惟喬親王の乱㊲ 粟辻神社『惟喬親王と在原業平は鍛冶屋の祖だった』
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惟喬親王の乱㊱交野天神社 本尊掛松『鍛冶と惟喬親王の関係は?』 よりつづきます~
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。
①離宮八幡宮は惟喬親王の離宮跡?

離宮八幡宮
惟喬親王の乱⑲離宮八幡宮 紅葉 『搾油器を発明した神官の正体とは?』
↑ こちらの記事でこんなことを書いた。
・水無瀬の離宮八幡宮は石清水八幡宮の元社だった。
・日本では先祖の霊は子孫が祭祀するべきとする考え方があった。
石清水八幡宮の神官は紀氏の世襲である。
藤原良房は八幡宮の御祭神・応神天皇に惟喬親王(母親/紀静子)のイメージを重ねて石清水八幡宮を創建したのではないか。(清和天皇が創建したとされるが、当事10歳なので外祖父で摂政の良房の意志が働いているとみるのが自然だと思う)
・伊勢物語の第八十二段には、こんな話が記されている。
惟喬親王は在原業平や紀有常らの寵臣とともに、水無瀬離宮から交野ケ原へ向かい、渚の院で歌会を開いたと。
水無瀬は離宮八幡宮から近い。
離宮八幡宮という名前は、嵯峨天皇の離宮があったところからつけられたというが、本当は惟喬親王の離宮があったところからつけられたのではないか。

離宮八幡宮
⓶惟喬親王と在原業平は鍛冶屋の祖
また近所には粟辻神社があって、鍛冶屋の祖神として惟喬親王と在原業平を祀っている。

「粟辻安永記」には「春日明神小社」とあり、1724年ごろ 堂の講より水無瀬家に願いでて免許され、そのころより粟辻明神と名付けたとある。
938年に創建で、春日神社と称していたが、1531年惟喬親王が粟辻氏の祖先にあたるので粟辻神社と改称されたともいう。
この粟辻神社の存在からも、離宮八幡宮は嵯峨天皇の離宮があったところからついたというよりも
惟喬親王の水無瀬離宮があったところから離宮八幡宮になったのではないか、と思ってしまう。
③惟喬親王の伝説の多い交野市・枚方市はは鍛冶と関係が深そうに思える。
それはさておき、なぜ惟喬親王と在原業平が鍛冶屋の祖神なのだろうか?
前回の記事惟喬親王の乱㊱交野天神社 本尊掛松『鍛冶と惟喬親王の関係は?』 を思い出してほしい。
大阪府枚方市・交野市あたりは惟喬親王の伝説が多い。
渚の院は惟喬親王が歌会を開いた場所だったし、交野市から枚方市を流れる天の川のほとりにも惟喬親王一行はやってきている。
惟喬親王の乱㉑ 渚の院跡 『惟喬親王の歌会は呪術会だった?』
惟喬親王の乱㉖ 中山観音寺跡と機物神社 『惟喬親王=小野小町=織姫?』
まだ記事を書いていないが、枚方市の日置天神社にも惟喬親王の伝説が伝えられている。
さらに、枚方の交野天神社は継体天皇の宮跡と伝わるが、継体天皇の和風諡号(しごう)は次のように記される。
日本書紀・・・・男大迹王(をほどのおおきみ)
古事記・・・・・袁本杼命(をほどのみこと)
ヲホドとは小火床であり、鍛冶に関係があるのではないかとも言われている。
火床とは鍛冶をするための簡単な炉のことである。

交野天神社 貴船神社
また、交野天神社からそう離れてはいない枚方市岡本町に下井戸跡があり、案内板に次のように記されている。
枚方宿4カ村の内、岡村の地下水は鉄気が多く飲料水に適さなかったため、古来より万年寺山や別子丘陵に取水の元井戸を掘り、導水管により水を供給していました。
https://ja.localwiki.org/hirakata/%E4%B8%8B%E4%BA%95%E6%88%B8%E8%B7%A1より引用
そして枚方市茄子作は喬親王の愛鷹につける鈴を作ったことから名鈴となり、それがなまって茄子作りになったといわれている。
④一富士・二鷹・三茄子は鉱物の隠語?
初夢で見ると縁起がいいとされるものとして、一富士・二鷹・三茄子という。
私は、一富士・二鷹・三茄子とは鉱山または鉱物の隠語ではないかと考えている。
栃木県那須町の近くには足尾銅山がある。
愛媛県新居浜市のなすび平の近くには銅山川が流れ、別子銅山がある。
銅は茄子色をしている。
そして茄子が鈴なりになっている状態を坑道に見立てたのではないだろうか。
つまり、茄子は銅を表す隠語ではないかと思うのだ。
鷹は鷹の爪。
鷹の爪の赤い色は水銀を、また鷹の爪の実が鈴なりになるようすをやはり坑道に見立てたのではないだろうか。
富士は不死の意味で、輝きを失わない金を意味しているのだと思う。
藤の花が房になって咲くようすもやはり坑道に喩えられたのだと思う。
惟喬親王の伝説が多く残る大阪府枚方市には茄子作(なすつくり)のほかに藤田川(とうだがわ)・高田(こうだ)・という地名があり、一富士・二鷹・三茄子が揃っている。

本尊掛松(枚方市茄子作)(桜に気をとられすぎて、松が写っておりませんが~汗)
鈴は金属のスズを表しているのかもしれないし、愛鷹は鷹の爪=水銀を表しているようにも思える。
このように枚方市交野市あたりは古くは鍛冶と関係があったのではないかと思われるふしがある。
⑤惟喬親王と在原業平は鍛冶屋の祖神
離宮八幡宮近くにある粟辻神社では、惟喬親王と在原業平を鍛冶屋の祖神として祀っているというのだ。
上の動画は私も行ったことのある木地師資料館で木地師保存会の小椋さんに取材を行ったものだ。
この動画の3:02あたりで、「元の木地師は丸棒の刃物から叩いて鍛冶屋をして自分の形にあうように鉋をつくっております」
とおっしゃっている。
木地師は鍛冶屋でもあったのだ。そういうわけで木地師の祖・惟喬親王は鍛冶師の祖ともされているのかもしれない。
在原業平はなぜ惟喬親王と一緒に鍛冶師の祖とされているのだろう?
在原業平は惟喬親王の寵臣だったからだろうか?
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