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惟喬親王の乱㉝ 長源寺『惟喬親王と癌の関係』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㉜ 室生寺 室生龍穴神社『室生と雲ヶ畑の共通点、男神を女神に転じる呪術?』  よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。

長源寺-鐘楼と観音像 

長源寺

①惟喬親王が癌封じの秘法を授けた?


宮津の花火を見にいく途中の車中、小高い山の中腹にお寺があるのを見つけたのでふらっと立ち寄ってみた。
山門には「臨済宗妙心寺派 妙行山 長源寺 癌封じ寺」(京都府船井郡京丹波)と記されている。

境内には40歳くらいの品のよさそうな老婦人が参拝にこられていた。
目があったので「こんにちは」とあいさつすると、にっこり笑って「こんにちは」と返してくださり、こんな話をしてくださった。

「ここは癌封じで有名なお寺なんですよ。家族が癌にならないようにお願いにきたんですよ。
平安時代、文徳天皇の第一皇子に惟喬親王いう人がいましてね・・・・」

惟喬親王と聞いて私はテンションがあがってしまった。

「えっ、惟喬親王! 木地師の祖だとかいわれてて、あちこちの神社に祀られてる人ですよね。」

「あら、よくご存じなんですね。
惟喬親王は第一皇子だったんですけど、異母弟の惟仁親王・・・清和天皇が即位されたんですね。
皇立継承に敗れた惟喬親王は貞観14年(874)に出家しはって、僧名を梁覚(りょうかく)と改めましてね・・・」

惟喬親王の僧名は素覚だがここの自伝では梁覚と伝わっているらしい。

「梁覚と名を改めた親王は諸国行脚の旅に出て、ここ出野を訪れて草案を結びはって、観音菩薩さんをまつりはったそうです。
そしてここを出ていきはるとき、お世話になったお礼にと、村人たちに癌封じの秘法を伝授しはったそうです。
7月1日は観音まつりがありましてね、癌封じ茶の接待とかありますよ。そうめん流しもやってますね。」

なんと京丹波にも惟喬親王の伝説があったのだ。

長源寺 方丈 

長源寺

⓶癌は岩とも記されていた。

癌の歴史は古い。
4200年前のエジプトの女性ミイラが乳癌であったことがわかっているという。

史料としては、紀元前400年ごろ、古代ギリシャの医学者ヒポクラテスが、癌について記している。
当事癌はカルキノス(ギリシャ語で「カニ」)と呼ばれてた。

日本における癌の歴史は、というと調べてもよくわからない。

ウィキペディアに次のように記されているのみである。

漢字の「癌」は病垂と「岩」の異体字である「嵒」との会意形声文字で、本来は「乳がん」の意味である。触診すると岩のようにこりこりしているからで、江戸時代の日本においては「岩」と書かれた文書もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E6%80%A7%E8%85%AB%E7%98%8D#癌 より引用

ここからわかることは
江戸時代には癌はあり、「岩」とも呼ばれていたといいうこと。
岩のようにこりこりしているため、病垂+嵒(岩の異体字)で癌という漢字ができたことのみである。

③惟喬親王は岩の神→癌の神へと転じた?

多賀大社 さざれ石 
多賀大社 さざれ石 

惟喬親王に仕えていた木地師の藤原朝臣石位左衛門は、親王より「よい椀生地を探せ」と命じられた。
そこであちこち探し回って春日村を発見し、ここに移り住んだ。
石位左衛門は春日村と京を行き来する途中で「さざれ石」を発見して

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで


と詠んだ。

という伝説がある。さざれ石とは惟喬親王をイメージした石なのだ。

惟喬親王の乱㉚ 再び多賀大社『惟喬親王はドクロの神だった?』 

また、惟喬神社の社殿の背後には磐座のようなものがあり、室生龍穴の近くにある天岩戸と呼ばれる磐座によく似ていた。

惟喬親王の乱㉛ 惟喬神社  厳島神社 『磐座のある二つの神社』 

惟喬神社-磐座?

惟喬神社 磐座

室生龍穴神社 天の岩戸

室生龍穴神社 天岩戸

つまり、惟喬親王は岩の神であり、そこから転じて癌の神になったのではないかと思われる。

また惟喬神社の磐座を見ると、二つの岩があり、女性の乳房のようにも見える。
癌とは病垂と「岩」の異体字である「嵒」を合わせた文字で、本来は「乳がん」の意味だったということを思い出してほしい。
惟喬神社の磐座は乳癌のような岩だといえなくもない。

④惟喬親王は天岩戸の神であり、女性の乳房を思わせるところから、女神に転じた?

この長いエッセイの中で、私は何度も惟喬親王と小野小町は同一人物だと述べた。
しつこいが、その理由を繰り返しておく。


これについては詳しく「小野小町は男だった」のシリーズで述べたが、簡単にまとめておく。


a
古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。
b古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。
c.小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
d『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。
三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、
 『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
  紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
  また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。
  三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
  そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。
  惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
  そういうことで小町なのではないだろうか。
e花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。
①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。
※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』
※『世』・・・『世の中』と『男女関係』
※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』
しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。
③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。

惟喬親王は男だが、女性に転じるためのいくつかの呪術があったのではないかと私は考えた。

❶俗謡に「おまえ百までわしゃ九 十九まで、共に白髪の生えるまで(謡曲高砂より)」というのがある。

尉が熊手をもち、姥が箒をもって掃いているのは、熊手=九十九まで、掃く(まで)=百(まで)という語呂合わせ。
尉・・・熊手をもつ→九十九まで→くじゅうくまで
姥・・・箒をもつ→掃く→はく→・ひゃく→百

亀岡祭 高砂山 御神体 
亀岡祭 高砂山 御神体

九十九髪とは白髪のことであるという。
そのココロは

百-一=九十九
百-一=白
∴九十九=白

また百は掃く=はくなので、はく=白に転じる。

尉・・・熊手をもつ→九十九まで→くじゅうくまで)→百-一=白
姥・・・箒をもつ→掃く→はく→・ひゃく→百→はく→白

このように、尉も姥もどちらも白になる。
それで「共に白髪の生えるまで」と謡うのではないだろうか。

さらに、尉も姥もどちらも最終的に白になるので、

尉=白
姥=白
∴尉=姥=白

陰陽 黒と白⑳最終回 『まとめ と 神の性別を変える呪術』  


❷厳島神社(天津石門別雅姫神社)はかつて志明院にあり、惟喬神社より高いところにあった。
女神は山の神、男神は田の神なので、形が整っている。
この厳島神社(天津石門別雅姫神社)を惟喬神社より低いところに移転させ、惟喬神社を雌宮と名付けることで、
惟喬神社を山の神=女神とし、厳島神社(天津石門別雅姫神社)を田の神=男神としたのかもしれない。

http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-entry-509.html

この二つに加えてもうひとつ、あげられるかもしれない。

❸惟喬親王は天岩戸の神であり、岩がふたつ並ぶ姿が女性の乳房を思わせるところから、女神に転じた。

⑤長源寺の観音祭は七夕の行事?

長源寺では7月1日に観音祭を行っており、そうめん流しを行っているというが、七夕にそうめんを食べる習慣がある。
たぶん、そうめんは天の川のイメージなのではないかと思う。

ちなみに平安時代の宮中では七夕行事としてに索餅を食べる習慣があった。
索餅とは奈良時代に唐より伝わったとされる唐菓子で、そうめんの原型といわれている。
中国では索餅を食べると熱病にかからないと言われていた。

おそらく観音祭は七夕の行事なのだろう。

癌封じ茶はクマザサ、柿の葉、ドクダミ、枇杷の葉などをブレンドしたもので、かつては大変飲みにくかったという。
(おいしくなかったのだろうw)

それはそうと、惟喬親王は法輪寺に籠って虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説がある。

惟喬親王の乱⑪ 法輪寺 十三詣 『惟隆親王、虚空蔵菩薩より漆の製法を授かる?』 

なぜこんな伝説が伝わっているのか。
ひとつには惟喬親王が木地師の祖とされているということがありそうに思える。
木地師が作ったお椀には漆を塗る。

もうひとつ、即身仏となろうとする人は入定する前に漆のお茶を飲んだのだという。
こうすることによって胃の中のものを吐き出し、また漆の防腐効果で腐りにくい体になったとされる。

もしかしたら癌封じ茶は、この漆のお茶にちなむものであるかもしれない。






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惟喬親王の乱㉞ 大原の里 『惟喬親王と愛宕信仰』 につづきます~


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[ 2020/10/28 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

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