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惟喬親王の乱㉖ 中山観音寺跡と機物神社 『惟喬親王=小野小町=織姫?』

 

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㉔ 広河原 松上げ 『ペルセウス座流星群とお盆』 よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。


①星田妙見宮は織女星、天田神社は牽牛星

惟喬親王の乱㉑  渚の院跡 『惟喬親王の歌会は呪術会だった?』 
↑ こちらの記事で大阪府枚方市の渚の院と、伊勢物語の渚の院の段についてお話しした。
渚の院から1.5kmほど南に向かうと現在京阪枚方市駅があり、その枚方市駅の近くに天の川という川が流れている。

天の川 夕景

天の川

②中山観音寺の牽牛石はアルタイル、機物神社はベガ

この天の川を挟んで中山観音寺跡(観音山公園)・織物神社が対面しており、中山観音寺跡は牽牛星、織物神社は織女星に喩えられているといわれている。

そのため、このあたりは七夕伝説発祥の地とも呼ばれている。

下の地図の東側、第二京阪道路とJR片町線が交差するあたりに機物神社が、西側香里ヶ丘中央公園の南あたりに中山観音寺跡がある。
天の川を挟んで対面はしているが、かなり距離がある。
5kmほど離れているだろうか。



郡津駅の西側を南北に流れる川は天野川である。

天野川は天上の天の川を、中山観音寺はアルタイル(牽牛星)を、機物神社はベガ(織女星)を表すものとされ
天野川には牽牛と織姫が年に一度逢瀬を楽しむという逢合橋もある。

観音山公園 牽牛 七夕飾り 
中山観音寺跡(観音山公園)

中山観音寺 牽牛石 
中山観音寺跡(観音山公園) 牽牛石

機物神社 七夕飾り 
機物神社

合逢橋

逢合橋

機物神社の背後には交野山があり、巨大な磐座がある。交野山の磐座は機物神社のご神体でだそうである。
この磐座はもしかしたら織女石なのかもしれない。

交野山

交野山 ↑↓


交野山

交野山 観音岩

交野山 磐座

③小さな男神と大きな女神

牽牛石に比べて交野山の磐座ははるかに巨大である。
その巨大な磐座が女神の織姫を表す磐であるというのはおかしいように思うかもしれない。

しかし、雛人形のルーツになったともいわれる和歌山県加太の淡島大社の雛守りは、男装をした神功皇后と赤子の応神天皇のペアであり、神功皇后の方が大きく作られている。

また少彦名神と大穴持命のペアの話が記紀にあるが、大きな穴を持つ神(命)とは女神ではないだろうか。

大穴持命は大国主の別名とされ、大国主には妻があるところから男神だと考えられる。
すると大穴持命も男じゃないのか、といわれそうだが、
どうも日本の神は性別がルーズなようで、

謡曲三輪では男神であるはずの三輪明神は女神として登場している。
また祇園祭の岩戸山のご神体の天照大神は女神ではなく男神だった。

聖徳太子が女性に生まれ変わって親鸞の妻になろう、と言ったという話もある。

伊勢物語 渚の院

http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-entry-489.html

さて、上の記事に書いた伊勢物語の渚の院の段を思い出してほしい。

渚の院 桜

渚の院跡

昔、惟喬親王という親王がおられた。
山崎の向こうの水無瀬といふ所に宮があった。
毎年、桜の花盛りには、そのへいらっしゃった。
その時、右馬頭と言う人を常に連れてこられた。
随分昔のことなので、右馬頭の名前は忘れてしまった。

狩りは熱心にはやらず、酒を飲んでは和歌を詠んでいた。
今狩りする交野の渚の家、その院(御所)の桜が特にすばらしかった。
その木のもとに馬から下りて座り、枝を折って髪にさし、上、中、下の者身分を問わず、みな歌詠んだ。

馬頭が詠んだ。
世の中に たえて桜の なかりせば  春の心は のどけからまし
(世の中に 桜というものがなかったならば、春の心は もっとのんびりしていただろうに)


また他の人の歌、
散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になに か久しかるべき
(散るからこそ桜はすばらしいのだ。悩み多き世の中に、変わらないものなどあるだろうか。)


このように歌を詠んで、その木のもとを立って帰る途中日暮れになった。

お供の人が酒を従者にもたせて野より出てきた。
この酒を飲んでみようと、飲むのにふさわしい場所を探していくと天の河というところにやってきた。

親王に馬頭が大御酒をさしあげた。
親王は言った。

「交野を狩りをして天の河のほとりにたどりついた、を題に歌を詠んで杯をつげ。」

馬頭は歌を詠んだ。

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり
一日中狩りをして日が暮れてしまったので、織姫に宿を借りよう。天の河原に私はやってきたのだから。)


親王は何度も歌を繰り返され、返歌することができない。

紀有常も御供されており、紀有常が返した。
ひととせに ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞ思ふ
織姫は一年に一度いらっしゃる君(=彦星)を待っているのだから、宿を貸す人はないだろう。


帰って宮に入った。
夜が更けるまで酒を呑み、語り、主人の親王は床に入ろうとなさった。

十一日の月が山に隠れようとしているのであの馬頭が詠んだ。

飽かなくに まだきも月の 隠るるか 山の端逃げて 入れずもあらなむ
(ずっと眺めていても 飽きないのに 早くも月は隠れてしまうのか。山の端が逃げて月を入れないでおいてほしい。)

親王にかわり申し上げて紀有常

おしなべて 峰も平に なりななむ 山の端なくは 月も入らじを
(すべての峰が平らになってほしい。山の端がなくなれば月は入らないだろう。)

ここに今までお話ししてきた天の川が登場する。
天の川について述べられているのは次の部分である。

親王に馬頭が大御酒をさしあげた。
親王は言った。

「交野を狩りをして天の河のほとりにたどりついた、を題に歌を詠んで杯をつげ。」

馬頭は歌を詠んだ。


狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり
一日中狩りをして日が暮れてしまったので、織姫に宿を借りよう。天の河原に私はやってきたのだから。)


親王は何度も歌を繰り返され、返歌することができない。

紀有常も御供されており、紀有常が返した。
ひととせに ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞ思ふ
織姫は一年に一度いらっしゃる君(=彦星)を待っているのだから、宿を貸す人はないだろう。

⑤七夕は荒魂(男神)に和魂(女神)を和合させて御霊にする行事?

惟喬親王の乱㉕ 白峯神宮 小町踊 『七夕は盆入りの行事だった。』  
↑こちらの記事には次のようなことを書いた。

・旧暦ではお盆は7月15日(旧暦)を中心とした行事だった。
 7月7日(旧暦)の七夕はお盆の行事だったのである。
 
・折口信夫さんによればお盆には先祖の霊だけでなく、悪霊も帰ってくると考えられ、そのために念仏踊りをしたのだという。
 小町踊りは念仏踊りとは念仏を唱えながら、太鼓や鉦をたたいて踊るもののことをいう。
 七夕に小町踊りを踊る習慣があるが、小町踊りの童女たちは手に太鼓や鉦をもっている。
 小町踊りは念仏踊りの一種だといえる。

・七夕には彦星と織姫が、天の川の上にかささぎが並んでかけた橋を渡って逢瀬を楽しむという伝説がある。
 こんなロマンチックな伝説が、なぜ先祖の霊をお迎えする行事・お盆の行事なのか?
 神はその現れ方で御霊(みたま/神の本質)、荒霊(あらたま/神の荒々しい側面)、和霊(にぎたま/神の和やかな側面)の3つに分けられるという。
 そして男神は荒霊を、女神は和霊を表しているのではないかとする説がある。 

 御霊・・・・・神の本質・・・・・・・・男女双体
 荒魂・・・・・・神の荒々しい側面・・・・・男神
 和魂・・・・・・神の和やかな側面・・・・・女神


また、怨霊が祟らないように慰霊されたもののことを御霊(ごりょう)という。
男神(荒霊)と女神(和霊)を和合させることは、荒霊を御霊とするための呪術だったのではないか。

・折口信夫さんがおっしゃるように、お盆には先祖の霊だけでなく、悪い霊も帰ってくると考えられたのだろう。
 悪い霊とは荒魂であり、男神である。そこで、この荒魂である男神=牽牛を和魂である女神=織姫と和合させて御霊にしよう、というのが七夕の意味ではないだろうかと。

白峯神宮 小町踊2

小町踊り 白峯神宮

⑥惟喬親王=小野小町=織姫?


そして惟喬親王の乱㉑  渚の院跡 『惟喬親王の歌会は呪術会だった?』 
↑ こちらの記事で、

・和歌は呪術であると高田祟史さんが言っておられること

世の中に たえて桜の なかりせば  春の心は のどけからまし
(世の中に 桜というものがなかったならば、春の心は もっとのんびりしていただろうに)


の桜は藤原氏の栄華を比喩的に表現したものであり、「藤原氏などいなければいいのに」という意味ではないかとお話しした。

天の川の歌2首も呪術だとすれば、どういった意味が込められているのだろうか。

親王に馬頭が大御酒をさしあげた。
親王は言った。

「交野を狩りをして天の河のほとりにたどりついた、を題に歌を詠んで杯をつげ。」

馬頭は歌を詠んだ。


狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり
一日中狩りをして日が暮れてしまったので、織姫に宿を借りよう。天の河原に私はやってきたのだから。)


親王は何度も歌を繰り返され、返歌することができない。

紀有常も御供されており、紀有常が返した。
ひととせに ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞ思ふ
織姫は一年に一度いらっしゃる君(=彦星)を待っているのだから、宿を貸す人はないだろう。

何か呪術的な意味がありそうにも思うが、よくわからない。

ただ、この歌は小野小町の正体が惟喬親王であることを示しているように思える。
私は小野小町の正体は小野宮と呼ばれた惟喬親王だと考えている。

これについては詳しく「小野小町は男だった」のシリーズで述べたが、簡単にまとめておく。

a
古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。
b古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。
c.小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
d『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。
三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、
 『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
  紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
  また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。
  三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
  そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。
  惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
  そういうことで小町なのではないだろうか。
e花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。
①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。
※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』
※『世』・・・『世の中』と『男女関係』
※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』
しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。
③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。

雲ヶ畑 松上げ

雲ヶ畑 松上げ

地蔵盆には雲ヶ畑では惟喬親王を偲んで松上げの行事が行われており、惟喬親王はお盆の関係が深そうに思える。
そして七夕には小町踊りをする習慣があったのである。
なぜ七夕に小町踊りをする習慣が生じたのか。
それは小野小町は織姫とイメージが重ねられたということだろう。

さらに小野小町の正体は小野宮と呼ばれた惟喬親王だと私は考えているのだ。



惟喬親王の乱㉗ 星田妙見宮と天田神社『天田神社の住吉明神は惟喬親王のイメージ?』 に続きます~

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[ 2020/10/03 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

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