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惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』 惟喬親王の乱㉘ 多賀大社 『お多賀杓子はミシャクジ様?』 よりつづきます~
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。
①胡宮神社と多賀大社の関係多賀大社を参拝した帰り、桜の咲く神社があったので立ち寄った。
神社の名前は胡宮神社という。
胡宮(このみや)神社はイザナギ・イザナミ・事勝国勝長狭尊(別名/塩土老翁しおつちのおじ)を祀り、延命にご利益があるとされているという。
御祭神は事勝国勝長狭尊をのぞくと前回の多賀大社と同じだ。またご利益も同じ。(
惟喬親王の乱㉘ 多賀大社 『お多賀杓子はミシャクジ様?』
境内に熊野神社があり、そこから磐座へ向かう山道が伸びていた。(ここから下の写真は秋に撮影したものです。すいませーんw)
磐座があるならば、それを見ないわけにはいかないw
はあはあ言いながら登っていく。
途中、獣除けなのか、金網の扉が設けられており、参拝者はこの扉をあけて山道を進んでいくようになっている。
30分くらいで磐座についた。

磐座は斜めに筋が入っている。これは何という石で、なぜこのような筋が入っているのだろうか?

磐座の説明板には、「磐座は胡宮神社の奥院であり、多賀大社の奥院と詠んだ時代もある」と書いてあった。
どうも胡宮神社は多賀大社と関係の深い神社であるらしい。
↑ これはかつて身を清めたり、供物を洗ったとされる「お池」
山道をおりると、本殿の横にはわきに敏満寺があった。
大日堂、観音堂、石仏群などがあった。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_kinki/shi_konomiya/konomiya.htm 上のサイトをよむと、敏満寺に長寿石と呼ばれる石があるようだが、残念ながら、どこにあるのかわからなかった。
同じ名前の石は多賀大社にもあり、ほぼ同様の伝説が伝えられているようである。

多賀大社 長寿石
多賀大社の長寿石は次のとおり。
後白河上皇に東大寺再建を命じられた重源は、そのときすでに高齢だった。
東大寺再建が完了するまで生きていられるか心配になり、伊勢神宮に参拝した。
すると天照大御神よりお告げがあった。
「
寿命を延ばしたいのなら、多賀の神を参拝しなさい。」
そこで多賀大社を参拝したところ、落ちてきた柏葉の虫喰のあとが「莚」の字になっていた。
「莚」は「廿(二十)」「延」と書く。つまり、二十延びる、二十年命が伸びるという意味である。
こうして重源二十年の延命を得て無事東大寺を再建することができた。
再建を完了した重源は多賀大社にお礼まいりをし、石に座り込んでなくなった。
この石が「延命石」である。
そして、敏満寺の伝説として、
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_kinki/shi_konomiya/konomiya.htm上のサイトには次のように記されている。
「寿命石。敏満寺は東大寺とのかかわりが深い。
建久(鎌倉時代初期)の昔、東大寺大勧進職として、
源平の争乱で焼失した東大寺の再建にあたった
俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が訪れ、
銅製五輪塔を施入した。
重源はこの石に大願成就までの延命を願ったという。」
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_kinki/shi_konomiya/konomiya.htmよりいんよう。
⓶磐座信仰とミシャグジ
惟喬親王の乱㉘ 多賀大社 『お多賀杓子はミシャクジ様?』 ↑ こちらの記事で、私は多賀杓子のルーツは、多賀大社にミシャグジ信仰があったためではないかと私は考えた。
ミシャグジ様は石神が転じたものともいわれ、奉納された杓子を持って帰って喉をなでると咳の病が治るといわれている。
なぜ杓子なのかというと、ミシャグジ様とシャクシの音が似ているからだろう。
それでは、なぜミシャクジ様は咳の病にご利益があるとされたのだろうか。
ミシャグジ様は石神なので、
石→セキ(石の音読み)→咳という語呂合わせで咳の神へと神格を広げたのではないかと私は思う。
そして多賀大社と関係が深いと思われる胡宮神社の御神体・青龍山には胡宮磐座がある。
磐座とは信仰の対象となった岩のことを言う。
岩と石のちがいはその大きさだけですから、胡宮磐座は石神=ミシャグジ様だといえるのではないだろうか。
胡宮磐座は多賀大社の奥の院であるともいわれており、多賀大社の信仰はこの胡宮磐座と関係がありそうに思える。
もしかしたら、胡宮磐座がミシャグジ様として信仰され、そこから多賀杓子が作られるようになったのかも?
多賀大社
③胡という漢字を漢和辞典で調べてみたら、色んなことがわかった。漢和辞書なんて学生のときは滅多にひかなかったが、歴史や民俗学の謎学(?)にはまってからは結構重宝している。
ネットには書いてないようなことも書いてあるからだ。
さて胡という漢字を家にあった古い漢和辞典で調べてみると、次のように書いてあった。
①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。
④胡宮神社は蝦夷の神?⑥えびす。北方の異民族の名。
とある点に注意してください。。
胡宮神社という神社名は、北方の異民族の神、という意味ではないだろうか?
ウィキペディアにも次のように記されています。
ミシャグジは日本古来の神。柳田國男によれば塞の神(サイノカミ)であり、もとは大和民族に対する先住民の信仰。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE%E7%A5%9E より引用
先住民と異民族は同じだと考えていいだろう。
東北地方にはまつろわぬ民・蝦夷が住んでいた。
蝦夷はエビスともいわれていた。
エビスは戎、夷のほか、胡とも記された。
胡宮神社の胡宮とは蝦夷=エビスの宮という意味ではないだろうか。
⑤なぜ多賀大社や胡宮神社は延命にご利益があるとされているのか。
胡には⑥えびす。北方の異民族の名。という意味があり、蝦夷(胡)の神の宮という意味で胡宮神社というのだと思うが
胡には④いのちがながい。としより。おきな。という意味もある。
そこから胡宮神社は延命にご利益があると考えられるようになったのではないだろうか。
そして胡宮神社は多賀大社の奥宮なので、多賀大社にも延命の御利益があると考えられるようになったのではないかと思ったりする。
⑥なぜ弓でひくものを胡弓というのか?
①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
というのが特に気になる。
胡弓という楽器がある。
三味線に似ているが、三味線と違って弓で弾く。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Playing_on_Samisen,_Yokin_and_Kokin.jpg よりお借りしました。
向かって右が胡弓。
琉球には胡弓(クーチョー)、中国には二胡と読いう楽器があるが、やはり弓で弾く。
さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていた。
つまり弓でひくものが胡弓であり、指やバチではじく三味線やギターは胡弓ではないのだ。
もしかしてそれは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるからではないだろうか?
そう考えると、胡宮神社とはドクロ(首)の神であり、胡宮神社を別宮とする多賀大社もドクロの神ではないかと思われる。
しゃもじは胴体から切り離した首=ドクロを思わせる形をしているではないか。
胡宮磐座もドクロのように見えなくもない。
お多賀杓子をデザインした看板 惟喬親王の乱㉚ 再び多賀大社『惟喬親王はドクロの神だった?』 につづきます~
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