fc2ブログ
2024 04123456789101112131415161718192021222324252627282930312024 06

惟喬親王の乱㉟ 愛宕神社 『惟喬親王側について呪詛合戦をした太郎坊天狗』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㉞ 大原の里 『惟喬親王と愛宕信仰』 よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。



①惟喬親王と愛宕信仰は関係あるか?

愛宕山の山頂に愛宕神社がある。
かつてはケーブルカーがあったそうだが廃止となり、現在は徒歩で登るしかない。
往復4時間はかなりきつそうだ。
しかし、大原の里に愛宕燈籠がたくさんあるのに気が付き、「もしかしたら惟喬親王と愛宕信仰は関係があるのではないか?(大原には惟喬親王の墓がある。)」と思ったら、なんとしても愛宕山に登ってみたくなった。

大原 愛宕大神の灯篭

大原の里 愛宕燈籠

惟喬親王陵

惟喬親王陵(大原の里)

午前9時半ごろ、車で愛宕山の登山口に到着した。
しかし駐車場が満車でとめられなかった。
愛宕山登山は結構人気があるのだ。全然知らなかったw

参拝したかったが車がとめられないのなら仕方がない。
鳥居本付近の風景を紹介しながら、愛宕神社について語ろうと思う。

 ⓶亀石とドクロ信仰

鳥居本 雪2 
鳥居本

鳥居本 雪 
愛宕神社の一の鳥居

嵯峨野清凉寺からさらに西へ歩いていくと、観光客の姿はまばらとなる。
このあたりは奥嵯峨と呼ばれている。
化野念仏寺を超えると平野屋さんという料理屋さんがあり、茅葺屋根の雰囲気のあるたたずまいに目を奪われる。

その脇に立つ鳥居は愛宕山山頂にある愛宕神社の一の鳥居である。

上の写真向かって右側に注連縄をはった石がある。
「上り亀石」と呼ばれ、愛宕山山頂に祀られている「下り亀石」と対になっているとのこと
役行者(634-701)が祀ったとも伝わっているようだ。

https://kyotofukoh.jp/report501.html
私が撮影した「上り亀石」写真はわかりにくいので、上記リンク先写真を参照してほしい。)

おお、亀石!
亀石と名の付く石は全国にあるが、私は亀石とはドクロを模した石のことではないかと考えている。

惟喬親王の乱⑦一言主神社 『土蜘蛛とは首のない人間のことだった?』 

くわしくはこちらの記事を読んでいただきたいが、簡単にまとめておく。


亀石 
飛鳥の亀石

飛鳥の亀石は妖怪ぬらりひょんにそっくりである。

妖怪ストリート ぬらりひょん

妖怪ストリートに置かれていたぬらりひょんの人形

一言主神社 土蜘蛛の塚 
土蜘蛛の塚

一言主神社の『土蜘蛛の塚』は土蜘蛛の胴体を埋めた上に石を置いたもの、頭は神殿の下、足は神殿より100mほど先にある鳥居付近に埋められたといわれている。

一言主神社 亀石 

亀石

葛城一言主神社は葛城山の中腹にあるため、長い階段が設けられている。
『亀石』はその階段の上り口の向かって左手にある。

土蜘蛛の胴体・・・土蜘蛛の塚の下に埋められた。
土蜘蛛の頭部・・・神殿の下に埋められた。
土蜘蛛の脚・・・・神殿より100mほど先にある鳥居付近に埋められた。

『土蜘蛛の塚』は見る角度によっては二つのふくらみがあるように見え、蜘蛛の形をしているように見える。
(蜘蛛は頭胸部と腹部のふたつの部位よりなる。)

そして亀石は階段の登り口にあるが、この場所は神殿の下、といえなくもない。

一言主神社 階段 
一言主神社 階段

また、亀石はどことなく人間のドクロを思わせるような形をしている。
『土蜘蛛の塚』が土蜘蛛の胴体を埋めた上に置いた石であるならば、亀石は土蜘蛛のドクロを埋めたうえに置いた石なのではないだろうか。

さらに、惟喬親王はドクロの神ではないかと思われる。
というのは、お多賀杓子は現在は杓文字の形をしているが、かつてはスプーンのような形をしており、木地師によってつくられていた。
その木地師の祖は惟喬親王とされており、杓子は人間の頭部を思わせる形をしているからだ。

惟喬親王の乱㉚ 再び多賀大社『惟喬親王はドクロの神だった?』 


多賀屋

お多賀杓子に擬えた多賀屋さんの看板

さらに、多賀大社の奥の院といわれる胡宮神社の「胡」という漢字は「首」をあらわす。
胡弓という楽器は杓子のような形をしている。
やはり首(人間の頭部)に似ている(四角い形をしているが)ため胡弓というのではないだろうか。





動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!


もしかしたら愛宕神社も多賀大社同様、ドクロの神を祀る神社なのかもしれない。

③愛宕山に9億現れた天狗の正体はペルセウス座流星群?

山を登ることができなかったので、ネットでバーチャル登山を試みる。

するとこんな記事がみつかった。

日本の8大天狗といえば、1番・京都愛宕山太郎坊(栄術太郎)、2番に滋賀比良山次郎坊、3番・京都鞍馬山僧正坊、4番・長野飯縄山三郎坊、5番・鳥取大仙伯耆坊、6番・福岡彦山豊前坊、7番・奈良大峰山普鬼坊、8番・香川白峰山相模坊をいう。愛宕山太郎坊はその筆頭で、神通力は天地をもひっくり返すと言われるほどのパワーを持つとされる。

愛宕山の古縁起や平安時代の説話集『今昔物語』によれば、山岳密教の開祖役行者と奈良時代の修行僧・雲遍上人が愛宕山を開山し、そこを行場に秘術を駆使して懸命に祈祷をしていると、そばの大杉に天竺(インド)から来た大天狗の日羅(ニチラ)や中国の天狗の首領であった是界(ゼカイ)とともに太郎坊が出現。その数、大小合わせて9億余り、愛宕山は天狗でびっしり埋め尽くされたと伝わる。

その場所が愛宕山表参道を登って十七丁目の四所明神(火燧権)で、太郎坊が姿を現した大杉が愛宕の山神の神籬(ヒモロギ)として現存している。

https://www.leafkyoto.net/blog/makai/2019/12/atagoyama_tengu/  より引用

日本の8大天狗
1番・京都愛宕山太郎坊(栄術太郎)、
2番・滋賀比良山次郎坊
3番・京都鞍馬山僧正坊
4番・長野飯縄山三郎坊
5番・鳥取大仙伯耆坊
6番・福岡彦山豊前坊
7番・奈良大峰山普鬼坊
8番・香川白峰山相模坊

のうち、なんと愛宕山太郎坊がトップですごい神通力をもっているという。

さらに、飛鳥時代、役行者と雲遍上人が愛宕山で祈祷していると9億の天狗が現れたという。

天狗はもともと中国で流星を意味する言葉であったという。

そして日本書記には次のように記されている。

637年、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れた。
学僧・旻は、「これは流星ではない。天狗(あまつきつね)である。


すると、愛宕山に現れた9億の天狗とは流星群なのではないか?

惟喬親王の乱㉔ 広河原 松上げ 『ペルセウス座流星群とお盆』 

↑ こちらの記事で私は次のようなことを書いた。


広河原 松上げ

上の写真はお盆の行事である「広河原の松上げ」を長時間露光したものである。
地面近くの小さな光の環は、氏子さんたちが小さな松明を手に持ってグルグル回している光の軌跡である。
こうして勢いをつけたのち、中央に建てられた燈籠木めがけて松明を高く放り投げる。
運動会の玉入れを、玉の代わりに松明を用いてするようなものである。
なかなか松明は燈籠木に命中しないのだが、ついに命中して火がつき、燈籠木が燃え始める。

Leonidas sigloXIX

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Leonidas_sigloXIX.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Leonidas_sigloXIX.jpg よりお借りしました。
作者不明 / Public domain

上はしし座流星群を描いた絵だが、なんとなく松上げに似ている。

ただし、光が流れる方向は逆になっている。
流星群は放射点から広がるように星が流れるが、松上げは燈籠木に向かって松明を投げる。
それはあたかも流星群が逆向きに流れ、放射点に向かっているかのようである。

旧暦ではお盆は7月15日を中心とした行事だった。
新暦になってからは8月15日を中心として行われることが多い。
ペルセウス座流星群は7月20日頃から8月20日頃にかけて観測され、8月13日がピークである。
旧暦は新暦の約1か月遅れなので、今も昔もペルセウス座流星群が観測される次期にお盆は行われているといえる。

お盆にはお精霊さん(おしょらいさん/先祖の霊のことを京都ではこう言います。)がこの世へ帰ってくると考えられていた。
なぜお盆にはお精霊さんがこの世へ帰ってくるなどと考えらえたのだろうか。

昔の人々は死んだ人の魂は星になると考えていたようで、今でも亡くなった人のことを「星になった」などという。
ペルセウス座流星群でたくさんの星が降るようすを、死んだ人の魂がこの世に戻ってくると考えられたのではないだろうか。

そして松上げは精霊送りの行事だとされるが、この世の戻ってきたお精霊さん=流星を空に戻す行事のように思える。

と。

さらにこの松上げは、京都~丹波~若狭(若狭街道)の山間部に伝承されるお盆の行事で、京都市右京区の愛宕神社の愛宕信仰からくるものだという。

こう考えると愛宕山に9億現れた天狗とはペルセウス座流星群の比喩のように思える。

④太郎坊天狗は惟喬親王側について呪詛合戦をした天狗だった。

さらにこんな記事も見つかった。

かつて、中国から渡ってきて比叡山延暦寺の高僧を亡き者にしようとした是害坊(ぜがいぼう)と名乗る天狗が草鞋を脱いだのが愛宕山の太郎坊天狗のところであったとのこと。

太郎坊の来歴伝承は、空海の高弟であった知恵優れた僧が、惟喬親王と惟仁親王(後の清和天皇)の皇位争いの際に惟喬親王について、
惟仁親王についた天台僧と壮絶な呪詛合戦を繰り広げた末に敗北し、この恨みをはらすために天狗(怨霊)となって天皇家を脅かし続けた。
この天狗が、生前に修行を積んだ愛宕山に住み着いて太郎坊天狗となった。
天狗とは、比叡山を脅かすものの象徴でもあったのです。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shuichim/atagosan.pdf より引用

なんと、惟喬親王の名前がでてきた!

愛宕山の太郎坊天狗は、惟喬親王と惟仁親王の世継争いの際、惟喬親王側について呪詛合戦をした天狗だったのだ。
思ったとおり、惟喬親王と愛宕神社、愛宕信仰は関係があったのだ。

(①に書いたように、大原の里に愛宕燈籠があることから、「惟喬親王と愛宕信仰は関係があるのではないか?(大原には惟喬親王の墓がある。)」と考えていた。)

ちなみに③で松上げの行事について記したが、雲ヶ畑の松上げは文字の火をあげるもので、惟喬親王を偲ぶ行事であると伝えられている。

雲ヶ畑 出谷町 松上げ3

雲ヶ畑

惟喬親王の乱⑤雲ヶ畑 松上げ 『惟喬親王の本地仏は地蔵菩薩?』 


⑤愛宕山の上から清和天皇を脅かし続けた太郎坊天狗

太郎坊天狗が「この恨みをはらすために天狗(怨霊)となって天皇家を脅かし続けた。」というのは、大変おそろしい。



上の地図で、愛宕山と清和天皇陵の位置関係に注意してほしい。
そう、清和天皇水尾陵の東北に愛宕山があるのだ。
まるで太郎坊が愛宕山の上から清和天皇を脅かしているようではないか。

⑥勝軍地蔵


愛宕神社はかつて白雲寺という寺で、781年に慶俊僧都、和気清麻呂らが創建したという。
そのほか、当事の山中には、中国の五台山に模した以下の五寺があったらしい。


日本の寺
対応する中国の五台山
白雲寺(愛宕大権現)朝日峰
月輪寺大鷲峰
神願寺(神護寺)高雄山
日輪寺竜上山
伝法寺賀魔蔵山

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE より引用


9世紀ごろ白雲寺の本殿には勝軍地蔵(愛宕大権現の本地仏)、奥の院(現 若宮)に太郎坊天狗が祀られていた。

明治の神仏分離により、白雲寺は廃絶されて愛宕神社となり、勝軍地蔵は京都市西京区大原野の金蔵寺に移されたという。

金蔵寺 権現堂 
金蔵寺 権現堂


神仏習合時代、日本古来の神々は仏教の神々が衆上を救うために仮にこの世に姿をあらわしたものと考えられていた。
そして仮に姿をあらわした日本古来の神のことを権現、日本古来の神のもともとの正体である仏教の神のことを本地仏といった。

愛宕神社の場合は、
衆上を救うため、仮にこの世に姿をあらわした日本古来の神・・・愛宕権現
日本古来の神々のもともとの正体である仏教の神(本地仏)・・・勝軍地蔵


大宝年間、役小角と泰澄(白山修験の開祖)が愛宕山に登った時、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵たという伝説がある。

『元亨釈書』には清水寺の延鎮が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に坂上田村麻呂の戦勝祈願を行ったと記されている。

軍旗、剣などを持ち、甲冑姿で、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像があるとされる。


鳥居本付近に勝軍地蔵を祀る祠が建てられていた。
この付近が愛宕神社参道入口に位置することから、ここに勝軍地蔵が建てられているのだろう。

鳥居本付近 勝軍地蔵 
鳥居本付近 勝軍地蔵



いつも応援ありがとうございます♪

惟喬親王の乱㊱交野天神社 本尊掛松『鍛冶と惟喬親王の関係は?』 につづきます~



写真ぶろぐ 
心の旅 
考えるぶろぐ 
調べてみた。考えてみた。  もよろしくおねがいします。

※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。






にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村



 

関連記事
スポンサーサイト



[ 2020/11/09 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://arhrnrhr.blog.fc2.com/tb.php/516-d2e67471