惟喬親王の乱④玄武神社『胴体がなく首の長い神』
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惟喬親王の乱③世継争いに敗れた皇子 よりつづきます~
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。
①やすらい祭と鎮花祭
4月第二日曜日、京都の今宮神社、玄武神社でやすらい祭が行われる。
写真は玄武神社のやすらい祭である。
昔の人は桜の花びらに乗って疫神が散っていく、と考えたそうである。
そこで疫神を慰霊するため、奈良の大神大社で『鎮花祭』を行うようになったとされる。
京都のやすらい祭はこの『鎮花祭』をルーツとし、念仏踊りを加えたものである。
玄武神社の境内には三輪明神を祀る社があった。
(写真を撮ったつもりだったが、うっかり消してしまったのか見当たらない~)
三輪明神とは大神神社の神、大物主神のことである。
さきほど「大神神社で鎮花祭が行われるようになった」と書いた。
玄武神社で三輪明神を祀っているのは、ここで鎮花祭をルーツとする「やすらい祭」が行われていることと関係があるのかもしれない。
⓶人頭蛇体の神
三輪明神・・・大物主は蛇神とされているあ、宇賀神(うがじん)と呼ばれる神は人頭蛇体のおすがたをしておられる。
喜光寺 宇賀神
http://www.senjyuin.or.jp/?page_id=135
上のサイトに「空鉢ご分霊」の写真が掲載されているが、蛇がとぐろを巻いたお姿をされており、宇賀神にそっくりである。
世界各地で太陽神を蛇神とする信仰がある。
脱皮を繰り返す蛇は再生をイメージさせ、同様に再生を繰り返す太陽のイメージと重ねられたと言われている。
しかし太陽が丸いのに対し、蛇は細長く全く形が異なるため、私はなぜ蛇が太陽神とされたのか納得できずにいた。
ませんでした。
しかし宇賀神のおすがたを見て、なぜ蛇が太陽神とされたのかがわかったような気がした。
大神神社 ご神体の三輪山(太陽は合成)
三輪山の写真と宇賀神の写真を見比べてみてほしい。
三輪山は蛇がとぐろを巻くおすがただといわれている。
すると宇賀神の頭部と、三輪山の頂近くに昇った太陽が重なって見えてくる。
宇賀神の頭部は山の頂に昇った太陽を擬人化したものではないだろうか。
また、昔の人は蛇とは胴体がなく、頭部に長い首のついた動物だと考えていたのではないだろうか。
大神神社の御祭神・大物主も胴体がなく、頭(髑髏)に長い首がついたおすがたをした神だと考えられていたのではないかと思うのだ。
③惟喬親王とろくろ首
玄武神社の御祭神は平安時代の人物で、文徳天皇の第一皇子であった惟喬(これたか)親王である。
そう、前回の記事、惟喬親王の乱③世継争いに敗れた皇子 でもご紹介した不運の皇子のことである。
す。
惟喬親王は巻物が転がるのを見て轆轤(ろくろ)を発明したという伝説があり、木地師の祖とされている。
大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)や筒井神社では惟喬親王を御祭神として祀っていたが、京都の玄武神社でも惟喬親王を祀っているのだ。
古には神と怨霊は同義語であったとか、怨霊が祟らないように神として祀ったなどと言われる。
世継争いに敗れた惟喬親王が各地に祀られているということは、惟喬親王は祟る神として畏れられていたということかもしれない。
↑ 上の写真は木地師の里(滋賀県東近江市蛭谷)に展示されていた轆轤の写真である。
ろくろの先端に器などに加工する木材をセットし、刃物を木材にあてます。
巻きつけた紐をひっぱって轆轤を回転させると、木材を丸い形に加工できるというわけだ。
ろくろ首という妖怪がいるが、ろくろ首とは木地師が用いる轆轤の妖怪なのだと思う。
ひもを巻きつけた細長い棒状の部分を首、轆轤の先端にあてた器を頭部に見立てたのだろう。
親王という高い身分の方が本当に轆轤を発明したとは考えにくい。
惟喬親王も大物主同様、胴体がなく髑髏に長い首がついたおすがたをした神であると考えられた結果、轆轤を発明したという伝説が生じたのではないだろうか。
「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。

①やすらい祭と鎮花祭
4月第二日曜日、京都の今宮神社、玄武神社でやすらい祭が行われる。
写真は玄武神社のやすらい祭である。
昔の人は桜の花びらに乗って疫神が散っていく、と考えたそうである。
そこで疫神を慰霊するため、奈良の大神大社で『鎮花祭』を行うようになったとされる。
京都のやすらい祭はこの『鎮花祭』をルーツとし、念仏踊りを加えたものである。

玄武神社の境内には三輪明神を祀る社があった。
(写真を撮ったつもりだったが、うっかり消してしまったのか見当たらない~)
三輪明神とは大神神社の神、大物主神のことである。
さきほど「大神神社で鎮花祭が行われるようになった」と書いた。
玄武神社で三輪明神を祀っているのは、ここで鎮花祭をルーツとする「やすらい祭」が行われていることと関係があるのかもしれない。
⓶人頭蛇体の神
三輪明神・・・大物主は蛇神とされているあ、宇賀神(うがじん)と呼ばれる神は人頭蛇体のおすがたをしておられる。

喜光寺 宇賀神
http://www.senjyuin.or.jp/?page_id=135
上のサイトに「空鉢ご分霊」の写真が掲載されているが、蛇がとぐろを巻いたお姿をされており、宇賀神にそっくりである。
世界各地で太陽神を蛇神とする信仰がある。
脱皮を繰り返す蛇は再生をイメージさせ、同様に再生を繰り返す太陽のイメージと重ねられたと言われている。
しかし太陽が丸いのに対し、蛇は細長く全く形が異なるため、私はなぜ蛇が太陽神とされたのか納得できずにいた。
ませんでした。
しかし宇賀神のおすがたを見て、なぜ蛇が太陽神とされたのかがわかったような気がした。

大神神社 ご神体の三輪山(太陽は合成)
三輪山の写真と宇賀神の写真を見比べてみてほしい。
三輪山は蛇がとぐろを巻くおすがただといわれている。
すると宇賀神の頭部と、三輪山の頂近くに昇った太陽が重なって見えてくる。
宇賀神の頭部は山の頂に昇った太陽を擬人化したものではないだろうか。
また、昔の人は蛇とは胴体がなく、頭部に長い首のついた動物だと考えていたのではないだろうか。
大神神社の御祭神・大物主も胴体がなく、頭(髑髏)に長い首がついたおすがたをした神だと考えられていたのではないかと思うのだ。
③惟喬親王とろくろ首
玄武神社の御祭神は平安時代の人物で、文徳天皇の第一皇子であった惟喬(これたか)親王である。
そう、前回の記事、惟喬親王の乱③世継争いに敗れた皇子 でもご紹介した不運の皇子のことである。
す。
惟喬親王は巻物が転がるのを見て轆轤(ろくろ)を発明したという伝説があり、木地師の祖とされている。
大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)や筒井神社では惟喬親王を御祭神として祀っていたが、京都の玄武神社でも惟喬親王を祀っているのだ。
古には神と怨霊は同義語であったとか、怨霊が祟らないように神として祀ったなどと言われる。
世継争いに敗れた惟喬親王が各地に祀られているということは、惟喬親王は祟る神として畏れられていたということかもしれない。

↑ 上の写真は木地師の里(滋賀県東近江市蛭谷)に展示されていた轆轤の写真である。
ろくろの先端に器などに加工する木材をセットし、刃物を木材にあてます。
巻きつけた紐をひっぱって轆轤を回転させると、木材を丸い形に加工できるというわけだ。
ろくろ首という妖怪がいるが、ろくろ首とは木地師が用いる轆轤の妖怪なのだと思う。
ひもを巻きつけた細長い棒状の部分を首、轆轤の先端にあてた器を頭部に見立てたのだろう。
親王という高い身分の方が本当に轆轤を発明したとは考えにくい。
惟喬親王も大物主同様、胴体がなく髑髏に長い首がついたおすがたをした神であると考えられた結果、轆轤を発明したという伝説が生じたのではないだろうか。
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