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惟喬親王の乱㉘ 多賀大社 『お多賀杓子はミシャクジ様?』 

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「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。

多賀大社 枝垂れ桜 
①お多賀杓子

枝垂桜の咲く春の多賀大社。

おや? 橋の向うに大きな杓子が見えている。


多賀大社 橋 
近づいてみると杓子の形をした看板だった。
多賀大社では「お多賀杓子(おたがじゃくし)」というお守りの杓子を授与している。
これをモチーフとして杓子の看板を作ったのだろう。

多賀屋 


⓶宮島杓子の由来

杓子を授与したり奉納する習慣のある神社は各地にある。
なぜ、こういうことをするのだろうか?

杓子といえば広島の宮島杓子が思い出す。

広島県宮島の厳島神社が宮島杓子を参拝するようになったのは、江戸時代の寛政年間だという

厳島神社の御祭神は宗像三女神だが、宗像三女神は弁才天と習合されていた。
この弁才天は琵琶を持つお姿にあらわされることが多く、この琵琶に似ているため、僧誓真が授与品として杓子を作ったのが始まりと伝えられている。

日清戦争の際には「敵をめしとる」として、千畳閣(豊国神社)に大量の杓子が奉納されたそうである。

大覚寺身振り狂言 十王堂2jpg 

大覚寺(兵庫県尼崎市 大覚寺身振り狂言『十王堂』に登場した琵琶を持つ弁才天/向かって左)

しかし、多賀大社の御祭神はイザナギとイザナミで、弁才天は祀っていないと思う。(ですよね?)
弁才天が持つ琵琶と多賀杓子は関係がなさそうだ。

③ミシャグジと杓子

ほかに名古屋市南区の石神社などで、ミシャグジという神様に杓子が奉納されているケースがあるそうだ。

横浜市の社宮司社は「咳の神」「おしゃもじさま」と呼ばれ、この社に奉納されている杓子を持って帰り、のどを撫でると咳の病が治ると信仰されている。
治ったときには杓子を2本にして奉納するとのこと。


同様の信仰は各地にある。


多賀大社 しだれ桜3 

④ミシャグジはなぜ咳の神として信仰されているのか

なぜミシャグジは咳の神様として信仰されているのだろうか?
ミシャグジは石神と書いて、シャクジ、サクジなどとも呼ばれていた。
石→せき→咳、という語呂合わせで、ミシャグジは咳の神に転じたのではないだろうか。

余談となるが、大阪四天王寺境内に石神堂があり、少し離れた場所に咳の地蔵尊があり
この石神堂と咳の地蔵尊は関係があるのではないかと思ったりする。

牛王尊


四天王寺 咳の地蔵尊

⑤神は語呂合わせで神格を広げる

このように語呂合わせで神の神格を広げたケースは他にもたくさんある。
たとえば和歌三神の一、柿本人麻呂は人丸とも記され、
ひとまる→火止まる→防火の神、ひとまる→人産まる→安産の神と神格を広げている。

⑥多賀大社は石神だった?

そして多賀大社には、寿命石と呼ばれる石がある。

多賀大社 長命石

長寿石

後白河上皇に東大寺再建を命じられた重源は、そのときすでに高齢だった。
東大寺再建が完了するまで生きていられるか心配になり、伊勢神宮に参拝した。
すると天照大御神よりお告げがあった。
寿命を延ばしたいのなら、多賀の神を参拝しなさい。」
そこで
多賀大社を参拝したところ、落ちてきた柏葉の虫喰のあとが「莚」の字になっていた。
「莚」は「廿(二十)」「延」と書く。つまり、二十延びる、二十年命が伸びるという意味である。
こうして重源二十年の延命を得て無事東大寺を再建することができた。
再建を完了した重源は多賀大社にお礼まいりをし、石に座り込んでなくなった。
この石が「延命石」である。


ミシャグジとは石神のことであり、多賀大社の延命石は石神として信仰されていたのではないだろうか。
そして石神はミシャグジとして信仰され、その語呂合わせから杓子をお守りとして授与する習慣が生じたのではないだろうかと思う。

⑦さざれ石

多賀大社 さざれ石 
多賀大社 さざれ石 

境内にはさざれ石もあり、「さざれ石」の由来として、次のように記された石碑がたてられていた。

さざれ石の由来

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

この石は通称さざれ石といわれ、岐阜県春日村の産
古今集に天皇の大御代の繁栄を寿ぎ祈り この石のごとくましませと詠われ 後に一部改作されて日本の国家となりました。
学名は石灰資質角礫磐で、長い年月の間に溶解した石灰石が多くの小石を終結して次第に大きく成長したもので、まことに目出度い石であります。
岐阜県揖斐川町の小林宗一翁がはじめて発見したものです


⑧「わが君」とは惟喬親王のことだった。

君と言う言葉は天皇を意味することもあったが、自分が仕えている人のことや、貴人、身分の高い女房(朝廷や貴人邸に仕える女性)、男、遊女などを指す言葉としても用いられていた。

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで


歌の作者は古今和歌集では「読み人知らず」となっているが、岐阜県揖斐川町春日には君が代の由来となったといわれるさざれ石があり、藤原朝臣石位左衛門が詠んだ歌だとして次のように伝えられているのだとか。

 惟喬親王に仕えていた木地師の藤原朝臣石位左衛門は、親王より「よい椀生地を探せ」と命じられた。
そこであちこち探し回って春日村を発見し、ここに移り住んだ。
石位左衛門は春日村と京を行き来する途中で「さざれ石」を発見して

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで

と詠んだ。

木地師の藤原朝臣石位左衛門のいう「わが君」とは惟喬親王のことだと考えるのが自然だと思う。

惟喬親王は文徳天皇の第一皇子(母/紀静子)で、文徳天皇も惟喬親王を皇太子に死したいと考えていた。
しかし世継争いに敗れ、異母弟の惟仁親王(母/藤原明子)が皇太子となった。

つまり
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで
この歌は、天皇の長寿を寿ぐ歌ではなく、天皇になれなかった者の長寿を寿ぐ歌であったと考えられる。

さざれ石と呼ばれる石は、多賀大社だけでなく、各地の神社にある。
京都の護王神社にもあった。

多賀大社にさざれ石があることに大した意味はないかもしれないが、なんとなく気になりつつ、多賀大社を後にした。






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[2020/10/10 14:47] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

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