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惟喬親王の乱㊴『大原野神社の神相撲は世継争いに負けたことを知らしめるための行事?』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㊳『大原野神社の鹿の巻物とどんぐり帽子』 よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。


大原野神社 御田刈祭 行列 

①大原野神社は惟喬親王を祀る神社?

惟喬親王の乱㊳『大原野神社の鹿の巻物とどんぐり帽子』 
こちらの記事で、私は次のようにのべた。

惟喬親王は大原野神社の四柱の神(武御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比咩大神)いずれかと同一視して祀れれているのではないか、と。

その理由は、神殿前の鹿の像の一体が巻物をくわえ、もう一体が頭にどんぐりの帽子を乗せていることにあった。

大原野神社 雄鹿 
大原野神社 狛鹿 ↑ ↓

大原野神社 雌鹿

惟喬親王は巻物が転がるのを見て木地師が用いるろくろを発明し、どんぐりの帽子から茶碗の形を思いついたという伝説があるだ。

また、大原野神社には文徳天皇が作ったとされる鯉沢池や、清和天皇が産湯に使ったと伝わる瀬和井(せがい)があるが
文徳天皇は惟喬親王の父親、清和天皇は惟喬親王の異母弟である。

文徳天皇は紀静子との間にできた惟喬親王を皇太子にしたいと考え、源信に相談している。
源信は藤原良房(藤原明子の父・清和天皇の祖父)をはばかって天皇を諫めた。
こうして文徳天皇と藤原明子の間にできた惟仁親王(後の清和天皇)が皇太子となったのだった。

このように惟喬親王と関係の深い人物ゆかりの地と伝わっていることも、惟喬親王が大原野神社の神と同一視されているのではないかとの推論を裏付けているように思える。(気のせいかw)

大原野神社 御田刈祭

⓶重陽とは何か

この大原野神社では9月第2日曜日に御田刈祭が行われ、神相撲が奉納されている。
 1717年より300年以上続く伝統神事であるという。

大原野神社の神相撲はたぶん、9月9日の重陽の節句にちなむ行事ではないかと思う。

陰陽道ではすべてのものは陰陽両面をもつと考える。
例えば人間は男が陽で女が陰。天地では天が陽で地が陰である。
数字では、奇数が陽、偶数が陰である。

古代中国では、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日は、「陽(月)+陽(日)=陰」になるとして避邪の行事が行われていた。
1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日は五節句といわれ、お祝いをしたりするが、もともとは避邪の行事だったのである。

特に9は一桁の奇数としては一番大きな数であるために「陽の極まった数」と考えられ、「陽の極まった数の重日」ということで「重陽」と呼ばれていた。
日本においても宮中では「観菊の宴」などが開かれ、盛大に祝われた。

大原野神社 御田刈祭3

③重陽と惟喬親王

京都では様々な寺社で重陽の節句の行事が行われているが、中でも有名なのは法輪寺の重陽神事だろう。

周の穆王が寵愛していた少年・菊慈童は、あるとき誤って帝の枕の上を超えてしまい、レッケン山に流刑となった。
穆王は菊滋童に観世音菩薩 普門品というお経にある「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を毎日唱えるようにと言った。
菊慈童がこれを菊の下葉に書きつけたところ、菊の下葉の露が不老長寿の薬となった。
そしてそれを飲んだ菊滋童は700歳の長寿を得た。

この伝説にちなみ、法輪寺では菊滋童の舞が奉納される。

そしてこの法輪寺に惟喬親王が籠って虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説がある。
即身仏となるべく入定する際に漆のお茶を飲んだという。
そうすることで胃の中の者を吐き出し、また漆の防腐作用で死後腐りにくい体になったという。

昔の人は腐らない肉体があることを不老長寿と考えていたようで、即身仏となる目的は56億7000万年後に弥勒菩薩があらわれる、その際に復活して彼の聖業に参加することであったと聞いたことがある。

そう考えると惟喬親王と菊滋童のイメージが重なる。



法輪寺 重陽神事2

法輪寺 重陽神事




平家物語などに紀名虎と藤原良房が、いずれの孫を立太子させるかでもめ、相撲や高僧の祈祷合戦などのバトルを繰り広げた結果、藤原良房が勝利したと記されている。

これは史実ではない。
というのは、惟仁親王が生まれたときすでに紀名虎はなくなっていたからだ。
しかし、紀氏と藤原氏に確執があったことは確かだろう。

惟喬親王の乱⑬ 上加茂神社 烏相撲 『紀名虎&藤原良房の世継ぎ争い』  

そしてこちらの記事には次のように書いた。

「烏相撲は上賀茂神社の親神である松尾の大山咋神に見せるために行われている」といわれているが

紀名虎または惟喬親王は、松尾の大山咋神とイメージが重ねられており
烏相撲は、紀名虎または惟喬親王に、「世継ぎを決める相撲で、あなた方は負けたんだよ」ということを思い出させるために行われているのかもしれないと。

上賀茂神社 烏相撲

上賀茂神社 烏相撲

この上賀茂神社の烏相撲と同様、大原野神社の神相撲もまた
紀名虎または惟喬親王に、「世継ぎを決める相撲で、あなた方は負けたんだよ」ということを思い出させるために行われているのかもしれない。


大原野神社 御田刈祭2 


大原野神社 赤ちゃん土俵入り4


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惟喬親王の乱㊵ 千手寺 『惟喬親王の乱と在原業平腰掛石』 につづきます~



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[ 2020/11/25 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

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