トップページはこちらです→
惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』 惟喬親王の乱㉙胡宮神社 『胡宮神社の胡はドクロを意味する?』 よりつづきます~
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。
秋の訪れをつげる蕎麦の花
①弓の弦で切って作る糸切餅
↑ 多賀大社門前にある『多賀や』さん。
『糸切餅の看板が目をひく。
糸切餅は長く引き伸ばした米粉のお餅を三味線の弦で切って作る。
もともとは三味線の弦ではなく、弓の弦で切っていたそうだ。
糸切餅の起源は約700年前の「蒙古襲来」にまで遡ると言われる。
1274年と1281年の2度にわたり、蒙古(モンゴル帝国)が日本にせめて来た。
しかし神風が吹いて、蒙古は撤退しました。
その後、人々は蒙古が撤退したのは神のご加護があったからだと考えて、多賀大社にお供え物をした。
その中に糸切餅があったという。
赤と青の三本線は蒙古軍旗を模したものなのだとか。
それはともかく、「弓の弦で切っていた」と聞いて私は心臓バクバク状態に!
なぜかって?
②多賀大社の奥の院『胡宮神社』の『胡』とはどういう意味?前回の記事、
惟喬親王の乱㉙胡宮神社 『胡宮神社の胡はドクロを意味する?』 で私はこんな話をした。
❶胡宮神社は多賀大社の奥の院ともいわれている。
❷胡宮神社の「胡」という漢字には次のような意味がある。
胡の意味 | |
獣のあご。垂れ下がった顎の肉 | |
くび | 多賀大社には杓子(しゃもじ)をお供えする習慣がある。 多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=首(ドクロ)の神を祀る神社 という発想から杓子が奉納されたのではないか? (杓子は人間の頭部と首を連想させる形をしている) |
なんぞ。なに。いずくんぞ。 | |
いのちがながい。としより。おきな | 多賀大社は延命にご利益があると信仰されている。 |
とおい。はるか。 | |
えびす。北方の異民族の名。 | 日本にとって蒙古は外国からやってきた異民族。 多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=異民族の神をまつる神社? |
昔の中国で、外国から渡来したものをいう。 | |
祭器 | |
でたらめのこと。 | |
ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。 | |
多賀大社 ③弓で弾く楽器を胡弓というのはなぜ?
胡弓という楽器がある。
三味線に似ているが、三味線と違って弓で弾く。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Playing_on_Samisen,_Yokin_and_Kokin.jpg よりお借りしました。
向かって右が胡弓。
胡弓は四角い箱に柄がついたような形をしていて、杓子に似ている。
また胴体から切り離した頭部(首・ドクロ)にも似ている。
それで胡弓という名前がつけられたのではないだろうか。
琉球には胡弓(クーチョー)という楽器があるが、やはり弓で弾く。
琉球の胡弓は昔は椰子の実を割って胴にしていたというので、日本の胡弓よりさらに頭部(首・ドクロ)のイメージに近い。
さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていた。
つまり弓でひくものが胡弓であり、似たような形をしていてもバチで弾いて音を出す三味線には胡という漢字は用いられないのだ。
これはなぜだろうか?
それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるからではないだろうか?
多賀大社境内にある寿命蕎麦の店④糸切餅は胡弓の弓で切っていた?ここで糸切餅のデザインを思い出してほしい。
胡弓には弦が3本ある。糸切餅の3本の線は、蒙古の旗だと言うが、本当は胡弓の3本の弦をイメージしたものではないか。
そして、糸切餅は現在は三味線の弦で切っているが、もともとは弓の弦で切っていたのだった。
弓は弓でも、胡弓の弓の弦で切っていたのではないか。
胡弓の弓の弦は馬の尻尾の毛を束ねて作られている。
もちろん束ねたままでは切れないだろうが、馬の尻尾の毛一本ならば強度があれば切れそうに思うが、どうだろうか。
馬の尻尾の毛が入手できれば試してみたいがw
これが正しければ、糸切餅の起源は蒙古襲来よりも、時代が下って江戸時代ではないかなと思ったりする。
胡弓が歴史上に登場するのは江戸時代だからだ。
⑤杓文字をつくる人の祖先は惟喬親王だった!

もう一度多賀屋さんの看板をみてみよう。
これは多賀大社で授与しているお多賀杓子をモチーフにしたものだ。
この杓子のルーツについて、オモシロイ記事を見つけた。
https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1995-05-15なんとタイトルは『杓文字(しゃもじ)を作る人々の祖神「惟喬親王」』!
われらの惟喬親王がここにもついに現れたw
たいへんオモシロイ記事で、次のような内容が記されている。
長くなるが、自分用メモという意味で、記事の内容とは直接関係のない記事も記しておくw
重要と思われる点については赤字で記す。
a.字は敵を“メシ取る”という縁起かつぎで、日清戦争の際には、兵士や家族が厳島神社の回廊の柱に打ち付けた。
b.「杓文字」は「柄杓(ひしゃく)」の女房言葉。
現在では水をすくうのは柄杓、味噌汁をよそうのは杓子(しゃくし)、ご飯を盛るのは杓文字と使い分けているが同じ道具だった。c『柄杓」は、瓢箪(ひょうたん)の異称「瓠(ひさご)」がなまったもの。
古代人は乾燥させた瓢箪をタテ割りにして、水や汁や飯をすくっていた。
d.近世の伊勢群参のお蔭参りでは、巡礼者が曲物柄杓を腰にさした。
e『多賀神社史』は、お多賀杓子について次のように記している。
「元正天皇の養老年間中、天皇、不予(ご病気)にましまし、供御(くご)を聞こし召されなかったにより、本社に御祈願あり、伺官ら忌火をもって強飯を炊き、神山の#(木偏に夫)栘(しで)の木をもって杓子を作り、これに副えて奉ったところ、とみに御悩みの平癒を見た」
杓子を作った木の枝を地面に差したところ、根が生じたのが、田園にいまも大きな枝を広げるケヤキの大木の「飯盛木(いもろぎ)」で、男木と女木があり、県の天然記念物に指定されている。
※ 養老年中に元正天皇が病を得たという記述は、『続日本紀』にはない。
※江戸中期に書写された『多賀大社儀軌』第一の「飯盛木之事」の項は、元正天皇の故事について言及していない。
※そのため故事は「諸国を勧進廻りした近世の坊人たちが延命・長寿の御神徳を弘布するために“養老”という年号にあやかった創作」とする説もある。
f.多賀大社のある近江は大陸との関係が深い土地。湖東地方には渡来人の集落が築かれ、唐・新羅連合軍に敗れた百済の王族や貴族が亡命していた。
g多賀大社のある犬上郡の首長・犬上君御田鍬(みたすき)は遣唐使、遣隋使として大陸にわたった。
h.蘇我氏は百済系の渡来氏族だとする説が有力。有力渡来氏族と関係が深かった。
i.帝の時代、蒸した強飯(こわめし)を食していた。だったらしい。
※篠田統氏によると、煮飯が主流になるのは釉薬がかかった陶鍋や陶釜が普及する平安中期以降。
※強飯の時代は精白技術が十分ではなく、ぽろぽろの強飯を食べていた。へらの杓文字ではご飯をすくいにくかっただろう。
j.「多賀杓子」は、明治期まではお玉の部分がくぼんでいて、柄はオタマジャクシの尻尾のように曲がっていた。
手強さはお多賀杓子の荒削り ゆがみなりにも命長かれhttp://3-gin.net/3gin-blog/november-20th-2018
上の記事に江戸時代のお多賀杓子の写真が掲載されている。
k.杓文字はお椀やお盆などと同じく、木地師と呼ばれる漂泊の山民によって作られた。
木地師は農耕民の穀物などと交換していたので、杓文字は山という異界からもたらされる呪具と考えられた。
l.木地師の発祥地は 君ヶ畑(きみがはた)、蛭谷(ひるたに)、箕川(みのがわ)、政所(まんどころ)、九居瀬(くいぜ)、黄和田(きわだ)の小椋谷(おぐらだに)六ケ畑である。
※君が畑、小椋谷の木地師の里については以前記事を書いた
惟喬親王の乱③木地師の里 『世継争いに敗れた皇子』 木地師たちは「悲運の皇子」惟喬親王を祖神として崇めている。
m.惟喬親王は文徳天皇(第55代)の第一皇子で母親は紀静子だったが、文徳天皇には藤原明子との間に惟仁親王(清和天皇)もあり、当事の権力者であった藤原良房の娘・藤原明子が産んだ惟仁親王が皇位についた。
※これについては、このシリーズで何度も書いていることである。
n.『三代実録』によれば惟喬親王は貞観14(872)年に出家し、洛北小野に幽居したと記すが、同16年以降、親王の動静は正史からはうかがえず、入寂の日も明らかではない。木地師の伝説によれば、出家した親王は愛知郡小椋谷の深山に入御され、小松畑を仮御所として幽棲した。
親王は法華経の巻物が転がるのを見て、手引き轆轤(ろくろ)を考案した。
こうして日本の木地業がおこり、小椋谷が木地師の根源地となったる。
君ヶ畑の大皇器地租(おおきみきじそ)神社、蛭谷の筒井神社ほか、各集落ごとに惟喬親王を祀る宮がある。o.小椋谷のある愛知郡(いまは神崎郡永源寺町から、さらに東近江市)愛東町には推古天皇の御代に聖徳太子の願いで創建された百済寺(ひゃくさいじ)があり、大陸文化が色濃い。
p.愛知(依智)郡一帯を開拓したのは、やはり渡来民の依知秦氏といわれる。
轆轤の技術は高度な製鉄の技術が前提で、その技術は百済の技術民がもたらしたものらしい。
q.紀氏は、紀伊国に本拠を置き、中央豪族として成長した。5、6世紀に大和朝廷が朝鮮半島に進出した際には大活躍した。
その一派は大和国の平群(へぐり)に移り住んだ。
生駒郡平群町に氏神の平群坐紀氏(へぐりにますきのうじ)神社がある。高市郡にはかつて氏寺の紀寺(きのてら)があったとされる。
湖東地域は平安初期~江戸初期まで紀氏の所領だった。r.紀氏と蘇我氏には共通点がある。
・武内宿禰(たけのうちのすくね)の臣(おみ)系豪族。
・橿原市曽我町の宗我坐宗我都比古(そがのそがつひこ)神社の宮座に伝わる由緒によると、
元正天皇の祖母・持統天皇が、蘇我一門(本宗家)の滅亡を哀れんで、蘇我倉山田石川麻呂の次男・徳永内供に「蘇我氏の支族」である紀氏を継がしめ、内供の子・永末に祖神を奉斎するための土地を与え、社務と耕作をになわせたとある。
・奈良・平群町の平群坐紀氏神社から1キロも離れていない場所に、長屋王とその妃・吉備内親王の墓所が並んでいる。
蘇我氏と紀氏の関係の近さを示す
長屋王・・・父/高市皇子 母/御名部皇女(父/天智天皇 母/蘇我姪娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘))
吉備内親王・・・父/草壁皇子(父/天武天皇 母/持統天皇) 母/元明天皇(父/天智天皇 母/蘇我姪娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘))
s.紀氏は一時は外戚として栄えたが、応天門の変以後、政治の表舞台から姿を消した。
t.元正天皇の杓文字伝説と惟喬親王伝説には、没落した渡来民の悲しい歴史が隠されているように思える。
u. 明治政府によって山林改革が実施され、戸籍法が施行されて、「飛び」の生活は認められなくなった。
v. 君ヶ畑のさらに山奥の茨川はかつての鉱山で、轆轤に欠かせないノミはここの鉄鉱石で作られた。
江戸期には約1000人の鉱夫で栄えたが、昭和45年に廃村になった。
w.かつて小椋谷と木地師支配本所の正統性を競っていた多賀町大君ヶ畑(おじがはた)の白山神社は惟喬親王を祀っている。杓子は木地師によってつくられており、木地師の祖は惟喬親王とされている。
また多賀大社から5.6kmほど離れた場所にある多賀町大君ヶ畑の白山神社には惟喬親王を祀っているのだという。
さらに湖東は紀氏の本拠地だったという。(惟喬親王の母親は紀静子)
⑥多賀大社の御祭神と惟喬親王はイメージが重ねられていた?多賀大社にさざれ石があったことを思い出してほしい。
惟喬親王の乱㉘ 多賀大社 『お多賀杓子はミシャクジ様?』
多賀大社 さざれ石 君と言う言葉は天皇を意味することもあったが、自分が仕えている人のことや、貴人、身分の高い女房(朝廷や貴人邸に仕える女性)、男、遊女などを指す言葉としても用いられていた。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで歌の作者は古今和歌集では「読み人知らず」となっているが、岐阜県揖斐川町春日には君が代の由来となったといわれるさざれ石があり、藤原朝臣石位左衛門が詠んだ歌だとして次のように伝えられているそうである。
惟喬親王に仕えていた木地師の藤原朝臣石位左衛門は、親王より「よい椀生地を探せ」と命じられた。
そこであちこち探し回って春日村を発見し、ここに移り住んだ。
石位左衛門は春日村と京を行き来する途中で「さざれ石」を発見して
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで
と詠んだ。
木地師の藤原朝臣石位左衛門のいう「わが君」とは惟喬親王のことだと考えるのが自然だと思う。
惟喬親王は文徳天皇の第一皇子(母/紀静子)で、文徳天皇も惟喬親王を皇太子に死したいと考えていた。
しかし世継争いに敗れ、異母弟の惟仁親王(母/藤原明子)が皇太子となった。
つまり
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまでこの歌は、天皇の長寿を寿ぐ歌ではなく、天皇になれなかった者の長寿を寿ぐ歌であったと考えられる。
そのさざれ石が多賀大社にあるのは、多賀大社が惟喬親王と関係が深い神社だからかもしれない。
杓子は人の頭部に似ている。
惟喬親王はドクロの神なのではないか?そして、お多賀杓子は木地師の祖・惟喬親王にちなんで奉納されるようになったのではないか。
多賀大社境内にある寿命蕎麦の店⑦イザナギはドクロの神?多賀大社の主祭神はイザナギ・イザナミだが、惟喬親王はイザナギとイメージが重ねられているのではないか。
惟喬親王はドクロの神として信仰されたのではないかと私は考えたが
イザナギもまたドクロの神だといえる。
というのは、こんな話があるからだ。
「イザナギの左目から天照大神が、右目から月読命が、鼻からスサノオが生まれた」
スサノオは星の神だとする説がある。
これは陰陽道の宇宙観を表したものだと思う。
陰陽道では東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星とするのだという。
地図では左が西で右が東なので、逆じゃないかといわれるかもしれないが
それは正しくは向かって左が西、向かって右が東なのだ。
地図の側からみれば左が東で右が西になる。
つまりイザナギはドクロの神で、イザナギの顔は天に喩えられているのだ。
多賀大社 御神田惟喬親王の乱㉛ 惟喬神社 厳島神社 『磐座のある二つの神社』 につづきます~
- 関連記事
-
スポンサーサイト