①小町踊小町踊とは京都などで盛んに行われた七夕の踊りで、盆踊りのルーツともいわれている。
かつては七夕の日に着飾った娘たちが歌を歌いながら町を練り歩き、家々を訪問しては輪になって踊っていたそうである。
現在ではそういう習慣は廃れてしまったが、7月7日の白峯神宮の精大名神祭では小町踊が奉納されている。
片袖を脱ぎ、紅をさした童女たちが妙に色っぽい。
⓶七夕はお盆の行事だった
さてなぜ七夕の踊りである小町踊が盆踊りのルーツなのだろうか。
旧暦ではお盆は7月15日(旧暦)を中心とした行事だった。
7月1日は釜蓋朔日(かまぶたついたち)と呼ばれ、この日がお盆の始まりだった。
7月7日(旧暦)の七夕はお盆の行事だったのである。
旧暦は新暦から約1か月ほど後ろにずれる。
明治になって新暦が採用されるようになってからは、七夕は7月7日(新暦)、お盆は8月15日(新暦)となってしまった。
七夕とお盆は一か月以上も期間があいてしまったために、現在では七夕はお盆の行事だという認識が薄れてしまったのだ。
③お盆には悪霊も帰ってくる。折口信夫さんによればお盆には先祖の霊だけでなく、悪霊も帰ってくると考えられ、そのために念仏踊りをしたのだという。
念仏踊りとは念仏を唱えながら、太鼓や鉦をたたいて踊るもののことをいう。
小町踊りの童女たちは手に太鼓や鉦をもっている。
小町踊りは念仏踊りの一種だといえるだろう。
④お盆に彦星と織姫が逢引するのはなぜ?
先ほども言ったように、七夕はもともとはお盆の行事だったのだが、お盆とは先祖の霊をお迎えする行事である。
七夕には彦星と織姫が、天の川の上にかささぎが並んでかけた橋を渡って逢瀬を楽しむという伝説がある。
こんなロマンチックな伝説が、なぜ先祖の霊をお迎えする行事・お盆の行事なのだろうか?
⑤御霊・荒魂・和魂神はその現れ方で御霊(みたま/神の本質)、荒霊(あらたま/神の荒々しい側面)、和霊(にぎたま/神の和やかな側面)の3つに分けられるという。
そして男神は荒霊を、女神は和霊を表しているのではないかとする説がある。
御霊・・・・・神の本質・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・・・・神の荒々しい側面・・・・・男神
和魂・・・・・・神の和やかな側面・・・・女神また、怨霊が祟らないように慰霊されたもののことを御霊(ごりょう)という。
男神(荒霊)と女神(和霊)を和合させることは、荒霊を御霊とするための呪術だったのではないかと思う。
折口信夫さんがおっしゃるように、お盆には先祖の霊だけでなく、悪い霊も帰ってくると考えられたのだろう。
悪い霊とは荒魂であり、男神である。
そこで、この荒魂である男神=牽牛を和魂である女神=織姫と和合させて御霊にしよう、というのが七夕の意味ではないだろうか。
●織姫と小野小町の習合小町踊の小町とは絶世の美女として有名な小野小町のことである。
七夕は牽牛と織姫が1年に1度の逢瀬を楽しむ日とされrますが、小野小町は織姫のイメージと重ねられ(習合)、その結果七夕に小町踊を踊るという習慣が生じたのではないかと思う。
そして私は小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王のことではないかと考えている。
これについては詳しく
「小野小町は男だった」のシリーズで述べたが、簡単にまとめておく。