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尻尾のある井光は彗星だった?


奈良県吉野郡川上村 井光神社 丹生川上神社上社 吉野川
2018年7月22日 撮影


不動窟鍾乳洞に向かう途中、「井氷鹿の里→」と書かれた看板を発見。
井氷鹿って古事記や日本書紀に出てくるあの井氷鹿?
これは行ってみなければなるまい!

井光川 
井光川

①光る井戸から姿を現した尾のある人

神武天皇は熊野で出会った賀茂健角身命(たけつぬみこと/八咫烏)に道案内してもらって旅を続けた。
そして、吉野に入ったあたりで、光り輝く井戸から(日本書紀では「光りて尾あり」となっている。)尾のある人に出会った。

神武が名前を問うと「国津神の井氷鹿(古事記では井光)」だと答えたという。

井氷鹿は吉野首等の祖とされる。
吉野首は吉野の周辺の氏族とされるが、ふつうの人間のはずである。
その先祖にしっぽがあったとか、体が光っていた(光っていたのは井戸かもしれないが)とはちょっと考えにくい。

しっぽがあると記されているのは、腰に何かをぶら下げていたのではないかとする説もある。
また井戸は地中を掘った井戸ではなく川岸に組んだ桁のことではないかともいわれている。


②川から説、水銀坑口説


井光川をさかのぼっていくと井氷鹿を祀る井光神社があった。

井光神社 

 
井光神社

観音寺(井光神社横) 鐘楼 

井光神社の隣・観音寺の梵鐘

井光神社から5kmほど東に丹生川上神社上社があった。
丹生というのは水銀地名である。
「丹」という漢字は「丼」からくるもので「井」の中の「点」は井戸の中から採掘される硫化水銀を意味していると聞いたことがある。

かつてこのあたりでは水銀が採掘されていたのかもしれない。
井戸というのは、水銀を採掘する穴のことなのか?

丹生川上神社上社  
丹生川神社上社

辰砂という赤色をした鉱石の中に水銀が含まれている。
古には伊勢国丹生(現在の三重県多気町)、大和水銀鉱山(奈良県宇陀市菟田野町)、吉野川上流が特産地だったとのこと。
丹生川上神社上社は吉野川の上流にある。

http://www.7kamado.net/ikari.html

↑ 上記サイトには「吉野の井光と川上」からの引用として、次のような二つの説を記している。

●井氷鹿は川からあがってきた説
昔の井は、川岸に桁(木で井の字形に組んだもの)を出してそこで食料をはじめすべての洗いものをしていた。
山の根を穿って作る横井戸は、かなりの後世。釣瓶を用いて水を汲み上げる縦井戸は、江戸時代中期以降。
「井氷鹿が井から出てきた」ということは、川から上がってきたということだろう。

●水銀坑口説
光ある井戸とは、水銀の形容ではないか。古代吉野地方で穴を掘り鉱石を探る人々が、その尻に獣皮から成る尻当てとか又は尾状の照明具をつけていたのかもしれない。


吉野川 夕景2 

吉野川


③尾のある人の正体は彗星?井戸は冥界に通じる出入り口?

ウィキペディア・土蜘蛛の項目には次のように記されている。

古代の史料に見られる大和国(奈良県)の土蜘蛛の外見で特徴的なのは、他国の記述と違い、
有尾人として描かれている点である。
『日本書紀』では、
吉野首(よしののおふと)らの始祖を「光りて尾あり」と記し、吉野の国樔(くず)らの始祖を「尾ありて磐石(いわ)をおしわけてきたれり」と述べ、大和の先住民を、人にして人に非ずとする表現を用いている。
『古事記』においても、忍坂(おさか・現
桜井市)の人々を「尾の生えた土雲」と記している点で共通している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E8%9C%98%E8%9B%9B より引用

この文章に「磐石をおしわけてきたれり」から閃いた。
磐といえば、思い出すのは大阪府交野市にある磐船神社だ。
磐船神社の御祭神はニギハヤヒだが、雲陽誌にニギハヤヒに関係する次のような話があるという。


[松崎神社:島根県松江市]   106    "日本伝説大系・山陰編",みずうみ書房
[雲陽誌]という書物によると、この神社の神宝に、延宝7年に掘り出された石がある. 古語「星隕って石となる」から神の石として、その神社の祭神ニギハヤヒ命(星の神と説明がある)として宝としたという.(ニギハヤヒは、日本書記によれば、大和の原住民のあがめる神で、天人の象徴の天羽羽矢をもち、天から降り立ったという.しかし神武天皇が九州からやってきて、門下に下り、物部氏の始祖となったとなっている.)


http://redbird.no-ip.info/archives/%E8%B3%87%E6%96%99/%E5%A6%99%E8%A6%8B/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%98%9F%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC.htm
より引用

この話から、次のことがわかる。
・ニギハヤヒは星の神
「星隕って石となる」という古語があり、古の人々は石を天から降ってきた星だと考えていた。

尻尾のある人とは、もしかして、尻尾の有る星、彗星のことではないか?




そう考えると、井光が井戸からでてきたという記述については、次のようにも考えることができる。

平安時代の官僚だった小野篁は、昼間は宮中につかえ、夜は井戸からあの世に通い閻魔庁に仕えていたという伝説がある。
ここから「地下深く掘られる井戸は、地中にある黄泉の国に通じていると考えられていた」と考えることができる。
そして井光は黄泉の国からこの世に現れた死者の魂なのかもしれない。

足利学校 小野篁像

④ニギハヤヒは土蜘蛛だった?

ニギハヤヒは物部氏の祖神で、神武天皇が東征して畿内入りするよりも早く、天の磐船を操っていかるがの峰に天下ったとされる。

このことから神武天皇以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。

ニギハヤヒを神と奉っていたのはナガスネヒコという者だった。
ナガスネヒコは神武天皇と戦って敗れ、ニギハヤヒは神武に服したとされる。
ニギハヤヒは政権争いに敗れた人物なのだ。

ニギハヤヒは星の神と書いたが、記紀には星の神とは記されていない。
ニギハヤヒを星の神としているのは「雲陽誌」という書物である。

そして記紀には星の神はたった一柱、天津甕星と言う神しか登場しない。
天津甕星は天照大神の葦原中国平定に最後まで抵抗した荒々しい神だと記されている。
神武天皇は天照大神の子孫とされ、神武に服したニギハヤヒは天津甕星とイメージがだぶる。

土蜘蛛とは記紀や風土記に登場する「まつろわぬ民」のことであるが、ニギハヤヒは土蜘蛛(土雲)のイメージと重なる。

そしてニギハヤヒが星の神であるならば、尾のはえた土雲や井光らは、彗星の神ということになる。

神武天皇は人間に逢ったのではなく、星の神、彗星の神(怨霊)にであったということではないだろうか。

(※古には「神と怨霊とは同一のものであり、怨霊が祟らないように神として祀った」と言われる。)


⑤昔の人は夜になると地下にある黄泉の国が空に昇ると考えていた?

ここでひとつ疑問が生じる。

黄泉の国への出入り口が井戸なのは、地下深く穴が掘られているからだろう。
つまり、黄泉の国は地下深いところにあるという認識が、古の人々にはあったのではないかということである。

(土蜘蛛は「穴にすむ」と記紀には記述ああるが、井戸をおりた地下にある黄泉の国に住んでいるという認識があったのかもしれない。)

それなのに、その地下に住む土蜘蛛や井光がなぜ天高く輝く星の神なのか。

昔の人は日が沈んで夜になると、地下にある黄泉の国が空に昇ると考えていたのではないか?
例えば月を神格化した月読命という神がいるが、神名にある「読」の音は「黄泉」に通じる。
月読命はもともとは夜の国を司る神であると同時に、黄泉の国を司る神であったのかもしれない。


吉野川 夕景 
吉野川

 

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