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惟喬親王の乱⑰ 石清水八幡宮 『石清水八幡宮の神主が紀氏の世襲なのはなぜ?』

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惟喬親王の乱⑯ 法輪寺 針供養 『法輪寺で針供養が行われているのは何故?』 よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。

石清水八幡宮 本殿 
石清水八幡宮 本殿

①石清水八幡宮の創建は藤原良房の意思によるもの?

清和天皇は文徳天皇の第二皇子として850年に生まれ、生まれたばかりで皇太子となった。
そして858年、わずか8歳で即位した。
もちろん8歳の子供に政治がとれるはずはなく、実際の政治は清和天皇の外祖父の藤原良房がとっていた。
石清水八幡宮の創建は860年、清和天皇の勅命によってとされるが、このとき清和天皇は10歳。
石清水八幡宮の創建は藤原良房の意思によるものだと考えるのが妥当だと思う。

石清水八幡宮  鬼門封じ 

石清水八幡宮 本殿 鬼門封じ

石清水八幡宮 鬼門封じ


⓶御霊として祀られた惟喬親王

文徳天皇には清和天皇のほかに第一皇子の惟喬(これたか)親王があった。
清和天皇の母親は藤原良房の娘の藤原明子、惟喬親王の母親は紀名虎の娘の紀静子だった。
文徳天皇は惟喬親王のほうを皇太子につけたいと考えており、これを源信に相談している。
源信は藤原良房をはばかって文徳天皇をいさめたという。

世継争いに敗れた惟喬親王は御霊として大皇器地祖神社 (おおきみきじそじんじゃ)、筒井神社、玄武神社などに祀られている。

惟喬親王の乱③木地師の里 『世継争いに敗れた皇子』 
惟喬親王の乱④玄武神社『胴体がなく首の長い神』 


御霊とは、怨霊が祟らないように慰霊されたもののことをいう。
つまり、惟喬親王は怨霊であったということである。

石清水八幡宮 東総門 雪

 
③石清水八幡宮の神主を紀氏が世襲したのはなぜ?

①で、清和天皇が創建した神社だと書いたが、石清水八幡宮の神主は代々紀氏が世襲していた。

さきほどお話した惟喬親王の外祖父は紀名虎であり、紀名虎は藤原良房とは政治上のライバルだった。
平家物語にはいずれの孫を立太子させるかで紀名虎と藤原良房がもめ、バトルを繰り返したと記されている。

惟喬親王の乱⑬ 上加茂神社 烏相撲 『紀名虎&藤原良房の世継ぎ争い』  

清和天皇が誕生したときすでに紀名虎は亡くなっているので実話ではないとされているが、紀氏と藤原氏の間に確執があったことは事実だろう。

そして石清水八幡宮の創建は清和天皇の勅願によるとされるが、実際には清和天皇の外祖父・藤原良房の意思によるものと考えられる。

藤原良房はなぜ石清水八幡宮の神主を紀氏としたのだろうか?

石清水八幡宮 石清水社 
石清水八幡宮 石清水社

④先祖の霊は子孫が祭祀または供養するべき

日本では古より先祖の霊はその子孫が祭祀または供養するべき、と考えられていた。

古事記にも「大物主神が祟り、その子のオオタタネコが大物主神を祀るお大神神社の神主になったところ、大物主神の祟りがおさまった」と記されている。

どうやら先祖の霊は子孫が祭祀したり供養したりしないと祟ると考えられていたようである。

石清水八幡宮の御祭神・八幡神と惟喬親王はイメージを重ねられており、惟喬親王は紀氏の血筋の親王なので、石清水八幡宮は紀氏が祭祀するべきであると考えられたのではないかと思う。

石清水八幡宮 三女神社 雪 
石清水八幡宮 三女神社



⑤伊奢沙和気大神と名前を交換した応神天皇

八幡神とは応神天皇のことだが、古事記仲哀天皇代にこんな話がある。

武内宿禰の夢の中に伊奢沙和気大神が現れ、「御子(応神天皇)と私の名前を交換してほしい」と言ったので、武内宿禰はこれを承知した。
翌朝、海岸に行ってみると、たくさんの鼻を傷つけられたイルカがいた。
御子は「神様が御饌を下さった」と大喜びした。
イルカの血で臭かったので、血浦となり、これが訛って角鹿(ツヌガ/現在の敦賀)となった。


また日本書紀・垂仁天皇2年条にこんなことが記されています。

垂仁天皇の時意富加羅国の王子・ツヌガアラシトが笥飯(けひ)浦にやってきました。
額に角があったので、この地を角鹿と称しました。

伊奢沙和気大神は福井県敦賀市にある気比神宮の神である。
気比神宮の摂社に角鹿(つぬが)神社があり、ツヌガアラシトを祀っている。

ツヌガアラシトは祟神58年(紀元前40年)に朝鮮半島から日本にやってきて、崇神天皇に5年仕えた。
帰国の際、崇神天皇はツヌガアラシトの国に任那という国号を与えたとされる。

平安時代の女性はおいそれと名前を名乗るべきではなく結婚する相手にのみ名乗ってよいとされていた。
紫式部、清少納言問う名前は相性であって本名ではない。
藤原明子、紀静子というのは本名だが、彼女らの名前が後世に残されているのは、天皇の妻となり位が残されて記録されているためである。
つまり平安時代の女性は入内した女性以外はほとんど本名が後世に伝えられていないということになる。
いまでも名前は大切なものだが、平安時代における名前とは命や存在そのものと同じくらい重要なものであったと推察される。

応神天皇はその大切な名前を交換したというのである。
つまり本物の応神天皇は伊奢沙和気大神となり、伊奢沙和気大神は応神天皇になったということである。
これは大変なことである。
名前を交換するというこの話は政権交代を意味しているのではないかと私は思う。

つまり朝鮮半島からやってきた人物が天皇となり、ほんものの天皇は殺され神として気比神宮に祀られたという話ではないかと思うのだ。

そして文徳天皇が皇太子にしたいと望んでいたが、異母妹で藤原良房の孫である清和天皇にその座を奪われた紀名虎の孫・惟喬親王は、この応神天皇(八幡神)とイメージが重ねられたのではないだろうか。

そのため、石清水八幡宮の神主は代々紀氏が世襲したのではないかと思ったりする。


石清水八幡宮 青山祭

頓宮殿 青山祭の祭場



惟喬親王の乱⑱阿弥陀寺 『体質を樹脂化するとは?』 に続きます~

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