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平安時代の男性はひらがなを使っていたし、文学もやっていた。


石山寺 紫式部

石山寺

①平安時代の男性は漢字で、記録文書を書くことしかできなかった?

こんなことを言う人がいる。
「平安時代の男性は漢字しか使えなかった。また記録文書を書くことしかできなかった。」

これは本当だろうか?



⓶平安時代の男性が記録文書しか書けなかったというのは間違い。

ちょっと調べればわかることだが、平安時代の男性が記録文書しか書けなかったというのは間違いである。
下記に平安時代の文学作品と作者をあげておく。

 
作品名作者作者性別成立年ジャンル
日本霊異記景戒822年頃説話集
竹取物語紀貫之?男?平安時代初期物語
伊勢物語紀貫之?男?平安時代初期歌物語
土佐日記紀貫之935年日記
平中物語959-965年頃歌物語
蜻蛉日記藤原道綱母975年日記
御堂関白記藤原道長998~1021年日記
落窪物語10世紀末頃物語
枕草子清少納言1001年随筆
源氏物語紫式部1008年物語
江談抄大江匡房の談話を藤原実兼が記録1104~1108年有職故実・故事・説話
台記藤原頼長1136~1155年日記
無名草子藤原俊成女?1196~1202年物語・歌集・女流作家などの批評
唐物語藤原成範12世紀後半説話集
紫式部日記紫式部平安時代中期日記
和泉式部日記和泉式部平安時代中期日記
狭衣物語ばい子 (ばいし) 内親王平安時代中期物語
宇津保物語源順?男?平安時代中期物語
大和物語在原滋春?花山院?伊勢?平安時代中期物語
更科日記菅原孝標女平安時代中期日記
多武峰少将物語藤原高光?男?平安時代中期日記文学
とりかへばや物語平安時代後期物語
夜の寝覚菅原孝標女?女?平安時代後期物語
浜松中納言物語菅原孝標女?女?平安時代後期物語
讃岐典侍日記讃岐典侍藤原長子平安時代後期日記
栄花物語赤染衛門?出羽弁?周防内侍?など複数の女性平安時代後期歴史物語
陸奥話記藤原明衡?男?平安時代後期軍記物語
大鏡源顕房?男?平安時代後期歴史物語
今昔物語集不明平安時代末期説話集
今鏡藤原為経(寂超)平安時代末期歴史物語
宝物集平康頼平安時代末期仏教説話集
しのびね平安時代末期物語
堤中納言物語平安時代後期以降短編物語集
古本説話集平安末期から鎌倉初期説話集

※竹取物語(10世紀半ば?)『源氏物語』に「絵は巨勢相覧、手は紀貫之♂書けり」と書かれているそうです。

京都御所 人形

京都御所

③平安時代、男性もひらがなを使っていた。

平安時代、男性は漢字しか使わなかったというのは、漢字のことを『男手』、ひらがなのことを『女手』といったりすることから勘違いされているのではないかと思う。

紀貫之は女と偽って仮名で『土佐日記」を書いている。
紀貫之は女と偽るために女性が使う仮名を用いたのではないかと思われるかもしれないが
藤原道長も仮名で日記を書いている。

さらに平安時代、男性が仮名を使っていたと考えられる理由として、古今和歌集の存在がある。
905年に成立した古今和歌集の序文・仮名序は、紀貫之が書いたといわれているが、仮名で書かれている。


上記に次のように記されている。

❶『『古今和歌集』の謎を解く』(2000年 講談社)87ページ
「『古今集』も写本による以外に接することができないが、先にあげた『土佐日記』…(中略)…このことから『古今集』の歌はすべて平仮名で書かれていたであろうと推定することができる。」
89ページに「『古今集』は、こうして整理統合された日本語の音韻を、生まれたばかりの表音文字〈かな〉によって表記した最初の歌集なのである。」とある。

❷『みそひと文字の抒情詩 古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(2012年新装版 笠間書院)
「平安初期に仮名の体系が形成され、短歌は三十一個の音節ではなく、三十一個の仮名連鎖として作られるようになった。…(中略)上代の短歌から新しく生まれ変わった、三十一個の仮名連鎖としての和歌を集めた最初の勅撰集が『古今和歌集』である。」とある。

❸『図説かなの成り立ち事典』(2006年 教育出版)152ページ(下段)
「延喜五年〈九〇五〉には初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が撰進されるに至りました。
和歌を記す仮名、つまり女手が確固たる地位を占めるようになっていたからこそ、であり、こうした和歌の隆盛が、ますます女手の発達を促しました。」とある。

❹『日本語の世界5 仮名』(1981年 中央公論社)166ページ
「延喜五年(九〇五)勅によって『古今和歌集』の撰進が行われた。これは、日本語の文字の歴史の上で、極めて大きな意味を持っている。
それは平仮名文という文体が、私的な世界から公的な世界へ躍り出たという、画期的な出来事であり、その後の仮名文学発展の素地を形成したものであった。」とある。

当時、公的記録には漢字を用い、漢文の形で記していたのだろう。

続日本後紀 (833年~850年)
日本文徳天皇実録(850年~858年)
日本三代実録 (858年8月~887年)

は全て漢文で記されている。

しかし漢文で漢詩は読まれているが、漢文で和歌を詠むのはむつかしいだろう。
和歌を詠む場合、万葉集では万葉仮名が用いられている。

しかし平安時代にはひらがなが成立しており、紀貫之が序文として仮名序を書いているところから、
和歌はひらがなを用いて詠まれているのではないかと思われる。

そして古今和歌集には女性歌人の歌もあるが、多くの男性歌人の歌が収録されている。

平安時代の男性はかなを使っていたと考えられるだろう。

京都御所 碁

京都御所

④平仮名は漢字を使いこなせる男性が作った。


上記サイトに次のような内容が記されている。

❶江戸時代まで空海が作ったと信じられていたが、ありえない。
空海がいろは歌を作ったという俗説もあるが、いろは歌ができたのは11世紀なのでこれもありえない。
いろは歌は仏教の無常観を詠ったものなので、空海と結び付けられた。
さらにいろは歌は子供が平仮名を使う際の手本として使われたため、いろは歌や平仮名も空海が作ったといわれるようになった。

❷片仮名は江戸時代まで,吉備真備が作ったといわれていた。

❸初期の平仮名の資料で,明らかに女性が書いた,という証拠があるものは一つもない。

❹初期の平仮名の資料には,男性が書いたことが明らかなものが存在する。
・「有年申文(ありとしもうしぶ)み」・・・讃岐介のた藤原有年という男性が,貞観9(867)年に書いた。
・「円珍病中言上状」・・・円珍(814年生~891年没)が書いた。

❺平安時代の平仮名の多くは、書いた年月日を記さない。署名がない。
私的なやりとりなどに使われたのではないか。

❻藤原良相邸跡より平仮名を記した土器が発見された。

❼平仮名を作ったのは,個人ではなく,平安時代9世紀中頃の都にいた漢字が使いこなせる男性たちだと考えられる。

❽平仮名の誕生以前,万葉仮名の時代にも,私的な手紙(正倉院文書の中の万葉仮名文書)や土器の落書き(飛鳥京跡苑池遺構出土の刻書土器)がある。
そうしたものがやがて平仮名に変わっていったと考えられる。

❾平仮名に女性のイメージが付いたのは,平仮名が文字として成熟してからのち,女性文学が発達したためだろう。

平仮名が作られた当初から、多くの男性がひらがなを使い、徐々に女性も使うようになったということだと思う。


⑤紀貫之は平仮名を使うのが恥ずかしいから女と偽ったのではない。

こういう意見があった。

紀貫之は平仮名を使うのが恥ずかしいから女と偽って土佐物語を書いたのだ。
ということは当時男が平仮名を使うのは恥ずかしいという風潮があったのではないか。と。

紀貫之が土佐物語を書いたのは935年、古今和歌集が成立したのは905年で土佐物語よりも30年も早い。
その古今和歌集で紀貫之は古今和歌集仮名序を漢字仮名交じり文で書いている。
また、その古今和歌集の和歌も漢字仮名交じりで記されていたと考えられ、男性は普通に平仮名を使っていたと考えられる。

それではなぜ紀貫之は女と偽って土佐日記を書いたのか。

実は古今和歌集には男性歌人が女の身になって詠んだ歌というのがたくさんあるのだ。
当時、女のふりをして文章を書くのが流行っていたのだろう。


⑥女性は漢字を使うのを憚っていた。

男性は漢字とひらがなと両方使っていたのではないかと思う。

記録文書・・・・漢字
和歌その他・・・ひらがな

しかし女性は漢字を使うのを憚っていたのではないかと思う。

女性は公文書の記録をするような仕事はしていなかっただろう。

また当時、漢字は使う女性は「知性をひけらかす」と考えられていたそうで
紫式部は一の字も書けないぶりをしていたそうである。
そして紫式部は清少納言のことを
「漢字を書き散らして偉そうにしている。」と日記の中で悪口を言っている。

平安時代に女性が漢詩を詠んだというのも聞いたことがない。(あったら教えてくださいね)




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