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惟喬親王の乱㉛ 惟喬神社  厳島神社 『磐座のある二つの神社』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㉚ 再び多賀大社『惟喬親王はドクロの神だった?』  よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。



①惟喬神社

再び雲ヶ畑にやってきた。
我々は雲ヶ畑には以前も訪れたことがある。
そう、地蔵盆の8月24日、惟喬親王を偲んで山に点火する文字の火を見にやってきたのだった。
惟喬親王の乱⑤雲ヶ畑 松上げ 『惟喬親王の本地仏は地蔵菩薩?』 

雲ヶ畑 観光マップ

そのときは時間がなくて参拝できず心残りだった惟喬神社をまず参拝する。

惟喬神社 
惟喬神社は予想以上に小さな神社だった。

説明板には次のように記されている。(読みにくいところがところどころあったので細かいところで間違っているかもしれません)

平安時代前期の文徳天皇の第一皇子・惟喬親王を祭神とする。
幼少から聡明だった惟喬親王は父の愛情も深く次の皇位を継ぐはずであったが、時の権力者・右大臣藤原良房の娘と文徳天皇の間に第四皇子・惟仁親王(後の清和天皇)が生まれると、良房らの圧力により皇位を奪われ、都を後にした。
伝承によると、惟喬親王は貞観九年(867)、現在の桟敷ヶ岳辺りに隠棲していたが、翌年雲ヶ畑に迎えられ、現在の雲ヶ畑出張所付近に造影された高雲宮に移りすみ、間もなくそこで出家した。
現在の高雲寺はこの宮に由来するものといわれている。
この神社は、臣下や村人たちが親王の徳を永遠に奉祀するため創建したという。京都や滋賀の山間部では、惟喬親王に対する信仰が強かったことの現れである。
『拾遺都名所図絵』によると、親王が寵愛していた雌鳥がこの地で病死したため、ここに祠を建てたといい、この縁から雌社とも呼ばれている。


⓶惟喬親王の高雲宮に由来する高雲寺

説明板に「高雲寺」とあるのは、以前松上げを見にいったお寺のことである。松上げの写真を3枚はっておく。

雲ヶ畑 高雲寺 石碑

境内の歌碑

雲ヶ畑 中畑町 松上げ 

高雲寺境内から向かいの山に向かって松明を振り「おーい」と叫ぶと、
向かいの山から「おーい」と返事が返ってきて文字が点火される。


 雲ヶ畑 松上げ 
③惟喬親王は男なのに「雌宮」とはこれいかに?

惟喬神社には「雌宮」と記された額がかけられていた。

惟喬神社2 
私は「鳥」とは死んだ人の魂を現していると思う。
というのは、死んだヤマトタケルが白鳥になったとか、アメノワカヒコの葬儀を鳥たちが行ったなどの記述が記紀にはあり、鳥は死のイメージが強いこと
また仁徳天皇陵などの巨大古墳は地上からではその形がわからず、鳥の視線を意識して作られていると思う。
空高く飛ぶ鳥の視線からであればその形がはっきり認識できるだろう。
昔の人は死んだ人の魂は鳥になると考えていたのではないだろうか。

惟喬親王が寵愛していた雌鳥が死んだので葬ったというが、惟喬神社の御祭神は惟喬親王である。
雌鳥とは、死んだ惟喬親王の魂のことではないだろうか。

惟喬親王は男性なのになぜ雄鳥ではなく、雌鳥なのだろうか。

このシリーズの中で何度か述べたが、私は小野小町の正体は小野宮と呼ばれた惟喬親王だと考えている。

これについては詳しく
「小野小町は男だった」のシリーズで述べたが、簡単にまとめておく。

a
古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。
b古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。
c.小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
d『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。
三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、
 『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
  紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
  また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。
  三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
  そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。
  惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
  そういうことで小町なのではないだろうか。
e花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。
①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。
※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』
※『世』・・・『世の中』と『男女関係』
※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』
しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。
③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。

つまり惟喬親王=小野小町(女)なので雄鳥ではなく、雌鳥なのではないかと私は考えた。

③惟喬神社には磐座があった!

参拝をすませ、次の目的地に向かおうと思ったが、何か気になって宮の背後に回ってみた。
宮の背後は急な山の斜面となっており、見上げると磐座のようなものがあった!

惟喬神社-磐座? 
つきあってここまで一緒にきてくれた友人は、もう階段を降りていたが、私が手招きすると再び階段を上ってきた。
私は友人に「磐座がある」といった。
友人は「これは磐座かな?注連縄してないし」といったが、私はこれは磐座だと思う。
注連縄は、それを人間がかけるかかけないかだけの存在だ。
そんなことより、社殿のま後ろにこの磐座がある、ということが重要ではないだろうか。
社殿をたててから、この磐座が現れたのか?
そんなことないだろう。このような巨大なものを動かしたと考えるよりは、巨大な磐座があるからここに社殿をたてたと考えたほうが自然ではないだろうか。

説明板にもネットの情報にも惟喬神社に磐座があるとは記されていないが、私はこれは磐座だと思う。

もう少し高いところまで登ったら鮮明に磐座の形をカメラでとらえることができただろうが
残念ながら足場が悪くて登ることができなかった。

しかし木々の隙間からふたつの磐が見える。
向かって左は尖がった細長い三角形をしており、向かって右はよく形がわからないが、向かって左よりもやや平べったいように見える。

④惟隆親王は石の神(ミジャクジ様)?

惟喬親王は磐=石の神なのではないか?
各地にミシャグジ様の信仰があり、ミシャグジ様とは「御石神様」がなまったものだといわれている。
そしてミシャグジ様には杓子を奉納する習慣があるが、杓子は人の頭部のような形をしている。
さらに、かつてお多賀杓子はヘラではなく、くぼみのあるスプーンのような形をしていた。
その杓子は木地師によって作られたが、木地師の祖は惟喬親王なのである。
又お多賀杓子を授与している多賀大社から数キロのところにある白山神社では惟喬親王をまつっている。
惟喬親王とミシャグジ様の関係は深そうに思える。


大覚寺身振り狂言 十王堂2jpg

大覚寺(兵庫県尼崎市 大覚寺身振り狂言『十王堂』に登場した琵琶を持つ弁才天/向かって左)

広島県宮島の厳島神社では江戸時代より宮島杓子を授与している。
そして、紀氏の本拠地であった湖東にある多賀大社ではお多賀杓子を奉納しており、
そこから5.6kmほど離れた場所にある多賀町大君ヶ畑の白山神社には惟喬親王を祀っているのだった。

http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-category-36.html?q=%E7%99%BD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&charset=utf-8

多賀屋

この多賀大社の奥の院とも呼ばれる胡宮神社の胡と言う字には「首」という意味がある。
胡宮神社とはドクロの神を祀る神社であり、胡宮神社と関係の深い多賀大社もまたドクロの神を祀る神社ではないかと思う。
それゆえ、多賀大社では切断された人の頭部を思わせるお多賀杓子を授与しているのではないか。
また江戸期のお多賀杓子はスプーンのような形をしており、木地師が杓子を作っていたという。
そして惟喬親王は木地師の祖とされており、境内には、惟喬親王を思わせるさざれ石も祀られていた。

多賀大社 さざれ石 
多賀大社 さざれ石 

惟喬親王に仕えていた木地師の藤原朝臣石位左衛門は、親王より「よい椀生地を探せ」と命じられた。
そこであちこち探し回って春日村を発見し、ここに移り住んだ。
石位左衛門は春日村と京を行き来する途中で「さざれ石」を発見して

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで

と詠んだ。

という伝説がある。さざれ石とは惟喬親王をイメージした石なのだ。

③厳島神社にも磐座があった。


惟喬神社から下っていくと厳島神社があった。

厳島神社

厳島神社(雲ヶ畑) 説明板

もともとは天津石門別稚姫神社と呼ばれていたのが、明治に弁財天と習合されて石門別弁財天、雲ヶ畑弁財天となり、廃仏毀釈の際に厳島神社と改称したとある。

さらに「祭神・天津石門別稚姫(あまついわとわけわかひめ)が出現したという石門岩があると書いてある。

厳島神社(雲ヶ畑)

写真中央は拝殿(舞殿)で、その奥に見えているのが本社。本社の向かって右側に・・・・

  厳島神社(雲ヶ畑)-磐座

磐座があった!

尖がった三角柱の形が、惟喬神社背後にあった磐座(だと思う)と似ている。
これは、惟喬神社と関係のある神社ではないか?

理由はわからないが、日本には2個セットになったものがいくつかある。
例えば上賀茂神社と下鴨神社、諏訪大社上社と諏訪大社下社のように。

そういえば、交野ケ原(大阪府枚方市・交野市)には牽牛星・織女星に喩えられる寺社が、中山観音寺(跡)&機物神社、星田妙見宮&天田神社の2ペアあるのだった。

惟喬親王の乱㉗ 星田妙見宮と天田神社『天田神社の住吉明神は惟喬親王のイメージ?』 
惟喬親王の乱㉖ 中山観音寺跡と機物神社 『惟喬親王=小野小町=織姫?』 

もしかしたら天津石門別稚姫とは、惟喬親王のことではないか?

さらに天津石門別稚姫は弁財天と習合されたようだが、弁財天は琵琶を持っている。
弁財天を祀る広島県宮島の厳島神社では宮島杓子を授与している。

宮島杓子は江戸時代、弁財天が持つ琵琶に形が似ているところから授与されるようになったといわれるが
実は弁財天はドクロの神なのではないか?

Seated Benzaiten (Sarasvati), Kamakura period, 13th century, wood with polychromy, cut gold leaf, and inlaid crystal eyes - Tokyo National Museum - DSC05088


https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Seated_Benzaiten_(Sarasvati),_Kamakura_period,_13th_century,_wood_with_polychromy,_cut_gold_leaf,_and_inlaid_crystal_eyes_-_Tokyo_National_Museum_-_DSC05088.JPG よりお借りしました。

Daderot, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

弁財天の中には、上の写真のように頭上に宇賀神を戴くお姿の者が多い。

宇賀神(うがじん)は人頭蛇体のおすがたをしておられる。


喜光寺 宇賀神 

喜光寺 宇賀神


http://www.senjyuin.or.jp/?page_id=135

上のサイトに「空鉢ご分霊」の写真が掲載されているが、蛇がとぐろを巻いたお姿をされており、宇賀神にそっくりである。

昔の人は蛇とは胴体がなく、頭部に長い首のついた動物だと考えていたのではないだろうか。
すでに述べたように惟喬親王もドクロの神として信仰されていた可能性があり、弁財天と惟喬親王には共通点がある。
弁財天と習合されていた天津石門別稚姫もまたドクロの神ではないだろうか。



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[ 2020/10/21 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

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