪いと思っているのかよくわからない。
日本の本来の大衆文化はよかったが、ヨーロッパの「大衆文化はよくない」とする考え方を取り入れた結果
日本は悪くなったといいたいのかもしれないが
よくわからない文章だと思う。
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