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惟喬親王の乱㊸ 『業平はなぜ高子と駆け落ちをしたのか』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㊷『天つ風~は藤原高子入内を妨害する歌?』 よりつづきます~


「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。


①玉が塵の様に散ったから芥(塵と言う意味)川?

芥川といえば伊勢物語を思い出す。

男(在原業平)が藤原高子と駆け落ちをして芥川へやってきた。
高子は草の上の露をみて「あれはなあに?白玉なの?」と聞いた。
道中はまだ長く、夜がふけ、雷が鳴り響き、雨もひどくなってきたので、男は高子を蔵の中にいれ、自分は弓とやなぐいを背負って扉の前で見張っていた。
蔵の中には鬼がいて、高子を一口で食べてしまった。
高子は「あれえ」と言ったが、雷に打ち消されて男の耳には届かなかった。
夜が明けてきて男が蔵の中を見ると高子がいない。
男は地団駄を踏んで泣いたが、どうしようもなかった。

白玉か 何ぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを
(あれは真珠?何なの?と高子が問うたとき、露と答えていれば、消えてしまっただろうに。)


※「なまし」とは「①~しまうかもしれない。②きっと~だろう。」という意味。
※「高子が鬼に食われた」というのは比喩的表現で、実際には高子は兄の藤原基経に連れ戻されたとされる。

私は業平と高子は関係を持っていたと思うが、この物語は創作だと思った。
というのは、地名を掛詞として用いているように思えるからだ。

芥川のほとりには玉川という地名がある。
高子が「あれはなあに?白玉なの?」と聞くのにぴったりの地名である。

白玉か なにぞと人の問ひしとき 露と答えて 消えなましものを
(白玉なの?何なの?と高子が私に問うたとき、あれは露だと答えて、露のように消えてしまえばよかったのに。)


この歌の「消えなましものを」は一般的に、「業平自身が消えてしまえばよかった」という意味だとされている。
しかし私は高子が消えてしまえばよかったという意味ではないかと考えている。

何故そう思うのかと言う理由は⑥で述べる。

それはさておき、芥川の「あくた」とは「チリ、くず」という意味である。
玉が散ってしまった場所として芥川という地名はぴったりではないだろうか。

また、三島江の西には玉川という地名があり、歌垣(和歌の題材とされた日本の名所旧跡のこと)として有名だった。
「白玉か~」の歌はこの「玉川」という地名を踏まえて詠んだようにも思える。

⓶三島江は逢引するのにぴったりの場所

芥川を詠んだこんな歌がある。

はつかにも 君をみしまの 芥川 あくとや人の おとづれもせぬ (伊勢)

この歌のなかに「みしま」とあるのは「三島江」の事だと思われる。
三島江とは、大阪府高槻市にある地名である。

芥川が淀川と合流する地点よりやや南西辺りが三島江である。
三島江も古より歌枕として有名なところで、多くの歌人が歌を詠んでいる。

高槻 コスモスロード 碧流寺


伊勢の歌には「芥川」とでてくるところから
この歌にある「みしま」は「三島江」のことだと思われるが、「みしま」は「見し間」の掛詞になっている。

平安時代、貴族の女性は男性に姿を見せないのが一般的でだった。
なので「逢う」「見る」などは、そのまま男女の関係になることを意味する言葉だった。

業平の「白玉か~」の歌には直接出てこないが、芥川に近い三島江という地名も、「白玉か~」の歌は意識していそうに思える。

つまり、三島江でふたりが関係を持ったことをにおわせ
玉川にちなんで高子は「あれはなあに?白玉なの?」と聞いた。
このとき業平は高子の質問に答えなかったが「露」と答えていれば、芥川の芥(塵)のように高子は散ってしまったのに、という意味がこめられているのではないかと思うのだ。



芥川 桜2 
③業平は高子が好きで駆け落ちしたのではなかった?

情熱的な恋の物語?
私は違うと思う。
高子は業平のことを愛していたと思うが、業平はそうでもなかったのではないだろうか。

そう思うのは、古今和歌集の詞書に次のようにあるからだ。

五条の后)の宮の西の対にすみける人に、本意)にはあらで物言ひわたりけるを、

これは

「五条の后(仁明天皇の后、藤原順子)の宮の西側の建物に住んでいる人(藤原高子のことだと考えられている。)に、業平は本気ではなかったのだが通っていたが」という意味である。

芥川 桜 

④業平は高子が惟仁親王に入内するのを阻止しようとした?

業平はなぜその気もないのに高子のもとへ通い、駆け落ちまでしたのだろうか?

業平の父親は阿保親王、阿保親王の父親は平城天皇である。
つまり業平は平城天皇の孫と言う高貴の生まれである。

平城天皇が薬子の変をおこして、嵯峨天皇に敗れたため、業平の父・阿保親王は薬子の変に関与したとして大宰府に流罪となった。
阿保親王は許されて帰京した後、自分の子供(在原行平・業平ら)の臣籍降下を願い出て、許された。
こうして業平は在原姓を賜ったのである。

阿保親王は自分の子供の臣籍降下を願い出ることで、朝廷に逆らう意思がないことを証明しようとしたのかもしれない。

その後、在原業平は惟喬親王の寵臣として仕える。

惟喬親王の父親は文徳天皇、母親は紀静子だった。
文徳天皇には藤原明子との間に惟仁親王もあった。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えて源信に相談したが、源信は当時の権力者・藤原良房(藤原明子の父)を憚って天皇を諫めた。
こうして藤原良房の孫・惟仁親王(のちの清和天皇)が皇太子となった。

世継ぎ争いに敗れた惟喬親王はたびたび歌会を開いているが、その歌会のメンバーに僧正遍照・在原業平・紀有常(紀静子の兄・惟喬親王の叔父)らの名前がある。
また在原業平は紀有常の娘を妻としており、紀氏側の人間だった。
彼らは歌会と称し、惟喬親王をもちあげてクーデターを計画していたのではないかとも言われている。

藤原高子と兄・藤原基経は当時の権力者・藤原良房の養子である。
良房は娘・明子を文徳天皇に入内させたが、これについで、養女の高子を惟仁親王(のちの清和天皇)に入内させることでさらに権力を高めようと考えたのだろう。
そして在原業平が高子をさらったのは、高子が惟仁親王(のちの清和天皇)に入内するのを阻止するためだったとも言われている。

しかし、業平の計画は失敗し、高子は兄・基経に連れ戻され、惟仁親王(のちの清和天皇)に入内してしまうのだが。

教宗寺 
芥川橋近くにある教宗寺

⑤六歌仙は全員藤原氏と敵対関係にあった人物だった。

古今和歌集仮名序で名前をあげられた6人の歌人(僧正遍照・在原業平・文屋康秀・小野小町・喜撰法師・大友黒主)のことを六歌仙と言う。

高田祟史さんは六歌仙は藤原氏と敵対関係にあった人物で、怨霊であるとおっしゃっている。

そこで六歌仙ひとりひとりについて調べてみると、全員藤原氏と確執があることがわかる。

喜撰法師紀名虎または紀有常だという説がある。
私は喜撰法師とは紀氏の血のこい惟喬親王のことだと考えている。
参照/私流トンデモ百人一首 8番 わが庵は『喜撰法師は紀仙法師で惟喬親王のことだった?』 

遍照は桓武天皇の孫ですが父の良岑安世が臣籍降下しました。遍照は藤原良房にすすめられて出家したと伝わるが、彼は出家した理由を決して人に話さなかったと伝わる。

在原業平は紀有常の娘を妻としており、惟喬親王 の寵臣でもあり紀氏側の人物だった。

文屋は分室とも記され、文屋康秀は分室宮田麻呂と血のつながりがあると思われる。
分室宮田麻呂は謀反を企てたとして流罪となっているが、死後冤罪であったことが判明している。
分室宮田麻呂は藤原北家に暗殺されたのではないかとする説もあります。

大友黒主
は大伴黒主とも記され、大伴家持とほとんど同じ内容の歌が残されている。
大友黒主とは大伴家持のことだと私は考えている。
大伴家持は藤原種継暗殺事件に関与したとして当時すでに死亡していたのだが、死体が掘り起こされて流罪となっている。
参照/ 陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? 

残る小野小町について、私は「小野宮」と呼ばれた惟喬親王のことではないかと考えている。
惟喬親王はもちろん男性なのだが、古今和歌集には男性が女性の身になって詠んだ歌というのがたくさんある。
古今和歌集の編者の一人である紀貫之も土佐日記で「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と自らを女と偽って日記を書いている。
参照/ 私流 トンデモ百人一首 9番 花のいろは・・・  『小町の歌は男らしく堂々とした歌だった。』 

惟喬親王像

滋賀県東近江市 惟喬親王陵 惟喬親王像

⑥ことばたらず=「露」と答えなかった?

古今和歌集仮名序は在原業平のことを次のように書いている。

ありはらのなりひらは、その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の、いろなくて、にほひのこれるがごとし。  
(月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして。
おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人のおいとなるもの。
ねぬるよのゆめをはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな。)

※()内は注釈。

「その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の、いろなくて、にほひのこれるがごとし。  」は、そのあとの注釈にある3つの歌の説明のようでもあるが
私は、伊勢物語 芥川の話の事を言っているように思える。

男(在原業平)が藤原高子と駆け落ちをして芥川へやってきた。
高子は草の上の露をみて「あれはなあに?白玉なの?」と聞いた。
道中はまだ長く、夜がふけ、雷が鳴り響き、雨もひどくなってきたので、男は高子を蔵の中にいれ、自分は弓とやなぐいを背負って扉の前で見張っていた。
蔵の中には鬼がいて、高子を一口で食べてしまった。
高子は「あれえ」と言ったが、雷に打ち消されて男の耳には届かなかった。
夜が明けてきて男が蔵の中を見ると高子がいない。
男は地団駄を踏んで泣いたが、どうしようもなかった。

白玉か 何ぞと人の 問ひしとき 露と答へて 消えなましものを
(あれは真珠?何なの?と高子が問うたとき、露と答えていれば、消えてしまっただろうに。)


教宗寺2 
川橋近くにある教宗寺

高子は露を見て「あれはなあに?」と聞きましたが、業平はそれには答えていない。
「ことばたらず。」とは、このことを言っているように思えるのだ。

業平はこのとき、高子に「露」とこたえるべきだった。
そうすれば、言霊の力で高子は露のように消えてしまい、高子は惟仁親王(のちの清和天皇)に入内することなく、高子の養父の藤原良房がますます権力を高めることはなかったのに。

古今和歌集仮名序が伝えたいことはそういうことなのではないだろうか。

「消えなましものを」は一般には業平が「自分が消えてしまったらよかったのに」と考えたと訳される。
日本語は主語を省略することがあるので、あいまいだ。
私は業平が消えてしまえばよかったのにと考えたのは、自分自身のことではなく、高子のことではないかと思う。

芥川 桜 
芥川

 
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